労働とユートピア | 新・ユートピア数歩手前からの便り

労働とユートピア

新しき村の「究極的な実現」とは何でしょうか。どうも重箱の隅をつつくような議論ばかりでウンザリされている方も多いかと思いますが、試行錯誤の思耕を続けます。


そもそも一般的に考えれば、ユートピアとは「労働しなくても楽しく生活できる場所」でしょう。従って、ユートピアにおける労働の意味を問題にすることは余り共感を呼ばないかもしれません。しかし少なくとも私にとって、労働はユートピア論の核心的問題であり続けます。


確かに以前言及した「植物工場」のような科学技術の将来的発展によって、肉体の糧を直接得るための労働が不要になる時代が訪れるかもしれません。それは未だSFの世界のことにすぎませんが、仮にそれが実現したとして、果たして人間は本当に幸福になれるでしょうか。植物のみならず、肉さえ人工的かつ安全に作ることが可能になる時代――そうなれば、人間以外の生物をむやみに殺す必要もなくなり、その意味でも「理想社会」だと言えるのかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか。