村の新時代 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

村の新時代

昨日の貫二さんの葬儀では、四人の方が弔辞を読まれました。その中で、今は日向の村で活動されているMさんが涙ながらに貫二さんとの思い出を述べられていたのが印象深く残っています。おそらく、二人の間には色々と確執があったと思われますが、その根柢では「新しき村の同志」という絆で深く結ばれていたのでしょう。そうした絆は離村した人達の悲しみの表情にも一様に読み取ることができました。


もう一つ、弔辞で印象に残っていることがあります。それはDさんの言葉の中にあったのですが、貫二さんは生前「自分はやるべきことは全てやったから、いつ死んでも悔いはない」と言われていたそうです。言い換えれば、「新しき村は自分達の努力で実現することができた」ということです。確かに、貫二さんの努力・功績はその言葉に値するものであり、新しき村は「経済的自立」という点で「一つの実現」を見たのかもしれません。しかし、それはやはり「究極的な実現」ではないでしょう。むしろ、貫二さんの「実現」を無にしないためにも、我々は村の新時代について真剣に考える必要があるのではないでしょうか。