「ヨイトマケの唄」以後 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

「ヨイトマケの唄」以後

小学生の頃に初めて丸山(美輪)明宏の「ヨイトマケの唄」を聞いたのですが、その時の感動は今でも忘れられません。どういうわけか、その感動が不意に甦ってきました。改めて、その歌詞を読んでみたいと思います。


ヨイトマケの歌
【作詞】丸山明宏
【作曲】丸山明宏


父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに  エンヤコラ

1.今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  工事現場の昼休み
  たばこふかして 目を閉じりゃ
  聞こえてくるよ あの唄が
  働く土方の あの唄が
  貧しい土方の あの唄が

2.子供の頃に小学校で
  ヨイトマケの子供 きたない子供と
  いじめぬかれて はやされて
  くやし涙に暮れながら
  泣いて帰った道すがら
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

3.姉さんかぶりで 泥にまみれて
  日にやけながら 汗を流して
  男に混じって ツナを引き
  天に向かって 声をあげて
  力の限り 唄ってた
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

4.なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
  息をはずませ 帰ってはきたが
  母ちゃんの姿 見たときに
  泣いた涙も忘れ果て
  帰って行ったよ 学校へ
  勉強するよと言いながら
  勉強するよと言いながら

5.あれから何年経ったことだろう
  高校も出たし大学も出た
  今じゃ機械の世の中で
  おまけに僕はエンジニア
  苦労苦労で死んでった
  母ちゃん見てくれ この姿
  母ちゃん見てくれ この姿

6.何度か僕もぐれかけたけど
  やくざな道は踏まずに済んだ
  どんなきれいな唄よりも
  どんなきれいな声よりも
  僕を励ましなぐさめた
  母ちゃんの唄こそ 世界一
  母ちゃんの唄こそ 世界一

今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
父ちゃんのためなら エンヤコラ
子どものためなら エンヤコラ


こうした貧しいヨイトマケが豊かになって本当に幸福になれる社会を、私は幼いながらに願ったような気がします。それが私の「ユートピア追求」の原点になっていると言えるかもしれません。しかし、貧しいヨイトマケの子どもたちは「機械の世の中」でエンジニアになって豊かになりましたが、本当に幸福になったと言えるでしょうか。


確かに今の日本は貧しいヨイトマケたちの「苦労苦労」の御蔭で豊かになりました。それは事実です。しかしその豊かさが幸福であった時代は余り長続きしなかったのではないでしょうか。勿論、ヨイトマケたちの苦労が無意味だったなどと言うつもりはありません。むしろ、その苦労を本当に活かすためにも、我々は彼等が夢見た「幸福」以後の問題について考えざるを得ないと思うのです。それは「機械の世の中」である近代の幸福を超える問題です。「欠乏のニヒリズム」に対する「過剰のニヒリズム」を問題にする私の意識もそこに発しています。果たして、こうした問題意識は的外れでしょうか。