「なんで一日に何回も電話してくるの?笑」


「だって、ナナのことが大好きなんだもん!」



「ごめん、タトゥー入れちゃった!」


「ナナが決めたことなんだから、しょうがないよね」



「この先の人生をどうしようかと迷ってる」


「とにかくなんでも、好きな事をやりなさい。

人生は一回しかないんだよ!」



私の母の言葉である。

今日は私の最愛の天使である、母の誕生日だケーキ



私は世界で1番この人のことが好きで、

母のためなら死ねると本気で思う。

大好きすぎて不思議だ。

生まれ変わっても、何回でもお母さんの子供に生まれたい。



父も、

「生まれ変わってもまた、お母さんを嫁に貰うんだ!」

と言っている。



弟も10代の時は悪い事ばっかして、

本当にろくでもない奴だったが、

「くそばばぁ!」と母に暴言を吐く一方で私には、

「お母さんが死んだら俺も死ぬ!」と言っていた。



優しくて、純粋で、おとなしくて、かわいくて、本当にいい人で、

母のことを、みんなが大好きだ。


母が若年性アルツハイマーと診断されたのは、

今から多分7年前くらいだろうと思う。



最初は単なる「物忘れ」かなと思っていたが、

鍋を火にかけて忘れる、

原付バイクで車と接触したのに、それも完全に忘れる。



家族みんながおかしいと思い始めたが、

母に病院に行こうといっても、

「そんなこと言わないで・・・」と泣いてしまう。



でも生活に支障をきたし始め、危険なので、

もう本当にだましだまし、

母の妹である叔母に連れて行ってもらったのだ。



あれから7年。



最初はこの病気への対応の仕方が分からず、

それまでは、

おとなしいけれどテキパキしたタイプの母であっただけに、

とても簡単な事を間違える母にイライラして、

「なんでそんなこともできないの!?」

と、ものすごくキツイ、

怒鳴るような口調で言ってしまったことがある。



あの時、

「ごめんね・・・」と力なく言った、

すごく悲しそうな母の顔が、

今でも本当に忘れられない。

なんてひどいことをしたのかと思う。

今でも思い出すと、

涙が出るほど悔しい。

自分が恥ずかしくて死にたくなる。



多分、

父も、弟も、叔母も、家族全員、

同じようなことがあったと思う。



病気に対する知識がないばかりに、

イライラして怒鳴ってしまうという、最悪なパターンだ。

怒鳴った方も、

後々ものすごい罪悪感にさいなまれる事になる。



せめて私にだけでも、もっと知識があれば、

そんなこと起こらなかった。

母にも、家族にも、

かわいそうな想いをさせてしまった。


母自身も初期の頃は、

「なんでこんなになっちゃったんだろう」と泣いていた。

「助けて」と泣かれたこともある。



なんでこんなにいい人が、

こんなに辛い思いしなきゃならないのかな?と思った。



でもそんなこと、口が裂けても言えなかった。

家族が途方にくれるから。



家族はみんな、だんだん病気が進行し、

母が自分で身の回りのことを出来なくなり、

自分らの名前を忘れていくことを、

どうしようもなく嘆いていた。



実家で夜寝ていたら、

暗闇の中でシクシクという泣き声がして、

お化けが来た!(>_<)

と思って恐る恐る目を開けてみると、

酔っぱらって帰って来た弟が、

勝手に私の部屋に入って来て、

「なんでウチのお母さんだけ・・・」と

私の枕元で泣いていたこともあった。



あの時はマジ、心臓が止まりそうになった。

本当に勘弁して欲しい。


父は父で、前にもこのブログ に書いたが、

精神的なショックで毎日浴びるように酒を飲み、
救急車で運ばれる始末だった。



私は、母が、

記憶障害で、全部を忘れてしまうとしても、

そのとき一瞬一瞬の感情はあるんだから、

とにかく1秒でも多く幸せな気分とか、

嬉しい気分で生きていてくれればそれでいいと、

ものすごい早い時点で割り切って、

家族全員にもそう思うようにと指示した。


そうしないと家族全員、悲しすぎて共倒れる気がした。



気分が良ければ笑うし、悪ければ怒る。

もう、それだけで十分じゃん。

自分の名前や存在ごとき忘れられるからって、

それがなんだっつーの?

自分で何も出来なくなるからって、

それがなんだっつーの?

そんなんどうでもいい!!

お母さんが、死ぬまで一回でも多く笑ってくれれば、

もうそれでいいじゃん!!

私はそれで十分だ!!


と、


私は家族に何十回も繰り返し、大声で言った。

本当に繰り返し言ったから、

今でも間違えずに言える 笑



私自身、そうやって強い事を言っていないと、

自分自身の心を保てなかった。



本当は自分の心のもろさに、

ほとほとうんざりしてたけど、

家族を叱咤し説教することにより、

気を強く持っていられた 笑


だから私におとなしく説教されていてくれた家族に、

とても感謝してる。



私は、母がこんな状態なんだし、

もう東京で好き勝手やっているわけにもいかないなと思い、

実家にしばらく帰ったのだが、

私が帰っていろいろ介護や家事をしてしまうと、

父が酒ばっか飲んで、

ものすごいダメな人になってしまい、

もう心を鬼にして、

「お母さんの世話をすることが、

お父さんのこの人生の最後の課題だ!」

と言い放ち、ゴリ押しで東京に戻った。



その作戦は見事に成功し、

父の介護はもはやプロの領域に達し、

生活なんて私よりもキッチリしている。

家事なんて何ひとつやらなかったのに、本当にスゴイ父だ。


叔母もずっと支えてくれていた。



現在母は、おかげ様でとても落ち着いている。

もちろん生活の介助はすべて必要ですが、

とても元気です!!

天使のように笑ったり、歌ったりしている。

単語でしか喋れなかったのに、

ここ最近は長い文章も言ったりします。



私は母に、

言いつくせないほど沢山の事を教わった。

食べること、

歩くこと、

言葉。


そして、


当り前のことなんて一つだってないこと。

生きること。

とにかくいろいろだ。



アルツハイマー型の認知症は、

すべてを忘れると言ったって、

頭の中のデータが消え失せているわけではなく、

そのデータを繋ぐ電気信号がうまく伝わっていないだけ。



だから、本当にたまにだけど、

何かが起こって、母がふと、

「ナナ」とつぶやくことがある。

1年に一回か二回。



名前を呼ばれるだけで、本当に泣きそうになる。

名前を呼ばれることがこんなに嬉しいなんて、

母が病気にならなければ、

一回だって感じたことがなかった。

母親が子供の名前を呼ぶなんて、

そんなもん当り前だと思っていました。


でもそれは、本当に違う。



大切な人を亡くしたことのある方は、

きっと私より強くそう感じていると思う。



病気だろうがなんだろうが、

何も変わらず、

圧倒的な力で母は私にいろんなことを教えてくれてます。



こないだも、お盆に実家に帰った時、

父が、

「お母さんは1番かわいいよ!」

と言いながら母の髪をとかしてるのを見て、

今もなお、こんなに愛されて、

うちのお母さんはスゲー女だなと思いました 笑



お母さんの人生はマジで苦労続きだったと思う。


旦那は大酒飲みだし、

息子は悪い事ばっかしてバカだし、

娘は3回も事故るし、

家族が揃いも揃って心配ばかりかけた。



だから誰も、母には頭が上がらない。

意思の疎通はほとんどできず、

会話もあまり成立しないけど、

家族全員、

母のことを大好き過ぎて仕方がない。



多分、私の母は天使だ天使



その身をていして、

私たち、ダメな家族にいろんなことを教えに、

この世に舞い降りてきてくれた天使に違いない。



そして私は、

こんなに可愛いくて、

こんなに皆に愛され続ける女になる秘訣を、

いつか絶対に母から盗んでやろうと、

いつも目を皿のようにして、

母を観察している黒猫



Dear Mommy

I love you from the bottom of my heartうさ。ラブラブ

Happy Birthday ケーキラブラブ

With all my love!NA