彼は、朝起きると、

まず冷蔵庫を開け、とりあえずビールを飲む。

朝から、「とりビービール」である。


涙もろく、神経質なくらいキレイ好き。

職人気質で、曲がったことが大嫌い。


建設会社を経営し、設備投資のしすぎで、

莫大な借金を抱えたまま、倒産。


借金のせいで、家を売却。

長い間、借金・貧乏生活に、家族もろともあえぎ続ける。


しかしその15年後、

なんとまたもや一軒家を新築する家キラキラ



20代のから若い衆を沢山引き連れ、

全国で仕事をするイケイケの職人だった彼は、

「女には、とにかくモテた」(本人談)らしく、

愛情と嫉妬に狂った女に、

首(鎖骨のすぐ上)を刺され、その跡が今でも残っている。

しかも寝てるときに刺されたらしい。

ガチで殺す気じゃん( ̄□ ̄;)!!って話である 笑

ビックリする。

大量の血が噴き出し、部屋が真っ赤になったという。


そして、類い希にみる酒飲みで、

酒を飲み始めると、
彼が酒を飲んでいるのか、
酒が彼を飲んでいるのか、

さっぱりわからない状態になり、非常に危険である。


こんな彼だが、今は仕事を引退し、

数年前、若年性のアルツハイマーと診断され、

現在「介護度4」に認定されている妻を、

献身的に介護している。

仕事一筋で、家事なんて一切やらず、

料理なんてモチロンしなかった。


トンネルや橋、ダムといった、大がかりな現場が多かったので、

基本的に単身赴任だったが、

たまに家に帰ってくれば、朝から晩まで飲んだくれる。

その上、

たまにしか会えない彼に会いに、

彼を慕う酔っぱらいどもが家に集まる。


酔っぱらって調子こいた彼は、

子供らに意味なくイチャモンをつけたり、

パシリに使ったりする。

子供らの友人までノーギャラでパシリにされた。

狭いアパートだったため、子供達には逃げ場もない。

一番の被害者は、

幼い頃から素直だった彼の長女だろう。


こんな調子で、

家の事は妻にまかせっきりなばかりが、

むしろどうしようもなく、

家族にとってはめんどくさい存在だった彼。


しかし妻の病気を機に、変わることを余儀なくされた。


家事はモチロン、いろいろな家の雑務・・・

妻がやっていたことをすべてやらなければならなくなった。


アルツハイマーは進行性の病気なので、

介護もどんどん重くなるのだが、

介護の有資格者である私から見ても、

彼の介助はプロの域に達している。

お金をもらえるレベルだと思う。


何事も極める、

彼の中の職人の血がそうさせてるに違いない。


ついでに言えば、家事も完璧で、

廊下はいつもピカピカ、チリひとつ落ちていない。


そして、とにかく彼には、ユーモアがある。


認知症の患者さんは不穏状態になることも多いし、

その家族も悩み、もがき、振り回され、

だんだん暗くなっていくケースが多い。


だが彼の妻はいつもニコニコ、天使のように微笑み、

彼いわく「鈴虫のような涼しい声」で、歌まで歌っている。


そして、そればかりか、


進行性であるはずのアルツハイマーなのに、

もうずいぶん前に言えなくなっていたはずの難しい言葉を、

彼の妻は最近発するようになった。

病気の進行は驚くほど緩やかだ。

献身的な介護のたまものだ。


彼の介護は素晴らしく、ユーモラスで明るい。

市のケアマネージャーから講演のオファーを受けたり、

地元の新聞社が取材に来るほどだ。


というわけで・・・


勘の良い方はもうおわかりだと思うが、


この男は、私の父だ (-"-;A


「スナックに行くよりも、おめぇと話てんのが1番楽しい」 と、

酒を飲んで上機嫌になると決まって、

私に1日最低3回は電話をしてくる私の父だ。

(しかし、酔っぱらっていないときはいっさい音沙汰なし。)


彼の人生は本当に、波瀾万丈としか言いようがない。

よくここまで生きてこれたなーと思う。


ここから先は、こんなロックな父の、

私が忘れられない名言を紹介したいと思う。


「ウチの場合は、ドロボーが入ったら、逆になんか置いていく」

あまりに貧乏だったので、泥棒さえ不憫に思って、

盗むのではなく、逆に何か置いていってくれるんじゃないかという、

彼なりのジョーク。

「ブスは3日でなれるけど、おめぇは美人だから飽きられたんだ」

付き合ってた彼氏が浮気し別れ、泣きながら電話したとき、父が私に言った言葉。

こういう親がいたおかげで、わたしはブサイクでも生きてこれた。


「ナナ、お母さんの眉毛が石原裕次郎みてーになったから、整えてくれ!」

私が実家に帰ったときに必ず言われる言葉。

そして、整え終わると・・・

「おーお母さん!吉永小百合みたいになったぞー!やっぱりお母さんが1番いい女だなー」

と、必ず言う。

そうすると、お母さんは幸せそうな顔でニコニコする。


「スナックに飲みに行ったけど、お母さんよりいい女はいなかった」
外に飲みに行くたびに、私にこのような報告の電話を入れる。

「そんなマンガみてーなモンモン入れやがって・・・」

(モンモン=入れ墨)

私の腕のタトゥーを見ての一言。


「おめぇはトッポイ女だから、中途半端な男じゃ続かない」

(トッポイ=「生意気」みたいな意味らしい)

私の結婚相手について。娘を「女」よばわりする。


「俺はおめぇにどんだけ助けられたかわかんねーぞ」

酔っぱらって電話してきて、私への感謝を泣きながら述べる。


「俺は、こんなかわいい人と結婚できて、本当に幸せだ」

酔っぱらって、

「今、お母さんの寝顔を眺めてるんだけど・・・」と

電話をしてきて、お母さんへの愛を延々と述べる。


父の名言はまだ沢山あるが、

きりがないので、このくらいにしておこうと思う。


こんな酔っぱらってばかりの父だが、

倒産し、何年間も地元にいられなくっても、

毎日一生懸命に働き、

毎月家族にお金を送り続けてくれた。

そのおかげで、私はここまで育つことができた。


高校の時、上京するからいらないと言う私に、

ムリヤリ車の免許を取らせ、

私をアッシーに使ったが、今ではそれも感謝している。


母の病気が明らかに進行し始めた何年間かは、

うちも例にもれず、一家はめちゃくちゃになった。


本当に大変だった。


母は不穏状態が長く続いていたし、

そのせいで父は精神的にひどく不安定になり、

ほとんどアル中で、

ひどい時には救急車で運ばれるほど、

毎日浴びるように酒を飲んでた。

「お母さんを殺して、俺も死のうかと思う」なんて言葉を、

一体何回聞いたかわからない。


弟も泣いてるし、

あの時の私は家族全員の心のケアをしなければならず、

泣くことすら許されなかったように思う。

私が泣いたら、家族はいよいよ深刻になる。

だから私は、

いっぱいいっぱいになると、いつも一人で泣いてた。


ものすごい借金、母の病気、ものすごく早い時期の介護、

その他にも、もろもろ、

すべてが一般的な家庭じゃなかったから、

(もっと大変なおウチもあると思うけど・・・)

私は、「普通」がとてもうらやましかった。


でもすべて乗り越えてきた。

今は家族全員、本当に幸せだクローバー


それは多分、というか間違いなく、

父のおかげだと思う。

(もちろん周りの人の協力のおかげもある)


小さい頃から、いきなり倒産のような、

めちゃくちゃなことがよく起こったり、

酔っぱらいに応戦しなければならなかった為、

精神力のアベレージが鍛えられていたと思うし、


何よりも、


父が明るくて、おもしろかったから、

結局は笑うしかなくなって、

乗り越えてきたみたいなとこはある。

ってゆーか、ノリで乗り越えるしかなかった。


だから、こんな父だけど、私はめちゃくちゃ誇らしい。


私はこの男に育てられた。

だから強くなれた。


今、大変な状況におかれてる人も、

自分の生い立ちにコンプレックスがある人も、

人生を投げ出さずに明るく生きて欲しいと、

心から思う。


マジ、なんとかなっちゃうもんだよ 笑



小さい頃のビデオを観ると、3才くらいの私が、

甚平を着て、真っ黒のサングラスをかけた、

パンチパーマの男に抱っこされ、お祭りを見ている。


あんなにいかつい感じだった父も、今では小さくなった。


でも、

「娘はいつまでたっても嫁にいかねーし、

息子はカカアと子供がいるくせに、

いつまでたっても赤ちゃんみてーなこと言ってるし、

うちのガキどもは一体どーなってんだ!!(`Δ´)」

と、威勢だけはいい。


最後に、

父には、私がフィアンセを連れてきたら、

絶対に言うつもりだという、

何年も前から決めているセリフがある。


「ナナは俺の娘だけど、

俺の親友であり、

相談役でもあるから、

ハンパなことしてもらっちゃー困るよ」


まだいないけど、未来の私のフィアンセさん、

そういうことだそうなので、

ひとつよろしくお願いしますm(_ _ )m 笑



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