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今日は、努力と才能についてお話します。
私は子供の頃から、不器用で要領が悪くて、何をやっても、はじめは、ダントツにビリでした。
けれど、中学・高校・大学・大人と成長するにつれて、努力のコツがわかってきたため、努力が実ることが増えてきました。そして、努力が実る場合は、普通の人以上にできるようになりました。
けれど、やはり、習い始めのある一定の期間は、相変わらず「ダントツのビリ」なのです。
そして、その期間は、心無い仲間から、
「どうせ、お前はやってもムダ、ムダ。」
「下手なんだからやめれば?」
「一生懸命だけじゃダメなんだよ。」
「もうちょっと、考えてやったら?」
など、傷つく言葉がたくさん投げかけられます。
一生懸命にがんばっていても、そのこと自体をバカにされるのです。
「一生懸命だけど、全然ダメだよねー」
教えてくれる先生も、はじめは一生懸命にフォローしてくれていても、だんだんと
「いくらやってもだめだなぁ。もういいかぁ…」
とやる気がなくなっていくのがわかります。
それでも、わたしには、努力することしかできないのです。
惜しみなく努力を続けます。
いろんな方法を考えて、どうすれば、うまく慣れるんだろう…
日々、工夫と努力を重ねて、それでも、まったくうまくなれない…
そうして、みんながあきらめてしまった頃に、ある日、突然、私は「正解(コツ)」をつかむのです。その時を境に、猛烈なスピードで成長し、あっという間に、普通の人々を追い越して、上位へ躍り上がるのです。
あまりの豹変に周囲の感情がついていかない場合もあって、ねたまれたて
「まぐれでしょ」
「私より、下手だったくせに!なんで?!」
と嫌味を言われたりすることもあります。
けれど、まぐれでないことは、その後の時間の経過で自然とわかります。
そうして、上位へ躍り上がっても、手の抜き方を知らないので、地道に努力し続けます。気がつくと、私を笑っていた人たちは、はるか下界にいるのです。そして、上位に定着した私に対して、それまでの私を知らない人だけでなく、私をバカにしていた人々までが、決まってこういうのです。
「才能があっていいね。」
私は、この言葉に対して、猛烈に怒るのです。
なぜなら、私は、決して才能があったわけではなかったのですから。
私の努力を知らない人なら、そういうのも仕方がないと思えます。
けれど、そのことを知っている人が、自分が追い越されたことを認めたくなくて、「才能があった」ことにして、やり過ごそうとする。あるいは妬む。
許せません。
人よりも劣る状態から、周囲の冷たい目にも屈せずに、猛烈な努力を重ねて、やっとたどり着いたのです。それにもかかわらず、ほとんど努力もしていないような人から「才能あっていいね」なんて、言われたくないのです。
「私には才能がないから」。
そんな言い訳をして、がんばろうとしない。
場合によっては、「才能があっていいよね」と妬む。
世の中にそういう人がどれだけ多くいるか…
その一方で、特に努力らしい努力をせずにうまくできたた事に対して、
「才能があっていいね。」
と褒められると、素直に「ありがとう」といえるのです。
主に、美術関係のことでは、よくありました。
自分が才能だと自覚しているから異論がないんですね。
さて、「才能」といわれることがそれだけ辛かったのか…
それは、休職に追い込まれるほどのダメージを与えたのです。
私は、しゃべるのが苦手でした。
けれど、そんな自分を変えなくてはいけない…
そう思って、決心をしたのが小学校4年生の学年末でした。小学校5年生でクラス替えがあって、新しいクラスになったとき、自分を変えようと考えました。
そうして、慣れないながらも、人としゃべれるようにがんばりました。
けれど、うまく話せなくて、何を話していいのかもわからず、変なことを話してしまったり、たくさん失敗しました。なかなか友達もできませんでした。
小学校5・6年の担任の先生には、”よくわからん変な子として”煙たがられていました。
それでも、
「どうやったら、うまく話せるようになるだろうか…」
中学に入り、成績が上がって先生にも周囲にも一目置かれるようになってからも、その努力は続きました。
高校、大学と進み、塾の先生のバイトをしたり、家庭教師をしたり、大学の部活での人間関係、いろいろな場面で、その気持ちを一時も忘れることなく、努力を重ねて、大人になりました。
社会に出る頃には、人前で話をすることも、文章を書くことも、人並み以上にできるようになりました。
テーマがある会話なら、きちんとこなせるようにもなりました。
顧客サポートを経て、システムエンジニアになって、お客さんとの会話がとても重要だと気がついてからは、いかにお客さんから必要な情報を引き出すか、お客さんが困らないようにサポートできるか、常に改善・改善を重ねて自分に磨きをかけてきました。
ですから、ビジネスの場でも、顧客との打ち合わせなどは、普通よりも秀でた対応をできるようにもなりました。
そんな私に、その当時の上司が言った言葉。
「君は、才能があるからできるんだよ。
他の人は、そんなのできないよ。」
私が、部内の改善を求めても、この一言で拒否です。
私からみれば、ほんの少し注意をするだけで、できるようになる人たちなのです。
私のような、猛烈な努力なんていらない。
少し、気持ちをかえるだけで、大きく改善できる人たちなのに…
けれど、
私には『才能』がある
ということにして、それを言い訳にして動こうとしない。
そして、都合の悪くなると、
「君にしかできないから」と、私に押し付ける。
そんな日々が続きました。
私の中には怒りを通り越して、憎しみの心が芽生えました。
私には、才能なんかない!
こんなに死ぬほどの努力をしているのだ!
なぜ、それがお前らにはわからないのだ!
「才能がない」ことは理由にならないんだよっ
そう、
「才能がない」ということが言い訳にならないことは、私が一番知っているのです。
才能がなくても、ここまでできているのですから。
そのことを訴えました。
けれど、逃げることしか考えていない人間にとっては、それを認めたら、逃げ場所がなくなるので、イヤなのでしょうね。
頑なに、認めることを拒みました。
そんな中で、ふと気がつきました。
「『努力できる』ということ自体が才能なのかも…」
けれど、もう疲れきって怒りでいっぱいになってしまっていた私の心を鎮めることはできませんでした。
そんな、心無い言葉を投げる上司と同僚の部署で、私は壊れました。
休職後、イチロー選手のこんな言葉をどこかで読みました。
「僕を天才という人がいるが、それは違う。
ただ、もし努力する才能、というのがあるとしたら、
僕にはその才能がある。」
コレを読んだとき、思いました。
世の中で天才と呼ばれて活躍している人は、きっと私と同じ思いをしているんだな…と。
もちろん、私とはぜんぜんレベルが違うけれど。
世の中で有名になるほどの人は、才能のあるなしに関わらず、猛烈な努力をしているはずなのですよね。
けれど、世間の人は、その努力を見ることなく、
「天才」「才能がある」
としか言わないのです。
かの発明王エジソンも
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である。」
との名言を残しています。
つまり、努力がほとんどなんだよ。才能なんてスパイスみたいなもんなんだ…
そんなことを言いたかったのでしょう。
エジソンもまた、なみなみならぬ努力の人でした。
けれど、成功したエジソンに贈られた言葉はきっと、「天才」という賞賛の言葉だけだったのでしょう。
イチローもエジソンも、
「才能」を言い訳にしてねたむ人々に辟易していたのではないでしょうか。(これは想像だけど。)
だからこそ、このような言葉が出たのだと思います。
けれど、私は確信しました。
『努力できる』ということが、『才能』なのだと。
つまり、天才と呼ばれる人になるには、
何か特定のことに秀でた才能と「努力できる」才能の2つが必要なのだと。
つまり、「努力できる」才能を持たなければ、どんなにすばらしいほかの才能を持っていたとしても真の天才にはなりえないのだ…と。
少なくとも、私はこの2つのうち、
『努力できる』という"才能"だけは持っている。
きっと、自分の持つ才能に正しく使えば、天才になれる可能性がある!
(あくまでも、"可能性"だけですけどね~
しかも、間違った方向に使うと、天災になるという諸刃の剣っ)
多くのあすぺさんは、自覚がないかもしれないけれど、『努力できる』という『才能』を持っています。
なぜなら、生育過程で、努力せざるを得なかったからです。何をするのも、ふつうの人よりもがんばるのが当たり前だったのですから。
それを、自分の得意なことに向けてみてください。
少なくとも、人並み以上にはなれるでしょう。
そしてなによりも、『過集中』というすばらしい能力を持っています。
私自身、過集中がなければ成しえなかったことがたくさんあります。
『過集中』は、人並みはずれた"努力"を可能にする1つの能力なのです。
ですから、努力の方向を少し工夫するだけで、大きく伸びる可能性を秘めているのです。
いま、やっていることがうまくいかないあすぺさん。
少し手を止めて、今、自分が闇雲に突き進んでいる方向をよく見てください。
何か工夫できることはないでしょうか?
常識から少しはなれて、自分に合った工夫をしてみて下さい。
それだけで、きっと、大きく変化できるはずです。
決して、自分をあきらめないでください。
あすぺさんは
努力の方向しだいで
天才にも
なり得るのです
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