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私はアスペルガー症候群でしーた♪-あすぺさん009


障害を持つ人が、世間に対して「障害を理解してもらいたい」と言うことがあります。


そこで、今日は
障害を持たない人が"障害を理解する"とはどういうことか

について考えます。


まず、はっきりと言えるのは
障害を持たない人に障害者の"世界そのもの"を理解することはできない

ということです。


人は、自分が経験したこと以外は、わからないのです。どんなに想像を膨らませても、日常の些細なことや微妙な心境までわかることはできません。


私自身、"体験しないとわからない"こと身にしみて感じたことがありました。
その体験を交えて、"障害を理解する"ことの難しさを考えてみたいと思います。


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私は、空間認識力が非常に高いので、地図さえあれば迷わずどこへでもいけます。地図を見ると、周りの景色と空間的なひろがりまで、一瞬にしてリンクできます。もちろん、地図をくるくる回して見る必要もありません。


しかし、一時期、抗ウツ剤の副作用で、空間認識能力ががっくりと落ちてしまいました。その結果、突然、地図が読めなくなりましたガーン


いつものように、地図を見て歩いても、自分の意図とは違うとんでもない方向へ歩いていってしまうのです。いわゆる『方向音痴』になってしまったのです。


実は、私にはひどい『方向音痴』の友人がいます。いつも、一緒に出かけると、どんなに簡単な道順でもとんでもない方向へ行こうとします。ことごとく、正しい方向とは反対の方向へ行くのです。


「なんで?どうやったら、そっちだと思うの?」えっ


不思議でたまりませんでした。きっと、『方向を意識しながら歩く習慣』がないからだと思っていました。


しかし、そうではないとはっきりとわかりました。空間認識力が落ちると、どんなにがんばって方向を意識しても、その方向自体が間違った方向なのです。


どんなにがんばって注意して周囲を見ても、自分の周りの目印の建物と地図上の建物がリンクできないので、地図を見て、自分の現在地を正確に把握することすらできません。


「あ、間違った。戻ろう」と思っても、なぜか元の場所へすら戻れない…
ことごとく正解と反対の方向へ曲がろうとする…


まるで、目的地を避けるかのように、目的地周辺のあらゆる方向を歩いて、最後にやっと目的地にたどり着きました。駅から歩いて3分の目的地にたどり着くのに、1時間半も歩き回りました。普通なら絶対に迷わないような、ものすごく簡単な道順だったのに。



あまりのことに、


「狸に化かされているのか…」
「『世にも不思議な物語オバケ』の中にいるのか…」
「家に帰れないんじゃないか…」


真剣に、恐怖叫びを感じました。



そこで、初めて理解しました。


友人は『空間認識能力が著しく低かった』のだと。

どんなにがんばっても、わからなかったのだと。



"方向を意識してないからだよ"
"ちゃんと周囲の景色を注意したらいいんじゃない?"
"ことごとく反対へいくなぁ。も~、おもしろすぎ!"


私が友人に、どれだけ的外れなアドバイスや、心ない言葉を発していたか…


私が、言われて一番辛い言葉

「なんでできないの?」

を、私自身が言っていました…


本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたしょぼん



その後、原因となった抗ウツ剤の服用をやめると、元のように地図が読めるようになりました。


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実際に方向音痴を体験をして、
他人の障害を理解することがいかに難しいか
ということを、身にしみて感じました。



私は、常日頃から障害者の苦労を理解しようと、意識して想像するように心がけています。けれど、所詮は"想像"でしかなかったのですね。


テレビや雑誌で障害を持つ人の生の声を聴くと、私の思いも及ばない、私にとって"ほんの些細な事"でも、不便を感じているのだと気づかされます。


私は、たまたま、薬の副作用で、自分とは異なる障害を体験できました。けれども、普通は、障害を実際に体験することはできません。


では、体験できなければ理解ができないのか?



そうではないですね。


大切なのは、
どうすれば、障害を持つ人が住みやすい世界になるか
を、考えることだと思うのです。



障害を持つ人にとって、一番辛いことは、
この世の中が、住みにくい・生きにくい
ことです。


文字通り、世の中には"障害"となるものがいっぱいあるのです。



つまり、


"障害"とは、
欠けている能力のことを指すのではなく、
欠けていることで"不便を感じさせる世界"にあるのです。


大切なことなので、言葉を変えて繰り返します…



支援をする人に一番わかってほしいのは、
障害を持つ人が、不便を感じる事を減らしてほしい

ということなのです。



そして、障害の当事者である私たちは、ただ"障害を理解してほしい"と言うのではなく、

"こういう事情があるので、コレをこうしてほしい"

と、支援する人が"具体的に取り組みやすい形"に言い換える事が大切だと思うのです。


"障害の世界そのものの"理解よりも、



障害によって何が"障壁"になっているのか、
そして、

その"障壁"をどうしたら取り除けるのか、
ということを、
支援者と当事者が一緒に考える。



そういう方向に進んでほしいと願っています。



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