ゲームに見返りを求める時代は終わったのではないだろうか。 | Aちゃんねる~2ちゃんねる重鎮コテA助様がゲームを斬る!

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 今回野安氏が実にタイムリーな記事を書いている。

というのは、その記事がまさに俺が今日書こうとしていた内容なのだ。

まぁ、野安氏にとっては単に前回の不本意な任天堂批判記事を隠すため、

これまで何度も記事にした内容を今更不自然なタイミングでまた記事にしただけだが、

俺はそういった大人の事情とは関係なしにゲームをプレイすることでの見返りについて書く。


http://retro.mmoh.jp/e53689.html


 まず野安氏の記事を読んでいただきたいのでリンクを張らせてもらおう。

野安氏の記事の内容を要約するとこういうことだ。


・人々がゲームをするのは報われるから=見返りがあるから

・任天堂商品は、見返りがゲームの中だけで完結していない→(絶賛記事への準備)


 まぁ、この手の主張はよくあるごくごく平凡なものである。

従来のファンが求める見返り、そして新規のファンが求める見返りには隔たりがあり、

任天堂の成功はゲーム内だけで完結しない見返りがあるからだと言いたいのだ。

知育という言葉で表現されるように、単にゲームの腕じゃなく自分の実力を上げられると。

ただ、俺が思っているのはそういったゲーム外での見返りを求める傾向の台頭ではない。


 例えば、PS時代にはCGムービーが見返りとされ、「映画のようなゲーム」と表現された。

ゲームを進めたりクリアすれば豪華なCGムービーが流れ、それがご褒美であると。

だが、結局その見返りは次第に飽きられ「ムービーゲー」という批判的な言葉を生んだ。

現在ではNDSでの非ゲーム的なソフトは「実用ソフト」と呼ばれているが、

これはゲーム内での見返りを求める従来のゲームファンには満足できる見返りがなく、

ゲームとしての面白さがないという批判めいた意味を込め「知育」と表現されている。

ゲームファンと実用ソフトを望む新規層の間には見返りに対する考えに大きな隔たりがある。


 だが俺は思う。

「ゲームに見返りを求める時代は終わったのだろう。」


 先日俺はセガラリーレヴォとファミリースキーを購入した。

どちらも従来ゲームのフォーマットだが、プレイヤーに見返りを与える姿勢は少ない。

セガラリーレヴォだが、今のゲームと比較すればシンプルな作りだ。

モードは少なく、今日はどんな遊び方をしようかとプレイヤーを悩ませることはない。

ファミリースキーもそう。

ゲームを進めていけば衣装などを変えられるご褒美的な要素もあるが

それがこのゲームをやるユーザーにとって見返りなのかと言われればそうではない。

じゃあ、なんでこれらのゲームをやるのか。

見返りのないゲームをやる動機とは?


 そう、動機。

見返りがないゲームをやる動機。

これは良ゲーの証である楽しさ、気持ち良さがあるからだろう。

よくゼルダなどで「平原を馬に乗って走ってるだけで楽しい」という褒め方をする人がいる。

これは嘘だ。すぐに飽きる。

なぜなら、ゲームを進めることで得られるものが無目的に馬に乗るより勝っているからだ。

俺がファミリースキーをやってみて最初に感じたのは、言わばわかりやすい見返りのなさ。

ゲームを進めれば魅力的なキャラが増えるわけでもなければ新しい山が登場したりもしない。

そこにあるのは単にスキーをする場だけである。

だが、これしかないからとスキーを続けていくうちに実に気持ちよく楽しさを増していった。

おそらく今のゲームに必要なのはこれなのだろう。

別に見返りはないけど楽しいからやる。

もちろん見返りを求めるユーザーがいる以上ファミリースキーもそういったものを加えれば

おそらく現状以上の売上げを獲得できただろう。

だが、予算の都合か開発期間の都合か、その判断は見送られた。

しかし、それによって見返りとして用意されたものではなくゲームの本質で楽しむという

ゲームの本来の姿を見た気がしてならない。


 先日発売されたスマッシュブラザーズX。

槍玉に挙げてしまうようになるかもしれないが、多数のキャラクターが登場し、

一人用のアドベンチャーモードも用意されて盛りだくさんの内容だ。

だが、こういったゲームにありがちなのがいわゆる「キャラ出し」である。

わかりやすく言えばデッドオアアライブシリーズでの「コス出し」だったりするが、

何のためにゲームをするのかわからなくなる動機づけがなされているゲームが多々ある。

そしてそういったゲームに共通しているのは、それらの見返りを得た直後に始まる飽きだ。

きっと皆さんも経験したことがあるだろうが、多くの見返りがあるものほど、

プレイヤーはそれを得ようと躍起になりゲーム熱は一気にピークを迎え失速する。

丁度Wiiが発売から半年程度で失速したように。

結局のところ見返りを与えることで支持を得ようとするゲームは長持ちしないのである。

むしろ、ゲームの本質を追求しそこで遊ばせるゲームこそが素晴らしいのであり、

ユーザーに楽しさ、気持ち良さという最高の見返りを提供できるのだ。


 野安氏の記事とはややニュアンスが異なる見返りの話だが、

セガラリーレヴォやファミリースキーをやって感じていた清々しさは、

ゲームの本質で楽しむことができた喜びに他ならないのだろうと思っている。



ナムコ
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セガ
セガラリー REVO
セガ
セガラリー REVO