「主語を抹殺した男」とそれに続く男 その2 | 飛鳥カナ配列 ☆未来の子供たちへの贈り物☆

「主語を抹殺した男」とそれに続く男 その2

これは、07/12/14の記事です。
前回(リンク)は「日本語には主語など無い」ことを前提に、三上章(ミカミアキラ)氏
と金谷武洋(カナヤタケヒロ)氏という二人の先進的な日本語文法学者を紹介しました。
(「国文法」というと古典文法に適用されることが多いので、上の表記をします)

しかし小中学校で国語の、また中高では英語の授業の中で散々「主語
・述語」と、述語はともかく、あたかも主語が日本語にもあるように
叩き込まれてきた皆さんは、藪からスティック(^^;;に「日本語には
主語がない」と言われても、なかなか納得できないでしょう。

まあ、あの二人の本を読んで頂くのが一番いいのですが、そこまでする
人はあまりいないと思うので、今回は私がお二人とは異なる切り口から
「日本語主語不在論」を展開していきたいと思います。


まず、日米の幼稚園児にアイウエオやABCを教える時のことを考えます。
言葉ではないのは、幼児でも基本的な言葉は知っているからです。
また、その段階以前に文字を教えるのは無意味です。

で、私なら子供たちに絵を描かせます。ここでは、男の子と女の子の絵です。

日本なら絵の下に「おとこのこ/おんなのこ」と、アメリカならboy/girl
という字を書いてあげて、「これはどう読むのかな?」と読み方を想像させます。
ここまでは、日米共通です。

ここでは男の子は短パンにサッカーシューズ、女の子は
スカートにサンダルを履いているとします。

で、カナやABCの読み方が身についたら、次は同じ絵の下に「文章」を書きます。。

日本語なら「おとこのこです。おんなのこです。」と「です。」が付くだけです。
英語だと、お馴染みの This is a boy. This is a girl. です。

ここで、あれれ??日本語の方も「これは男の子です。これは女の子です。」
じゃないの??と、思う人がいるかも知れません。

しかしそう思ったあなたは、中高の英語の授業に毒されています!

だって、「これは男の子です。」のように書いたら、その子について、
続く文で何か書かれることを期待するのが日本語だからです。

「これは男の子です。短パンとスパイクを履いています。サッカーが大好きなのです。」
のように続いて、「大好きなのです。」で締められると日本人は納得が行きます。。

つまり、「は」で受けられる主題は次の文、更にはもっと先の文まで最初「~は」で述べ
た*主題が影響を及ぼし続けるので、一つの短文だけで終わると文の座りが悪いのです。

*主題は主語とは違います。主語は構文的に必須のもので省略は普通されないものです。
 欧米系の言語では必須ですが、日本語にはそもそも最初から存在しないものです。。
 一方、主題は構文的にはあってもなくてもいいもので、「これからこのことについて
 書くよ」と、読者の注意を喚起するもので、それがある文だけではなく、後に続く幾
 つかの文でも同様にそのことについて書かれます。as for ~の~に当たるものです。


ですから、一文で終わるときには係り助詞の「~は」は、多くの場合使えないのです。
(↑のように普遍的な事実を表すときには使えます。「三足す三は六」みたいに。)


(この、「~は」で受けられた最初の主題が、句点を越えて次の文、更に次の次の
 文の主題や主格補語・目的語補語になり続ける現象を、例の三上氏は「『は』の
 ピリオド越え」と、「義経の鵯(ひよどり)越え」をもじって命名しています。)

所謂「スーパー助詞」の「~は」は作用が強力すぎて先の文章にまでその影響
を及ぼすことが期待されるので、一文のみでは成立しないことが多いんですね。


では今度は、「これ『が』男の子です。」と、格助詞の「が」を使ったらどうでしょう?
↑の「これ」も「これについて書くよ」の注意喚起なので、主語でなく主題になります。

しかし「が」の使用は、主題に対する限定が強くなりすぎます。短パンにサッ
カーシューズを履いていないと、「男の子」ではなくなってしまうからです。

そして、絵の下の「文章」として一番自然なのが、「男の子です。」
という、主語というか「主題なしの」名詞文なのです。

日本語は、述部のみで文法的に成立して、「~は」の主題は

|  ↑の「は」が主題の「日本語」を受け、「これから日本 |
|語について書くよと、読者の注意を喚起しているわけです。 |

必要に応じて置きますが、文法的には必須ではないのです。
必須ではないのですから、主題は主語ではないんですね。

だから、This is a boy.に一番近いのは「男の子です。」という
主語は勿論、主題も無い述部のみの名詞文なのです。

(三上文法によると、日本語の基本文型は↑のような「名詞文」、「痛い。」
 のような「形容詞文」、それに「見る。」というような「動詞文」の、たった
 三種類しか無いそうです。それらに、主格補語・目的格補語などがくっついて
 長い文章になるらしいです。詳しくは、金谷氏の著作をお読みください。)

繰り返しますが、「これは男の子です。」で、次の展開のない文章を読むと私
達は違和感を覚えます。また、限定される筈もないものに「が」を使われても
違和感ありありなのが、日本人の言語感覚なのです。子供でさえそうなのです。

では、「~は」も「~が」もダメだったらどうするか?

だから主語もどきを付けない「男の子です。」が一番自然なんです。

しかし、学校の英語の授業はそういう日本人の真っ当な言語感覚を
(一時的に)殺す作用があります。

「これは男の子です。」「私は彼女を好きです。」という類の不自然極まる
誰も使わない日本語が、正しい日本語訳として推奨されている世界ですから。

と言っても一旦英語の授業が終わると、生徒たちは主語のない自然な日本語で
友達と会話します。他の教科の授業が始まれば、教科書だって主語もどきの付
いている不自然な日本語で書かれているものはないので、実害はないんですね。

ただ、日本語を外国で勉強している外人となると、話は違ってきます。
彼らには日本語の感覚など端からないわけで、教室で習ったものだけ
が日本語ということになります。

そして、日本語教科書の例文の殆どは橋本文法的な「英語の直訳調」
で書かれていますから、外国の日本語学習者に及ぼす被害は甚大です。

「これは本です。あなたは先生です。彼は本を読みます。」など、あり
得ない日本語を習ったら、後は同じ文型を使い回すことになるからです。

日本人の女の子に向かって「これは私の車です。私はこの車を大好きです。」
などと、日本人には違和感満載の文章を言ったりするんです。

日本人の方も「なんかおかしいけど。。まっ、いっか。外人だから。。。」
と思って、親切に直してあげることはないでしょう。

というか、彼女自身がその日本語がおかしい理由がよく分からないんですね。
学校で習った英文の日本語訳通りですから。

でその挙げ句、「私はあなたを愛しています。」と、
その外人さんにコクられちゃうんです。。(^^;;

でもこの辺を金谷先生は、きっちり英語やフランス語と対照させて、
日本語に主語がないのをカナダ人の生徒に教えているんです。

だから、「好きだ♪~/好きよ♪~」と、彼の生徒はちゃんと正しい
日本語の動詞文でコクれちゃうんですね。目出度し目出度し。。(^^;;


で、上で挙げた「Aこれは男の子です。B短パンとスパイクを履いています。
Cサッカーが大好きなのです。」という、自然な日本語を例に採ってもう一
度解説します。

日本語ではBCの展開があって、初めて係り助詞「は」の使用がAで
適用されているのです。

英語にはそんな事情はありません。ただ、その絵を文字でThis is a boyと
解説すれば済みます。

では、何故日本語では「これは」のような(いわゆる)主語は不要どころか、
余計になっていて、英語では必要なのでしょう。
まあ、日本語では「~は」は次の展開を期待させるので、単独の
文章では、ある方が不自然なことは既に述べました。

それに、そもそも「ない方が自然な」(いわゆる)主語が、構文的に
必須な、英語などで言う「主語」である筈はありません。。

しかし、英語では主語を書かないわけにはいかない事情があるのです。

英語ではis a boy. と書くことはできないからです。
主語がないとbe動詞がisになる理由もなくなりますから。

つまり、英語や殆どのヨーロッパ系言語では、主語によって
「動詞の活用」が決まるので主語がない文は書けないのです。
書けなかったら、言うこともできません。

主語なんてないものにまで、 It is fine.とか It is 2 o'clock.
と、itみたいな訳の分からない主語を立てないとisというbe動詞
が決まらず、お天気や時刻一つ言えない不便極まりない言語が、
英語やその仲間たちなのです。

しかし、そんな面倒な事情はシンプルな日本語にはありません。

日本語では*主語により動詞が異なる形に活用されることなど
一切ありませんから、主語なんて不要なんです。
*(敬語だ謙譲語だというのは、また別の話。。)

上の英文は、F「晴れです。二時です。」の名詞文で済むのです。

だから主語は日本語には存在しませんし、英語の直訳のように
主語じみたものがあったら却って不自然に響くのです。

日本語主語擁護論者はFは「(天気は)晴れです。(今は)二時です。」
の「天気は・今は」という主語が省略されたものだと言うそうです。

しかし、常に省略されて誰も言わないものを「主語があるけど省略される」
と言い張るのは、日本語を無理矢理英文法に合わせようとしているだけで
逆に主語不在の日本語の仕組みを分からなくするのに役立つだけなのです


でも、いくら何でもThis is a boy. なんて幼稚な文章だけ例にされても
納得できないという人には、今度は駅弁大学の英語入試問題レベルの英文
をでっち上げて、「日本語には主語がない」ということを解説してみます。

A.
The peace of one country can not be brought by possesion of
strong armed forces but by friendship with other countries.

これは、私が評価打鍵用に丸暗記している憲法の精神の一部を
英語で書いたものです。

この訳は、
「一国の平和は強力な軍事力の保持によってではなく、
他国との協和によりもたらされる。」でいいでしょう。

でも、この日英両方の文章は少し弱いです。というのは、肝心の
部分が長い一文の後方にあるため、浮き立ってこないのです。

そこで、この文章を二つにぶった切ります。

すると、

The peace of one country can not be brought by possesion of strong armed forces.

But it comes into reality through friendship with other countries.

とかになります。be broughtを下の英文で使わなかったのは、「同
じ形を続けて使うとアホに見える」という英語の事情によります。

Cの冒頭のitが省略できないのは、省略すると次に来るcomesがその
活用形である理由が説明できないという、前述の理由に因ります。
それ以前に、主語がないと英語にならないですしね。

では、今度はAの意味を二つの日本語文にしてみます。
D「一国の平和は強力な軍事力の保持でもたらされるものではない。」
E「他国との協和によってもたらされるのだ。」
が自然でいいでしょう。

日本語では「もたらされる」という同じ形の繰り返しはアホに見える
どころか、書き手の強い信念を表せるので繰り返してみました。
逆接の接続詞butは、日本語では読めば逆接だと分かるので無視します。

ここで、Eには「主語もどき」の「それは」を付けるべきと、英文解釈の悪影響
で思われるかも知れません。しかし、「それは」を付けると、何せスーパー女子
じゃなくって!スーパー助詞の「は」のことですから、「一国の平和」を主題や
補語にした文章が、更に次に続かないとおかしくなるのです。

それにどう考えても、「それは」がない方がメッセージが強く伝わります。

だから、Eは主語というか主題無しの動詞文が適しているんですね。

この例でも分かるように日本語には「主語など無い」ということが、
これで納得できたでしょうか?
主語ならぬ主題も必要に応じて言うもので、上の「男の子です。」が
*完全な文章であることでも分かるように、必須なものではありません。

*英語でI walk. がSVの「完全な文章」であるのと同じ意味でです。

あと、前回金谷武洋氏の著書の紹介をしなかったので、付け加えます。
良かったら、買うか図書館などで探すかして読んで下さい。

私の記事の解説だけでは納得がいかない人も多いと思いますから。

ただ、四冊目は図書館に返したので題名が分かりません。。
我ながらいい加減だ。。(^^;;

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「日本語に主語はいらない」(百年の誤謬を正す)講談社選書メチエ230¥1,500

「主語を抹殺した男」(評伝三上章) 講談社刊 ¥1,700

「英語にも主語はなかった」(日本語文法から言語千年史へ)講談社選書メチエ288¥1,500 

ついでに53年前の三上章氏の本も。。 図書館にあるかも。。

「現代語法序説」(-主語は必要か-)刀江書院刊(潰れてそう。)¥320!!

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*あっ、考えたら家でネットができない私は、一度も「三上章・金谷武洋」
 でググっていませんでした。どなたか、この二人に関して詳しく書いて
 あるサイトを発見したら、この記事のコメント欄ででも教えて下さい。

でも、私、すぐ上に書いた四冊の本の題名など以外、一切何も
見ないで二つの記事を書いてきたんです。こういう自分の頭の
中にあるもの以外には「何も参照しない」というのも、自分の
思考を深めるのには、存外いいのかもしれません。

いくらネット検索が便利だと言っても、あんまり何でもネットや
本で調べ過ぎるのは、自分ならではの独創性をなくしますからね。

これから新たに本格的な親指シフトの配列を作る人がいたとして、
私の書いたものを読んだら、その人はなかなか飛鳥理論の外には
出られないと思えるのと同じことです。

私なんかニコラが清濁同置だということさえ何も知らないで、
清濁異置を当然至極の帰結として、疑いもなく飛鳥を作り始
めた始末ですから。。(^^;;

でも、作り始めた時に既に自分の中にあるQWERTYの英文と
JISカナの経験があるだけで、後は国研の単独カナ出現
率以外何も調べなかったからこそ、今の飛鳥があるんです。

不勉強や無知も、創造という面では案外有効なときもあるようです。

あと、この記事は借りてきた金谷氏の著作三冊を読み終わっていない
段階で書いているのですが、今、三上氏と金谷氏の略歴を読んでいたら
面白いことに気付きました。

三上氏は、東大工学部卒なんです。金谷氏も東大の仏語科だし、
どっちも日本語と無縁なことをを大学ではやっていたんですね。

でも、三上氏は後に国文科の教授になっていますし、金谷氏も
今はモントリオール大学の日本語科科長なんですね。

どうも、最初から国文科で文法などやるより、畑違いのことをやった
経験がある方が、旧来にはない新しい視点で物事が見られるようです。

私にしたって、二人とは異なりその辺の駅弁大学出という違いはあっても、
企業や研究所の日本語入力の専門家なんかでは全然無くて、タダの田舎の
塾の先生でしたから。大学も英文科ですしね。。

ううん、しかし彼我の学歴の差が経歴と発信力の差になってるな。。
残念!!

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さて、前回と今回の記事を読んで、「何で配列作者が配列に無関係な日本語
文法のことをこうも長々書いているんだ?」と思われた向きも多いでしょう。

しかし、私は「本当はこういうのが書きたかったので飛鳥を作った」気がします。

だってこんな長いの、ローマ字やJISカナだったら打つ気になりませんって!
飛鳥文書を書くのは私にとって「仕事」なので、面倒でも義務感で書くのですが。

でも、こういう書かなくてもいい「仕事以外の文章」は、飛鳥が発声通り、
他のより短時間で打てるから書く気がするんです。

まあ、本当の仕事の文章ならJISカナでもローマ字でも我慢して幾ら
時間が掛かっても打つのでしょうが、タダじゃやる気になりませんから。

いくら長くても打つのが面倒でなければ、他の飛鳥人も書くことで自分の
発想や思考が深まって、自身やこの国の将来にプラスになると思うんです。

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飛鳥は、ユーザーの皆さんが自分の言いたいこと「全て」
を(従来に比べて)短時間にまた腱鞘炎とも無縁に気軽に
「書き切る」ことができるために存在するんだと思います。

飛鳥はそのための「便利な道具」にしか過ぎません。

問題は、その道具をどう使いこなしていくかでしょう。

私は、道具を完成させました。

ただ私には、飛鳥を使いこなして、ペンじゃなくて、
キーボードで現実に働きかける時間とエネルギーは
もう残されていない気がします。

しかし、若い皆さんは違います。道具を作るエネルギーは
不要だったわけですし、時間もたっぷり残されています。

ですから、飛鳥という強力なこの道具を、皆さんには
これから有意義に使いこなして頂きたいなと思います。



さて、私は配列界の三上章になれたのでしょうか?


そして私に続く配列界の金谷武洋は、果たして
出現するのでしょうか??