「主語を抹殺した男」とそれに続く男 | 飛鳥カナ配列 ☆未来の子供たちへの贈り物☆

「主語を抹殺した男」とそれに続く男

これは、07/12/12の記事です。


今回は、配列ネタから少々離れて、て最近の私の8年ぶり
の読書!に関したことを、ヒマネタとして書いておきます。

RTYUGHBを極端に避けたり、シフトの連続・清濁異置など、
今までの常識に囚われないお陰で打ち易くなっている飛鳥ですが、
同じようなことが他の「言葉絡み」の分野でも起きています。

それは日本語文法の世界です。

今まで常識だったことをひっくり返えす発想をした先人に、
三上文章(あきら)という日本語文法の変革者がいます。

「日本語には主語はない」と喝破した人なんですね

(ちなみに中国語や朝鮮語にも主語なんてないので、言語に主語がないの
 は何も珍しいことではないそうです。 一々主語を立てないと文章一つ
 作れない欧米系の言語の方が、世界ではむしろ少数派らしいんですね。

 学校的な日本語文法は国学者ではなく、欧米系の言語をやっていた
 洋学者の系譜の人が作ったので、英米基準の鹿鳴館的な発想で作ら
 れています。当然、日本語に近い中国語や朝鮮語の知識が殆どない
 人達が作っているのですから、英文法には対応しているものの日本
 語を説明しようとすると、省略とか例外の山で、これは文法になっ
 ていない証拠です。英語などの文法は本来日本語を説明をするのに
 は向いていなのです。)

でこの人、三十数年前に亡くなった学者さんですが、専門書だと
いうのに、文体が私と似た一般人相手の「話しかけ体」で、全然
学者っぽくないんです。駄洒落や地口も満載ですし。
今でも滅多にない学者のタイプですが、昔なのでもっとユニークです。

「飽きずに面白く読める」という読者へのサービス優先で、最初
から自分をエラく見せようなんて気は、サラサラないんです。

内容も、頭の中や論文で繰り返し述べていることですから、本を
書くときは、自分には分かり切った内容をどうやって面白く読み
手に伝えようと頭を使うのが当然だと思って、中身より表現に
工夫を凝らしているのが窺えます。

一般に、学者さんの書くものには、そういうものが少ないので、
この人の軽い文章は貴重です。

で、三上さん、私と同様権威なんかクソ喰らえって感じですね。

ただ、私と大きく違うのは、彼自身が権威という点なんですが。。(^^;;
漱石もそういうところありましたが、それと共通してますね。

で、彼は教授とか博士と呼ばれると「三上さんと呼べ」と叱ったらしいです。

まあ、博士号を取ったときは「これは就職用」と、照れ隠しに言い訳
をするような人なんですね。
(漱石の方は「下らん」の一言で、くれると言う博士号を返上しましたが)

でもこの人、地方の名家の出で、叔父さんには三上義夫という世界的な
数学者がいるんです。私のようなその辺の馬のホネとは大違いです。


で、三上氏の生存中は日本語文法とは無縁の仏語科の学生だったにも
係わらず、三上氏の死後、著作を通じて私淑した人に金谷武弘という、
これも日本語文法の博士がいます。

この人は私より少し年下と(私から見れば)若くて、ひょんなことから
カナダで日本語教育を実践しているうちに、彼我の文法の差に興味を
持ち、今は日本語教育の他に日本語文法の専門家にもなっています。


先週はTBSラジオで彼の本の朗読をやっていました。夜の11時半からの
20分番組ですが、人気のアクセスの後の帯なので、結構いい時間帯です。

それはともかく、金谷氏は留学で行ったカナダに居着いてしまって、
奥さんも留学時代に知り合った地元のカナダ人なんです。

彼岸で日本語を教えたり眺めたりしてるために、
逆に日本語の本質がよく見えるみたいなんです。

それに彼、日・仏・英のトライリンガルですしね。

もともと彼の留学の目的はフランス文学の研究だったんです。そのために
モントリオールもあるフランス語圏のカナダのケベック州に留学したんです。

まさかカナダくんだりまで行って、それも帰国することなくそこに居着いた
ままで、ありがちなフランス文学ならぬ日本語文法の専門家になろうとは、
彼自身知るよしもありません。全く人生、先のことは分からないものです。

これで分かるように、先のことは自分でも分からないので、「長文を打た
ない人用の入力法」なんて、千里眼限定の配列を目指すはヘンなんですね。

それはともかく、私は図書館にあった金谷氏の本四冊全部読んだんです。

まあ、今世紀に入って初めてのまともな読書です。これも、
「配列作りが終わった」ことの開放感で可能だったんですね。

でも、目には相当辛かった。。。( ;_ ;)

三上氏の本は、一冊、金谷氏が名著と呼んでいる「現代語法序説」
が図書館にありました。でもこれ、53年前の出版なんですね。

だから、古くて紙は黄ばんでいるは、活字は最小だはで、
金谷氏が触れた部分を確認する程度にしか読めていません。

何たって、最新の貸出日が昭和三十五年!ですからね。
皆さんの生まれる前でしょ?

でも、ハードカバーで320円!!

でも紙の本って、字を大きくできないので年寄りには不便!!
老眼鏡はどこに消えた?? _(・・ ))キョロ(( ・・)キョロッ

しかし半世紀前の本が簡単に見つかる図書館って、ホントに凄い!
多分この五十年は、誰にも読まれずに書庫に眠ってたんだろうな。。

少し前まで図書館内の蔵書の検索はタッチパネルのアイウエオ
検索のみだったんです。でも、今はキーボードでローマ字入力
の漢字変換ができる端末も新設されたので、二人の本も借りら
れて、今、この記事が書けているんですね。

タッチパネルだと面倒な上、カナしか入らないので章でアキラみたいに
読みが確定しない名前は検索できませんから。↑だって「文章」の文を
削除して入れてるんですから。

金谷さんの方の「武洋」だって、武器と洋楽から作ってます。タケヒロで
変換したら88個も候補があるし、その中に絶対武洋がある保証はないし。。
「これだ!」と思ったら行きすぎて、二周回ってまた行き過ぎたとかあるし。。(^^;;

それはないとしても、時間を掛けて何回も変換して無かったときの落胆
を考えると、とても何回も変換する気にはなりません。それに、読み方
も一つに決まってないし。。

ホント、社会保険庁ではありませんが、コンピュータに姓名入力は鬼門なんですね。

でも、社保庁は紙からの入力をみんな下っ端のそれも外部業者にやらせるから、
人名入力のミスの危険性がエライ人にも担当者さえも分からないであの始末。。
分かっていたら、いくらカネが掛かっても、間違い探しのチェック体勢は
三重四重にした筈ですからね。

いくら公務員が地位があるからと言っても、何でも他人任せに
するのがいけない。

経験不足で姓名住所の入力でミスが起き勝ちなのを実体験で
骨身に染みて知っている職員が少ないか、いないからあの
体たらくになる。。
そこに行くとこっちはなんでも。。

とか、余談の余談はさておき。。。(^^;;


で凄いのは、図書館のネット用の10台のPCが全部新品のVistaの
ノートに一遍に入れ替わったこともです。あれで、三百万とかか。。
富士通の最新ノートで、静かで速い上凄く親指シフトしやすいんですが、
宝の持ち腐れで勿体ない。。。

図書館のは自分のブログへの書き込みさえ禁止になっていて何も書け
ないんですからね。。もっぱらネットサーフィン専用。。それさえも、
真面目なサイトもエロサイトもクソミソ一緒でアクセス禁止が多いし。。。

しかし、ああやってPC入れ替えたり、大金掛けて便利にするのは皆やる
のに、一文も掛からなくて便利になる飛鳥は何故皆んなやらないんだろう?

まあ、PCを入れるのは税金という他人のカネを使うのだし、逆にタダ
だと、リベートなんかの旨味が、お役人に発生しないからかな?(゚_。)?

と、脱線したので元に戻してっと。。

で、金谷氏は「日本語文法から主語を抹殺した」師匠、三上氏
の後を継いで、「日本語文法革命」を推進しているんです。

似たような言葉を最近までどっかで目にしていたような気が。。(^^;;

で、彼はずっとカナダで日本語を教えているし、完璧なトライリンガル
なので、三上氏の論より更に発展している部分も多く面白いです。

「俺はウナギ・象は鼻が長い・日本語は書くのが難しい」で、助詞の
「は・が」の前にある「俺・象・鼻・日本語・書くの」は主語なんか
じゃ全然ない、と二人とも言っているんですね。

少なくとも英語などの主語とは全く異質なものだというのは、私も塾で
英語を教えててそう感じてて、生徒にも常々言ってきたことなので、
この二人の説にはとても共感しました。

(あっ、英語関係で教えた経験が長いのも、私と金谷氏の共通点ですね。
 それがないと、分かり切った日本語のことなど普通考えませんから。。)

一方で、学校では「橋本文法」と呼ばれる、英文法を無理矢理日本語の
文法に押し込んだ主語・述語という考え方が未だに幅を利かしています。

でも、学会とか文科省がまともなら、主語が日本語文法から消える日も近いでしょう。

そうならないと小学校や中学校の国語のテストで、「主語はどれですか?」
の設問に、「日本語に主語はないよ!」と正解しても、×になりますからね。。

まあ、それより英語の授業や外人の日本語学習に三上文法は役に立つんですが。

ということで、多読派のyfiさんなんかは、金谷氏や三上氏の本を探して
読んでみると面白いと思います。

飛鳥作りと無関係なようで、発想とか私と共通点が多いのにも心当たると思います。
出自や学歴がご両人とこっちでは月とスッポンなのは仕方ないのですが。。。

それはともかく、あの二人の本を面白いと思うか否かは、カナ配列作りの適性検査
になるかも知れません。だから、カナ配列作りは優れて文系の仕事なんですね。

でも、配列界には金谷氏における三上氏のような天才的な先人がいないなあ。。

IMEでは九州大学の、何とかという教授のような初期に出た天才がいるんですがね。。

何しろ、IMEがなかったら日本語入力なんて殆ど*使い物にならないので、
誰でもその必要性は理解できます。
*(IMEのないマイコン時代、数千字が乗っている高価な漢字タッチパネルを
 買い込んで、結局面倒すぎて何も使わないで捨てたのは、この私です。。(^^;;)

ですから、メーカーでも学会でもやり手が出てきて、それに対して潤沢な
予算も付くのが、IME作りが配列作りとは違い恵まれているところです。

でも配列の方は、千回以上配列替えをして数千時間評価打鍵した前例はないし、
飛鳥理論のような屁理屈をでっち上げないと作れなかった配列の前例もない。。

まあ、PC入力自体が最近のもんなんで、先人の不在は仕方ないんでしょうね。。
でも、IMEの方は。。。っと、今更詮無いことを言うのはやめよう。。(^^;;