ご無沙汰しております。
にもかかわらず、時間がないので手短に。

今年6月から、晴れて大学院生をやっております。
6;7月はフィリピンにて就学、
8月からはコスタリカの大学院でメディアと紛争解決に関した修士課程に所属しています。
コスタリカには来年3月まで。その後、マニラに一時戻り、数ヶ月インターンをその他の国で行い、
来年10月に卒業を予定しております。

ちょっと久々にブログ書きたくなったので、ログインしてみました。
詳しいことは、また、近々。



Η ζωη σαν το ταξιδι  

Η ζωη σαν το ταξιδι

8月6日土曜日、西オーストラリア州パースにて、広島と長崎の原爆66周年を記念し、映画上映会を行いました。

ここ一月以上、激しい雷雨が断続的に続いていたパースですが、当日2日前から嘘のように雨が止み、野外会場の芝生も来場者が心地よく座れるようにからっと乾いてくれました。
イベント終了数時間後に、雷雨がまた戻ってきました。本当に、この土地の先祖の方々に応援されていたとしか思えないような魔法のような3日間の晴天でした。

このイベントでは、原爆投下66周年を記念し、「西オーストラリア環境保全審議会」の反核キャンペーン担当者のMiaと私で、日本の国際交流NGOピースボート が主催した「おりづるプロジェクト~ヒバクシャ地球一周・証言の航海」 のドキュメンタリー映画、フラッシュ・オブ・ホープを上映しました。

午後1時から始まったイベントでは私が司会を担当し、広島のヒバクシャでパース在住のピアーズ時枝さん(82歳)と、同州緑の党上院議員で映画が撮影された航海に数日間参加されたラドラム上院議員をゲストにお招きし、それぞれスピーチを頂きました。
一時間の映画上映後、おりづるワークショップも開催しました。

天気のよい土曜日の午後ということもあり、道行く人々も足を止め、映画鑑賞やおりづる作りに参加してくれ、およそ70名の方に参加
頂きました。

原爆の悲惨さ、被害の実情をピアーズさんが、放射能被害という点で再び核の脅威にさらされている日本の現状を私が、そして核
連鎖の発端であるウラン採掘問題を抱えるオーストラリアで何をすべきか、という話をラドラム議員がそれぞれに訴えました。

「原爆投下って、史実としてしか知らなかった。まだ当時の被害者が生きていて、この町に住んでいるなんて。話を聞いて涙が止まらなかった。」
「素晴らしい機会をありがとう。今日のことは一生覚えていると思う。」
「映画にとても感動した。素晴らしいプロジェクトをやっている団体が、日本にあるんだね。」
などなど、参加者から沢山のコメントも頂きました。

同日、広島の平和記念式典では菅総理が挨拶の中でこのプロジェクトに言及されたようです。

また、同日メルボルンでは、ジャパニーズ・フォー・ピースが素晴らしいイベントを主催し、日本のメディアにも取り上げられました。

主催者のプレストン香寿代さんには4月、「ピースフォーラム」にゲストとしてお招きいただいたことがあり、こちらでの平和活動を共に進めている仲間でもあります。

この日の前日、東大のアイソトープ総合センター長、児玉教授のインタビューをUstreamのライブ中継で聞きました。(アーカイブはこちら



大手メディアがこぞって無視を決める中、今日の毎日新聞が勇敢にも先生の取材を記事に しています。

インタビューの締めくくりとして先生がおっしゃっていたことが耳に残っています。
「法律、イメージング、子供と遊ぶ、歌、詩。。。みんなが自分の得意なことで貢献してほしい。自分が世の中に何の役にたつのかを考えてほしい。自分が最も役に立つことをやってくれれば、直接原発じゃなくてもきっと、原発事故の(で被害にあった)人の助けにもなるし、津波(の被害)で悩んでいる宮城や岩手の人たちの助けにも、なるんじゃないかな。」


世界の様々な国で、様々なバックグラウンドを持った人々がこの日、平和について共に学び考え、平和のためにアクションを起こしました。その様子をニュースやメールで見聞きしながら、今の自分で何ができるか、次の行動について考えをめぐらせています。




なんにせよ、海外で自ら主催した始めてのイベント、成功に終わり、ほっとしています!
参加頂いた全ての方に、改めて感謝すると共に、また機会があれば是非、ご参加をお願いしたく思います。



オーストラリア北部準州のほぼ中央に、
マカティーという地域があります。
この国は核兵器や原子力発電の燃料になる
ウランを沢山輸出していることは
前回の記事に書きましたが、
輸出したウランが利用されたあとに出る『ゴミ』、
放射性廃棄物を国が再び受け取り、
そのゴミを捨てる場所をどこにするか、が
今、問題になっています。

去年はじめに、マカティーという場所に
白羽の矢が当たり、
その土地の「伝統的土地所有者」である
アボリジニの一家族が買収され、
ほぼその地になることが決まりました。

が、法律自体はまだ国会で可決されておらず、
この家族以外にあと3家族、
伝統的土地所有権を持っているという
公式記録書類が新たに発見され、
現在、国会と裁判所の二箇所で
その正当性が問われています。

5月半ば、予算会議が国会で開催される前週に
マカティーに近いテナントクリークという町で
行われた、反対デモに参加してきました。

その直後に行われた予算会議では、
反対派の政治家数名がなんとか頑張り、
法案の可決を先延ばしにすることができました。

恐らく来月、6月には通ってしまうであろう、この法律。
哀しい事に反対派の声は小さく、
法律自体は来月可決がほぼ明確です。

でも、反対運動はこれからが本番。
オーストラリアに原発はありませんが、
研究用の原子炉がシドニーに1基あり、
その周辺に核の専門家が集まっています。

非常事態の対応を熟知している専門家がいる
シドニー近辺ではなく、
何故僻地のアボリジニコミュニティーが
建設地になっているのか、
その問いに対する明確な答えを
推進派は一度も出したことがありません。

これも、日本や米国フランスほか、
原発を多く抱える国が
この国の社会的弱者に与えている災害です。

私たちが日々膨大な量の電気を消費するために
原発の恩恵など一度も受けたこのない地域の人々が
放射能汚染の危機とこれから先数十万年もの間、
対峙して生きていかなければならない状況が
生み出されています。

この、原子力発電に対する世界の異常な執着は
一体どこから来るのでしょう。

この産業が生み出す取り返しのつかない
被害やリスクを
一体どれだけの人が、知らされているのでしょうか。

原子力は、原発から始まるのではない。
燃料を採掘するウラン鉱山、
それを輸送する過程、
原子炉が生み出すゴミ、
そしてその遺棄場、
全ての段階を包括的に理解した上で

「本当に原子力産業は必要なのか」

について、意見交換がなされなければならないと
思います。



Η ζωη σαν το ταξιδι
Alice Springs。
ここから車で5時間北上した場所がテナントクリークです。
Alice Springsは通常真っ赤な土で覆われた
砂漠なんですが、
今年は異常に雨が降り、
大地は緑に染まっていました。
ここから日帰りもしくは1泊ツアーで
ウルルー(白人の言葉でエアーズロック)を
訪れることができます。


Η ζωη σαν το ταξιδι
美しい木と空のコントラスト。
風の音と鳥のさえずりだけが辺りを包んでました。


Η ζωη σαν το ταξιδι
テナントクリークでのデモ集会の様子。
この土地に代々すむ部族の長老たちが
「先祖から大切にしてきた土地を
絶対に放射線で汚したりはさせない」
と強く訴えています。


Η ζωη σαν το ταξιδι
反対運動家達が作った7mある巨大な放射性
廃棄物用ドラム缶を真似たバルーンを背景に
集合写真。
この様子はメルボルンやシドニーのメジャーな
新聞の記事にもなりました。



Η ζωη σαν το ταξιδι
子供たち。
かざした手には「STOP!/NO!」という
意味が込められています。

廃棄物は何もない、誰もいない場所に捨てられる
わけではなく、
法律が可決されれば、こんな無邪気で元気な
子供たちが住む地域のすぐそばに、
最短でも300年の間、大したセキュリティ対策も
ないまま、“管理”という名前の“放置”をされる
ことになります。

Η ζωη σαν το ταξιδι
男の子たちの集合写真。
カメラと私の肌の色(白でも黒でもない)に
興味深々でした。

Η ζωη σαν το ταξιδι
部族の伝統的な踊りを踊る長老(女性)たち
を見守るその家族

Η ζωη σαν το ταξιδι
「淡水カラス貝を見つけたんだよ!」と
得意そうな女の子。
彼女たちが泳ぐ場所に、手をとって
連れて行ってくれました。

Η ζωη σαν το ταξιδι
「素手で魚を捕まえられるんだ!」と
得意そうな男の子。
みんな無邪気でフレンドリーで、

放射性の脅威さえ、まともに知らない子供たち。
電気の恩恵さえ、日本人の私に比べたらほんの微量しか
受けていない子供たちの町が
どうして原発のゴミの責任を押し付けられなければ
ならないんでしょう。

廃棄施設の建設承諾書に署名した家族には
1200万ドルのお金が与えられるそうで
その前金を既に彼らは受け取っているそうです。

でも、この金額は、この先“300年”分の、土地借用金。
300年。

ゴミ廃棄場もウラン採掘場も、
その殆どが原住民アボリジニの居住区や聖域です。
その買収の仕方や今まで行われてきた数え切れない
不当で不正な取引や強制的な処置の話を聞いていると
本当に心が苦しくなります。



Η ζωη σαν το ταξιδι
この運動を先導するダイアンとマーク。
どんなに状況が悪化しても、彼らや彼らを支援する
仲間は、最後まで諦める様子もありません。

「本当の戦いは、これから。
この場所でまず平和的な方法でバリケードを張るんだ」
そうです。

私もできる限りの方法で、彼らの運動をサポートしたいと思っています。

金曜日午後一から日曜夜まで、Camp Woodyというパース近郊のキャンプ場にて開催された、WANFA(西オーストラリア非核連合)の集会に参加してきました。

WANFAとは、西オーストラリアのアボリジニの人々と、彼らを支援するその他のオーストラリア人によって結成された連合組織で、主に西オーストラリア州のウラン採掘を阻止することを目的として活動しています。

オーストラリアはウランの埋蔵量が世界1で、その多くの鉱脈が西オーストラリアに眠っています。
現在稼動しているウラン鉱山は南オーストラリア州と北部準州にあり、西オーストラリアにはまだひとつもありません。
その理由は、この州でのウラン採掘が数年前まで違法とされていたためです。
2009年だったかな、その法律が撤去され、この州でも採掘が可能になりました。
三菱をはじめ、世界中から企業が争って採掘権を買い取り、テスト目的のドリリング(鉱脈の質を確かめるために地中深くに穴を掘り、ウランを掘り出す作業)が既に行われています。
掘り出されたウランはまだ輸出することが禁止されているため、元の穴にそのまま戻され、その地域の水脈がひどく汚染された地域もあります。

2010年3月末、始めのWANFA集会が開かれ、今回が二度目でした。
ひとつめのウラン鉱山が開かれれば、二つ目以降を食い止めることがとても困難になります。
それを食い止めるための戦略立案が、この集会の大きな目的でした。

何度も書いたように、私は今年1月~2月、日本のNGO、Peace Boatで核無き世界を実現するためのプロジェクトのコーディネータを勤めたのですが、その時にご招待したオーストラリアの活動家の方々がまた集まり、この集会初夜にピースボートでの活動報告を行いました。


Η ζωη σαν το ταξιδι
このアイコン、普段はオーストラリアでウラン他、核に反対する運動家や運動に使われています。
それに日本へのメッセージを追加し、現在色んな場所で使われ始めてます。
福島のような大惨事が二度と日本や世界の他の国で起こらないように、という願いと決意を込めて。
チェルノブイリ、スリーマイル島、福島と、30年で3度も大事故を起こした原発。
原発自体は危険ではない、その誤操作が危険なだけであって、
日本の原発管理は絶対安全だ、と言われ続けた結果がこれです。

もう沢山。
もう十分、教訓は得られたのではないでしょうか。



Η ζωη σαν το ταξιδι

私たちのプレゼンテーションを締めくくってくれた、F。
「原子力発電所の燃料、核爆弾の原料になるウランを、もうこれ以上輸出するのはやめよう。この州からは絶対に、ウランを掘り出さないように運動を続けよう。」と呼びかけています。
日本の被災者の皆さんへの黙祷も、最初に捧げられました。

Η ζωη σαν το ταξιδι

初夜そして土曜の夜と、キャンプファイヤーも行われました。
去年の倍、60人の参加者がありました。
西オーストラリアのみならず、北部準州や南オーストラリア州のウラン採掘で被害を受けているアボリジニの部族の長老たち(ほとんどがおばあちゃん)も各地から駆けつけてくれて、貴重な(とても悲しい)話を沢山聞くことができました。

代々受け継がれているディジリドゥによる祈りや、パースに元から住んでいるアボリジニの人による、来訪者歓迎の儀式も行われました。

日本だと、アボリジニ、と聞くと単一部族のように思われがちですが、380を超える部族が実はあり、それぞれ違う言葉や文化様式を持っています。
それぞれ、自分が話をするときは、必ず最初に、ここパースに3万年以上前から住み続け、土地を護り続けている部族の方々に、受け入れていただいた謝辞を述べていました。
もちろん私も、その例に倣いました。


Η ζωη σαν το ταξιδι

二日目の朝、ディスカッションの様子です。
WANFAの代表を務め、私たちのたびにも参加してくれたDが、ディスカッションの方法をみんなに説明しています。
活発な議論が行われ、各部族の文化の紹介や、現在どれだけの企業がどのような進度で西オーストラリア州でのウラン採掘の準備を進めているかが報告され、また他の州から来てくれたゲストたちは、一度ウラン採掘が始まるとどれだけ土地や文化が破壊されるか、実体験を元に生々しい話をしてくれました。
オーストラリアは昔、イギリスや自国により核実験も行われています。
その土地に住んでいたアボリジニには一切事前の勧告がされず、多くの人が放射線を浴び発病・死亡しました。
その土地に住んでいた被災者は土地を追われ、現在もまっとうな社会的保護もないまま、土地から土地へ移動を続けています。

実際に伯父さんや妹を白血病で無くし、未だに貧しい生活をしながら土地を追われ続けているアボリジニの男性の証言もありました。

私は異邦人、外国人なので知らないことが多くて当たりまえなのですが、集会に参加した多くの白人オーストラリア人にとっても、知らない情報が沢山あったようです。

黒いオーストラリア史は、こうして多くが知られないままでいます。
歴史は勝者によって作られる。
その意味を痛感する週末でした。

Η ζωη σαν το ταξιδι

あまり知られていませんが、これはアボリジニの旗です。
オーストラリア国旗とは別に、彼らにはアボリジニを象徴する旗があります。
アボリジニの旗の色は、赤・黄・黒です。
赤は大地を、黄は太陽を、黒は肌の色を示していると言われています。
お気づきでしょうか、一番最初に掲載した反核の画像、この色を元に作られています。

Η ζωη σαν το ταξιδι

赤と黄の、手。
大きく広げられたこの手は、全ての核を拒絶する意味が込められています。
その沢山の手の周りに立ち、みんなで写真を撮りました。


状況が状況であったため、日本の話を聞かれることもおおく、私が発言する機会もいくつかありました。
アボリジニをはじめ、先住民族の人々は、未だに土地と深く結びついて生きています。
大地を愛し、敬意を評し、必要な分だけ恩恵を受け、恩恵を受けるお返しにきちんとお世話をして、彼らは何万年も土地を汚したり細らせたりすることなく生きてきました。
その精神的な結びつきは、日本人の私には心から理解するのが難しいほどです。

彼らはウランの科学的理解や核技術に詳しくありません。
でも先祖の教えに必ず、ウランがある場所は立ち入ってはならない場所として出てきます。
涙の土地、死の土地、部族によってその名前は異なりますが、絶対に近寄るな、とお年寄りから子供たちへ、彼らが年寄りになるとその次の世代へと、固く言い伝えられてきました。
それが白い侵略者により次々と掘り返され、自分たちの文化や経済を破壊し、その挙句に海外の友人たちの生活や文化を破壊している。
この事実に彼らは本当に心を痛めています。

この集会で出会った長老たちも、私が帰るとき、ひとりひとり寄ってきて、
「私たちがしたことは本当に間違っています。
日本の皆さんに、本当に申し訳ないです。
本当にごめんなさい。」
と、涙ながらに謝罪をされました。

彼女たちが悪いわけではない。
彼女たちはもう何十年も、この事業を食い止めようと戦い続けているのに、その人たちに謝られることは私にとって本当に悲しいことでした。
こちらも思わず泣いてしまいました。

原子力発電は、空気を燃料にしているわけではない、そのことを意識している日本人がどれだけいるんでしょうか。
日本の原発事故で責任を感じている人たちが、この国に沢山いることを、どれだけの人が知っていてくれているんでしょうか。

色んな事を考えなら、岐路に着いた週末でした。

東北関東大震災後、事故の悲惨さもさることながら、日本中、そして世界中の人々の関心、同情、支援の広がりの速さ、強さに強く胸を打たれました。

震災後一週間、原発賛成反対の話を私は故意に避け、どれだけ世界が応援しているか、どれだけ日本の復興の早さや地震に対する準備のよさが世界中で注目・賞賛されているかの情報集めに必死でした。

収まらない地震と核の脅威の中、不安と悲しみでいっぱいの日本の友達を、少しでも勇気づけたくて、
でも調べているうちに、元気をもらっているのは自分だと気がつきました。

たった4日で150mにおよびずたずたに切断された道路を直した日本の土木技術のすさまじさ、
たった一日で都内すべての電車を動かした底力、
そして無名の、無数の勇気と温かみに溢れる被災地からの声。

同じことが○○で起こっていたら、被害はこの数倍に及んだだろう、
みたいな海外の記事も沢山読みました。

日本って、改めて底力のある国だなぁ。
日本人って極限でさえ、こんなに節度と思いやりを保てる民族なんだ。
日本、すごいじゃん、頑張れるよ絶対。
そんなことをずっと感じてました。



頑張れ、日本。
頑張れ、東北。

世界が応援してる。
日本の底力を見せてやろう。




【お知らせ】

チェルノブイリを体験したウクライナ人作家の方の本を、日本語に訳すことになりました。

放射線にどう対処するか、という内容のもので、ロシア語から英訳されたものを

日本語に落とし込みます。


4月1日からの週末、ウラン採掘に反対するアボリジニ活動家たちが

集会を開くのですが、

そこで一緒に旅をした仲間とピースボートの報告に交え、

現在の日本の状況の報告を行うことになりました。


更に4月17日、メルボルンで開かれるPeace Forumにゲストスピーカーとして

登壇することになりました。

内容は同じくピースボートでの活動に加え、

日本の福島原発の状況および上関原発の話になります。


肩書きが【Activist(活動家)】になっているんですが、、、、

さすがに、通翻訳者でこういう話をするのは

おかしいですよね。。笑

でもなんか、活動家って、しっくりこない。

3月11日。

豪州ウラン採掘に反対する運動家たちと過ごした2週間の旅の記録と、
その主な輸入先である日本の原子力発電のあり方、
原子力に依存する日本のエネルギー政策のあり方に疑問を唱える私の小さな記事が
載った「週刊金曜日」が発売されたその日に、
一生忘れられないような大惨事が日本で起きてしまいました。

その瞬間から今まで、私の生活はまるで変わってしまいました。
数日は妹を含む友人たちの安否確認で夜も寝られず、
こんな遠くから自分でもできることはないかと、
インターネットにかじりつき、有用な情報を海のこちらから発信する作業に
日々あけくれました。

特に、日本に居住し日本語を話さない友人たちのために、
日本語で発信される情報で役に立ちそうなものを選び、
片っ端から翻訳して自分のFacebookのサイトに投稿し続けました。

何かしていないと、気が狂ってしまいそうで。

地震が起きた直後から、反原発活動を続けている仲間の間では
震源地付近の原発はどうなってる、と心配する声があがっていました。

「福島原発は自動停止した」という首相の記者会見後も
予想されていた以上の状況悪化。。。。
一度目の水蒸気爆発後、状況を判断するための情報が圧倒的に足らず
中途半端に原発の怖さを学び始めていたところの自分は
海外の行き過ぎた報道と不足しすぎの日本の報道の間で
思い切り混乱し(苦笑)、
とにかく、最悪の状況を想定してすぐに妹に東京を離れるように頼みました。
(不必要に怖がらせないように、慎重に言葉を選んだつもりですが。。。)

続く爆発、必死の注水作業にもかかわらずあがらないコンテナ内の水位。。。
次の瞬間に何が起きてもおかしくない、緊張しきった数日が過ぎ、
現場の皆さんの必死の作業で状態はだいぶ落ち着いてきた、、、と希望的に見てます。

放射線の量だけ公開し、核種(放射線の種類)に関しての情報が数日全くでてこなかったこと
(半日かけて必死に探しても無理でした。これがわからないと本当の影響もわからないから
避難含め、対応の仕様が無いから最悪の状況を想像して動く事を進めるしかなかった。
それで「無駄に不安を煽るな」とバッシングも受けました。

風評被害については本当に胸が痛みます。
キャベツ農家の方が、福島で自殺されたそうですね。。。
放射線とは何なのか、内部被曝が何故恐ろしいのか、
どうすれば避けられるのか、福島で今何が起きていて、
どこまでが本当の危険なのか、

私たちの税金で原子力発電産業を守り、核のモノポリー社会を築き上げた挙句に
事故が起きれば事実を隠蔽し、きちんとした情報も公開しない。

このような対応が少しでも違っていえば、国民にもう少し核についての知識があれば
こんな悲しい状況は防げたはずです。

被曝者に対する差別や誤解も沢山聞きます。
被災した方が避難した旅館で、被曝していない証明を見せなければ泊められないと
断られた話、
被曝者に近寄ったら感染被曝するんじゃないかという話が出回っているなど、
聞くに耐えないものばかり。

66年前、広島と長崎に原爆が落とされてから、
日本は何も学ばなかったんでしょうか。
当時のヒバクシャが通らされた苦難が
21世紀になって今でも、繰り返されている。

その根源は悲惨で恐ろしい事実を突きつけられたことではなく、
きちんと正しい情報を得られていないことにあると思います。

これだけの被害を出し、これだけの尊い命を失い、
この先も長期的に向き合っていかなければならない放射能汚染が
実際に起きてしまった。

せめて、同じ過ちを繰り返さず、失われた、損なわれたものを無駄にしないために
私たちに何ができるのか。

今日の午前に行われた参院予算委員会で、菅首相は原発に依存する日本のエネルギー政策を
見直し、再利用可能エネルギーを積極的に活用していくと発言しました。


「原発いらない!」というだけで、それに代わる方法をきちんと提示できていない反原発派も、
「原発いやだけど、他に方法がないじゃん」とメディアの受け売りで思考をストップさせてしまう
世間の多くの人々も、
一緒に、「本当に原発がなくすことは不可能なのか」を、考えないといけないと思う。

私は原子力を全廃するのは可能だと信じてます。
東大のあるチームは風力発電で東電の電力需要を100%まかなえるという報告書を作っているし
九大のある研究所では東大のレポートで唯一課題だった水深を克服する新しい風力発電所の
モデルも作成しています。
神戸大学のある研究所では波動エネルギーの研究も進んでいるし、
あちらこちらで、小さいけれど確かな前進が起きています。

もちろんこれらの殆どは仮定のもので、実際それを作るとなるとまだ色々問題がでてくるでしょう。
でも原子力発電所はお金も技術も本当にかかるものです。それを54機も動かす力が日本にはある。
同じ投資を再利用可能エネルギーにしても無理だと、誰が言い切れるでしょう。

(原発がなくても電気は補える、その説明を活動家の田中優さんがとてもわかりやすくした
動画がありますのでここにリンクを貼っておきます)


ここ、オーストラリアは原子力発電の燃料になるウランの埋蔵量が世界一です。
なのに、原子力発電所はひとつもありません。

ほとんどが火力発電です。環境に悪い事に変わりは無い。
それを、10年で100%再利用可能エネルギーに以降できると、
科学的に立証したチームがいます。


彼らが推奨しているのは大規模は太陽熱発電。太陽光ではなく、太陽熱発電といって、
大きな鏡で一箇所に熱を集中させることで、太陽光よりも長く発電を続けることができる
新しい方法で、実際スペインやアメリカの一部で稼動している発電所もあります。

彼らのレポートを元に今は経済学者、政治家、市民団体が一緒になって
この国のエネルギー政策を変えようと、動き始めています。

そして、WWFは今年はじめに、2050年までに全世界が再利用可能エネルギーに
シフトできると、発表もしています。


そんなのできっこない、から
もう福島原発のような悲惨な事故は絶対に起こさないために
できないかもしれない、でもやってみようじゃないかと
一人でも多くの日本人が、思ってくれたら。

他の国ができて、何で日本のような資金とブレーンと技術がある国ができないか。
菅首相が今朝言ったように、世界をリードして余りある力が日本にはあると私は思う。

体の不自由なお年寄りが沢山居住する原発から20~30km圏内の地区を
強制避難させない政府、
(ガソリンも不足するような地区で、どうやって彼らが自力で脱出できるんですか?)

下請け社員ばかりを(企業名も公表せず)危険な現場に送り、
高濃度の放射性汚水で被曝させた東電
(その場で泣き崩れてしまいました。。。なんてひどいことを。。。)

まともに聞けない話ばかりが耳に入るけれど、
それを絶対に無駄にしてはいけない、そのためには
原発の本当の危険性を知る事から、一人ひとりが始める時期が来ていると
思います。

今すぐすべての原子炉を止めることは無理でも、
今から、なるべく近い将来に全廃炉を目指して動く事はできる。

まずは、エネルギー計画の見直しを、直接官房長官の枝野さんにお願いする。

そして再利用可能エネルギーを支持する政治家に投票すること。

更に、これから建設されようとしている原子炉の建設反対の運動を署名で支持する。
(上関原発は実際の建設は中止したものの、環境調査目的のドリリングは続行しており、
これも環境に重大な影響を与えます)

方法は沢山あります。






・・・・・って、原発についてとうとうと書かないと決めていたんだけれど。。。
ここまで書いてしまったので、載せてしまおう。

オーストラリアに全く関係の無いブログになってしまった。
ピースボートでの体験を基にした記事を、「週刊金曜日 」という雑誌に掲載させていただくことになりました。
3月11日発行分のものに、ちょこっとだけ載ります。

内容は主にオーストラリアのウラン採掘の現状とその反対運動に関してです。

よければ立ち読みしてみてくださいね!
とても短いので、1分で読めると思います(笑)