今年の長崎の夏はいつにもまして暑かったように感じます。

長崎も71年目の夏を迎えました。

 

 

1945年8月9日のあの日。

1発のプルトニウム爆弾によって長崎の町は壊滅し、

多くの命がなくなりました。

 

そんな日から71年。

今年の爆心地の空は少し曇っていました。

ですが、例年にも増して暑さが厳しく、

式典に参加するだけでも大変なくらいでした。

 

去年が70年ということで大勢の参加者がいたのですが、

今年は広島のオバマ効果があったにもかかわらず、

長崎の式典の参加者は少なかったように感じます。

 

長崎は広島に比べてこじんまりしています。

外向きというよりは、内向きに自分たちの式典をしているように

いつも感じています。

 

また、長崎は歌で歴史を繋ぐ町です。

被爆者歌う会のひまわり、

爆心地から近い距離にある山里小学校の生徒、

平和学習に熱心な純心女学校の生徒など、

たくさんの人たちがそれぞれの歌を式典で歌います。

その歌によって、たくさんの人たちによって平和を繋いでいきます。

広島の式典には見られないもので、長崎独特の文化だと思います。

 

出典:http://www.jiji.com/

 

今年の田上市長の平和宣言は、

核兵器を人間を壊す残酷な兵器だと強調したうえで、

より具体的な政策を行うように、国に求めました。

 

また、長崎ならではの被爆者の方による平和への誓いでは

今年は井原東洋一さんが宣言を行いました。

毎年思うのですが、被爆者の方が各国の大勢のリーダーの前で

発言をすること。

これはとっても歴史的なことなのです。

原稿を見ながら、それまでに考えた言葉を読むのですが、

そんな紙に収まりきらないほどの想いがきっとあります。

もっといろんなことを伝えたいという悲痛な想いと格闘しながら

毎年、被爆者の方は平和への誓いを行っています。

 

そして、今年、井原さんは「日本の加害」について触れました。

これは今までにないことです。

被爆者であるから、自分たちの想いを伝えるのは当然だと思います。

しかし、井原さんは

「同じ日本人が行ったアジアに対する加害を忘れてはいけない」と

私たちに訴えかけました。

原爆のことも忘れてはいけないけど、

それとおなじように忘れてはいけない歴史が日本にはあるのです。

 

また、それに関連することですが、

早朝に行われる、朝鮮人、韓国人の原爆犠牲者の方を追悼する集会に参加しました。

そのとき、「今年は広島にオバマ大統領が訪問し、被爆者と抱き合うという

歴史的な瞬間があった。しかし、わたしたち在韓被爆者はあの場に招待すら

してもらえなかった。」と言っていました。

 

 

原爆に国違いなんて関係ありません。

あの日、長崎にいた人、誰しもが絶望的な世界を目の当たりにしたのです。

異国の地で被爆された方は、日本人よりもっと辛い思いをしていたかもしれません。

 

そういったこと、

わたしたちはもっと知らなければいけないのかもしれませんね。

 

わたしは、長崎に通い始めてから4年が経ちました。

通うたびに、長崎がすきになっていくし、

だいすきな友達、被爆者の方の声に応えたいと強く思います。

 

ピースボートインターン 鈴木慧南

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