2012年3月末から休職し、早くも半年が経ってしまいました。

休職前は、毎日、毎週、毎月、とルーチンワークがあり、それをやり続けて行くと、本当に時間があっという間に過ぎてしまったものでしたが、休職してからも、不思議なもので、やはり時間はあっという間に過ぎていきます。
休職前は、成果物がありましたが、休職してからは、自己満足というか、充足感が少なくて、どちらかというと、「ああ、今日も何事もなさずに、過ごしてしまったなあ」という、がっかり感の方が多いですね。

とはいっても、さすがに環境は変わっているので、これまでと変わった経験をしています。
休職前の私は、家にいる時間が少なかったので、同居している両親と、ほとんど会話がなかったですし、あまり関わろうともしていませんでした。
一緒に行動することもなかったですから、家(父親)の車が、いつの間にかクラウンからプリウスに変わっていたことも知りませんでした。
休職してから、たまたまガレージに置いてあるものを取りに行って、「あれ?何か車がこじんまりしている」と気づいたという…。

また、親子でありながら、食べ物の好み、物事の考え方、言動においても、まったく違うんだなあ、ということもわかりました。

例えば、母は自分が好きなものは、他人(私)も好きだと思い込んで、買って来るのですが、私にとっては、好みでないし、不要だということを、何回伝えても理解出来ないみたいで、たまに大容量のペットボトルのお茶を何本もまとめ買いしてきて、わたしの部屋に置いていくのですが、その前に、「もう要らない」と伝えているんですけどね。
あまり、そういうのは気にしないみたいで、「安かったから」とか「また要るかなと思ったから」という理由で買ってくるみたいです。

あと、説明しても、病気について、あまり理解してもらえなくて、絶不調で昼間から寝ていると、叩いて起こされます。
病んでる本人も持て余してるくらいなので、他人に理解してもらうのも、難しいとは思うんですが、絶不調のときに、叩いて無理やり起こされたら、軽い◯意を感じることもありますね。
おそらく、じっと寝ている状態を見るのがツライんでしょうが、しんどいのに叩いて起こされた当事者は一体…。

あと、父親などは(これは前からなのですが)父親自身が判断して必要だと思った、ニュースなどのTV番組を録画して、それを私に「見ろ」と言うんですよね。
それが悲しいことに、会社の広報なんがが取材協力してたり、毎年恒例のようにやっている密着取材だったりで、逆に取材してるのを目撃したりして、裏話まで知っているのに、それを知らずに、休職している娘に、わざわざON AIRされているのを見せようというのが、ちょっといらっとくるわけですね。
一応、何回も「要らない」って言うんですが、理解出来ないみたいです。

こんな風に、家族と過ごす時間が増えると、今まで気づかなかった、いろいろな違いが見えて来ますね。

これまで、独り暮らしをしなかったことが、本当に悔やまれます。
(過去、何回か試みたんですが、未遂に終わりました)

今までコミュニケーションを怠ってきたツケだとは思うのですが、
「親子だからこそ、ある程度の線引きをするべき」
「親子は血のつながった他人」
だと思うのです。
わかってもらうのではなく、違いを認めあうことが大事なんじゃないかなあ、と思う今日この頃です。