数年前までの私のテーマは「可愛げ」でした。
goo辞書で調べてみると「可愛げ」とは
かわいいところがあること。
また、そのさま。「―がない子」
と書かれていました。
そうよ。
意味は分かるわよ。
人生可愛げがある人の方が絶対得をする。
私は可愛げがない。
でも具体的にどうしたらいいかが分からないのよ!
過去の私はいつもそう思っていました。
でもその反面
正義・裁きを司る火星の影響を強く受けていた私にとって
「可愛げ」というものは上司の機嫌を取るためにおべっかを使い、
仕事もできないのに要領よくのし上がっていくイメージと繋がり自分はそんな風になりたくないと抵抗しているココロがあるもの知っていました。
当時私はものすごく可愛がってくださる師匠と、
人前で見せしめのようにバッシングしてこられる師匠とにパッキリと分かれていました。
「香月ちゃんはいつもピシッと言うことは言うし
一見出来る女みたいに見えるけど、
じゃぁ実際に出来るのかといえばできない。
ホント可愛くないんだよね。」
と言われたり
「俺が黒といえば黒
白と言えば白。
お前の意見は聞いていない。
大体いつもこんなに俺から言われている癖に、
この場に来れるお前は一体なんなんだ!」
と、たくさんの人前で怒鳴られていました。
どの方も、他の人に言いたいことを、
打たれ強い「私」という存在を利用して槍玉に上げることで
周りを統制させるための見せしめに使われていたと
私も、当時の仲間たちも思っていましたが
本当の意味でスピリチュアルやコミュニケーションを学んでいった時にそれは違うということが分かりました。
結局は私のコミュニケーションの問題。
槍玉に上げるという手法を取るのは、その人の指導方針だとしても、別にそれは「私」という存在でなくていいはず。
なのに、いろいろなところで裁く人に出会うのは、
私が人を裁く質を持っていたから。
鏡の法則で言えば、
裁くから裁かれることが廻ってくる。
本人は良かれと思って組織を発展させるための意見も、
伝え方によっては今の組織のあり方を批判や批難しているように聞こえる。
それはトップとしては心地悪いよね。
仮に言葉に出さなくてもココロの中で思っていればそれはエネルギーとして相手に伝わるもの。
だから
たまたまいつも、みんなの代表で槍玉に上げられる…
理由は私が打たれ強いからや
師匠達から嫌われているから
ではなく、
私の内面の問題。
さあ、この事実に気づいた時にどうすれば可愛げを出すことが出来るのでしょうか?
つづく