わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)/カズオ・イシグロ

¥840
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☆☆☆☆☆
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度…。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく―全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。 (amazonより)

久しぶりのカズオ・イシグロです。
以前にご紹介した『日の名残り』同様、今作も回想で物語が進んでいきます。

しかしストーリー的な意味では大きな起伏もなく、タンタンと語られていった『日の名残り』と比べると本作には物語的な展開が見られますし、作品全体を揺るがす大きなギミックも用意されています。
どうもその辺りだけに注目して2007年の「このミステリーがすごい!」にランク入りされたみたいですが、これを読んで本気でミステリーだと思ったのなら2度と書評をする資格なんてないでしょう。
というわけでくれぐれもミステリーを期待されないように。

物語自体は説明がないままある寄宿舎?学校?孤児院?での生活が淡々と進んでいきます。その場所がどこで何なのか?その場所に存在する少し奇妙なルールは一体何のためあるのか?読み手には説明されないまま少年少女たちの学校生活は静かに続いていきます。読者が不審感を抱きながら、静かで美しい物語を読み進めていくとある時点でその世界に横たわるルールがようやく説明されます。驚愕と哀しみを併せ持つ展開ではあるのですが、その後も物語は静かに進んでいきます。まだ2作目ですが実にカズオ・イシグロらしいな、と想わせる美しい語り口です。

ここからネタバレを含みますので読まれたくない方はここでおやめ下さい。



残酷な人生を運命づけられた彼らですがそれに対しあがらおうとはしませんし、憤りすら感じている様子がありません。既に提供者となったルースやトミーは介護人を続けるキャシーに引退を勧めるようなことすら言い出します。介護人を引退することは提供者になることを意味し、それは近い将来の死を決定づけることでもあります。そして物語を読んでいけばキャシー自身も介護人を引退することを決意する描写が描かれています。
ミステリーやSF的なとらえ方をするならば、何故抵抗しようとしないのか?そこにフラストレーションを感じるでしょう。しかし考えてみるなら、人間は自分の意志とは無関係に寿命なるものを設定されており、いつ死ぬかということは誰にも選べないのです。その意味においては長い短いの違いはあれど彼らも私たちもまた同じなのです。むろん本作においては社会的な欺瞞による大きな不公正があり、彼らはその犠牲者であるわけです。とは言え生まれ落ちた瞬間からそれが当然なる人生としての教育を受けてきた彼らにとってはそれは至極当然の生き方でもあるわけです。つまり彼らの人生は短いながらも私たち同様で、短いからこそその中に真理や普遍性を見出しやすいのだと思います。
著者が本作で描きたかったことの1つには社会的な不公正という部分もあったでしょう。それは彼らがごく当たり前に生き方に憧れを抱いていることからも分かります。しかし一方ではやはり普遍的な人の生き様や真理こそを書きたかったのだと思います。