あるさの日々これ出会い

観に行った舞台やライブなど、思いつくままに書いてます。


テーマ:

正確には『ラブライブ!サンシャイン!!』ですが。

2017092119130000.jpg

西武線の特急の中と外が楽しい感じに。

2017092119140000.jpg

ちなみに果南ちゃん推しですが、なにか?

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

いつぶりだか思い出せないくらい、本当に久しぶりに、テレビドラマを観ながらポロポロと泣いてしまいました。

ただのコメディだと思って観始めたドラマだったのですが。

やはり、よいコメディは、涙のすぐ隣にいるのでしょうか。

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:

大人の麦茶第23杯目公演『おしり筋肉痛』を、2回目に観に行ったときだったと思いますが、開演を待っていたら、元オトムギメンバーのカズさんこと中神一保(なかがみかずやす)さんが、劇場に入ってきました。

観劇後、劇場の外でまたお会いしたカズさんは、「オトムギはやっぱこれだよね~」と、舞台を気に入った様子でした。

この、「オトムギはやっぱこれだよ」という感想を、今回の『おしり筋肉痛』にいだいたのは、カズさんだけでなく、自分のようなオールドオトムギファン、全員だったと思います。

客演陣が輝く芝居も、将護さんや有弘さんが活躍する作品もいいですが、やはり昔からのオトムギファンは、稔さんやなみちょうさんや久三さんが話の中心にいる舞台を、心のどこかで望んでいるものです。


上で書いたカズさんが、この舞台を観たあとにもう一つおっしゃっていたのは、今回の作品には、日々の稽古や日常生活での、オトムギメンバー同士のやり取りや様子が反映されていて、だからカズさんにとっては、今回の舞台がひとしおよかった、ということでした。

誰から聞いたのか忘れてしまいましたが、今回の『おしり筋肉痛』は、作演出の塩田泰造さんから、稔さんやなみちょうさんや久三さんへの、一種の贈り物のような物語でした。


しかし、自分が今回の大人の麦茶第23杯目公演を観て、稔さんやなみちょうさんや久三さんの芝居に感じたのは、ここまで書いてきたような、過ぎし日々を振り返る、甘くせつないバック・トゥー・ザ・青春時代では、少なくともそれだけでは、ありませんでした。

自分が舞台を観ながら感じていたのは、3人の演技から「いまここで」生まれる、その一瞬一瞬でした。

昔からのオトムギ仲間でなくとも、10年20年前からのオールドオトムギファンでなくとも、はじめてオトムギの舞台を観に来て、一度だけしか観劇せずに帰ってしまうお客さんにも、笑ったり泣いたり怒ったりドキドキしたりしてもらえる、そんな3人の芝居でした。

そんなオトムギの、第23杯目公演でありました。


オトムギ以外の舞台もよく観に行きますし、その中にはいい作品もときどきあるのに、芝居を観ると帰り道に、よくオトムギのことを思い出してしまいます。

だからどうしたって、オトムギの舞台がまたあれば、また観に行くのです。


(この項・了)
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

オトムギ『おしり筋肉痛』の音楽を担当しているのは、オトムギのヨージさんです。

この「その6」では、そのヨージさんの音楽について書こうと思います。


といっても自分は、演技について素人な以上に、音楽についてはまったく素人なうえ、ヨージさんの音楽的背景についても、何も知りません。

だから、ヨージさんの作る音楽が何年代のなんとかいうバンドの影響だとか、ヨージさんのひくギターが、有名ななんとかいうギタリストの系譜をひくものだとか、そういう話はまったくできません。

ただ、田中敏恵さんの舞台美術について、誰の影響を受けたとか技術的にどんな困難があるとかではなく、舞台の中でどんな効果を産み出しているか、という観点から書いたように、ヨージさんの音楽についても、この『おしり筋肉痛』という舞台にとってどうだったかだけ、主観的にちょっと書きたいと思います。


ヨージさんは、オトムギの一員となる前から、大人の麦茶のメンバーたちと、すでに深い関わりをもっていました。

そして彼がオトムギの一員となってからは、オトムギの舞台音楽は、基本的にヨージさんが担当しています。

ヨージさんの作り出す音楽とギターは、自分にとって、いつも少しどこか、懐かしさのようなものを感じさせてくれます。

今まで彼が手がけてきたオトムギの劇中音楽には、心に残るいい曲、芝居の雰囲気をグレードアップしてくれるいいギターが、いくつもありました。

中でも、今回の『おしり筋肉痛』という作品は、ヨージさんの音楽と特に相性がいいように、自分には思えます。

それは、この舞台の中心にいる40代グループが、劇中で自分たちの10代や20代のころを振り返る感じと、ヨージさんの音楽のトーンが、うまく響きあっているからでしょう。

もっとも、そんな話をヨージさんにしても、「自分は同じことしかできないから」と、シャイな笑顔が返ってくるだけですが。


ちなみに、「その5」の最後の方に書いた、雫さんとみおりんが2人で歌う校歌のような歌にだけは、もとになる曲があるらしいです。

それは房総半島あたりに残る、古い寮歌か何かだとか。


2ヶ月にわたって書いてきた、大人の麦茶『おしり筋肉痛』の観劇感想も、いよいよ次で終わりです。

最後は、我らがオトムギのベテランたちの話を、ヨージさんのギターにのせて。


(その7へつづく)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

大人の麦茶『おしり筋肉痛』の舞台となった「ファミリオーネかつやま南」の従業員には、20代(と思われる)の若者が何人かいます。


この宿泊施設は、一般のホテルや旅館と違い、元小学校の校舎を生かした、懐かしい学校時代をコンセプトにしています。

だから従業員も、例えば配送・修理担当の「つよぽん」こと袴田(はかまだ)つよしは“図画・工作教師”、レクリエーション担当の奥出雫(おくでしずく)は“音楽教師”、厨房の調理担当の田部井佳代(たべいかよ)は“家庭科教師”と、小学校の先生たちのように呼ばれています。


ところで、三人目に名前をあげた田部井佳代(演じるのは里内伽奈さん)ですが、彼女には「かよぱたーすん」という、変わったニックネームがあります。

そして彼女は、この変わったニックネームに、強い愛着をいだいています。

というのも、林田航平さん演じる飛神純平(とびがみじゅんぺい)が、この施設の新従業員としてやって来たとき、彼女は自己紹介で、自分のニックネームを「かよぱたーすん一択(いったく)で」といい、このニックネームで必ず呼んでくれるように伝えているからです。

しかし、「ぱたーすん」というアメリカ人かイギリス人の名字のようなニックネームが、どういう経緯でついたのかは、芝居の中では、説明されることはありません。

例えば、彼女の父親か母親が外国の人で、その名字をミドルネームのように使っているのか、など、好き勝手に想像することはできますが、舞台を観ただけでは、真実は決してわかりません。

わかっているのは、彼女にはどうやら両親がいないこと、母親はある段階まではいたものの、ある時、彼女の前からいなくなってしまったこと、そして彼女は、おじいさんに育てられたということです。


「かよぱたーすん」は、敬語が使えません。

仕事場の先輩にも上司にも、「ファミリオーネかつやま南」の宿泊客に対しても、常にタメグチです。

「かよぱたーすん」は、しばらく前までおじいさんと二人暮らしだったようなので、もしかすると敬語を覚える機会が、なかったのかもしれません。

あるいは妄想をふくらませるならば、お母さんがハーフかなにかで、外国出身のおじいさんに育てられたのかもしれません。

もっともこれは、この芝居のラスト近く、「かよぱたーすん」と「つよぽん」の大切なシーンと、ちょっと矛盾してしまうので、たぶん違うでしょう。


芝居の上であきらかにわかっているのは、彼女のおじいさんが、病気かなにかで介護が必要な状態になってしまったこと。

彼女は働きながら、最後までおじいさんの介護を、まったくいやだと思わず続けたこと。

そして、そのおじいさんが亡くなった時、生きる目的を失って自暴自棄になってしまった彼女を、「マッカーサー」こと松川栞教務長が、ぎゅっと、ずっと、抱き締めてくれたことです。


そんな「マッカーサー」に惚れ込んで、自分はおやんぎ派ではなくマッカーサー派なわけですが、また同時に、奥出雫を演じる久世理瀬さんには申し訳ないながら、自分は雫派ではなくぱたーすん派です。

この「その5」を書くに当たって、どうして自分は、美人でおしとやかで敬虔なカトリック信者の雫(しずく)さんではなく、うるさくて生意気で、矢吹について回って遊び歩いているような「かよぱたーすん」が好きなのか、色々と述べようかと思ったのですが、結局何を書いても、言い訳にしかならないことに気づきました。

もちろん「かよぱたーすん」は心根が優しい子だし、見た目もかわいいし、矢吹と遊び回っているように見えながら、雫に頼まれたら矢吹を置いて帰ってきてしまうくらい、いいやつなのですが、自分が「かよぱたーすん」を好きな理由は、そういう彼女の構成要素にあるわけではありません。

それはただ、「かよぱたーすんだから」と言うしか、ほかに言いようがないのです。

きっとこの気持ちを理解してくれるのは、「かよぱたーすん」に恋している、「つよぽん」しかいません。


その「つよぽん」こと袴田つよし(演じるのは“足立区の島崎”さん)が、ここ「ファミリオーネかつやま南」にやってきた理由も、この芝居の中では、観客には説明されません。

ただ、劇中で彼が、宮原将護さん演じる坂本立羽に対して、かよぱたーすん絡みで切れかけるシーンがあり、その時の迫力を見る限り、「つよぽん」にはかつて、荒れていた10代があったのかもしれないと、なんとなく予想される程度です。


そのような、人生において“今ここにいる訳”が、おそらく久世理瀬さん演じる奥出雫にも、あるのだろうと思います。

彼女は、先に書いたように、やさしく可憐なクリスチャンなのですが、しかし、自分より20歳も年上の奥出こうぞう議員(辻久三さん)の妻でありながら、坂本立羽と浮気しています。

また、かよぱたーすんと2人で、“ピンキー・レディーズ”(ピンク・レディーではない)というグループの歌を余興で歌うために、レオタードを着て練習しているところを、他の従業員や宿泊客に見られたとき、不倫相手の立羽に対して、かよぱたーすんを見ていたでしょうと迫り、その目を潰してやりたいと語るような、過激な一面ももっています。


ところで、この芝居に登場するこれらの“現代の若者”たち、かよぱたーすん・つよぽん・雫の中にあるアンバランスな部分は、ある意味で人格上の欠点なのですが、この舞台を観ていると、むしろそれらの点が、人間的な魅力として、リアリティーある人間的要素として感じられてきます。

それはここでも、まずは塩田さんのホンや演出の魅力なのですが、やはり同時に、それぞれの人物造形に注ぎ込まれた役者たちの熱意が、そのような逆転現象を産み出す力になっていることは、間違いありません。

だから観ている我々は、この若者たちの出自(しゅつじ)や背景について言葉で説明されなくとも、この若者たちを生きた人間ととらえて、雫が「みおりん」(石井杏奈ちゃん)と校歌のような歌を2人で歌うシーンにほっこりしたり、つよぽんがかよぱたーすんに告白するシーンで、「なかみん」(池田稔さん)と一緒に、今だ行け!と、つよぽんの背中を押したくなるのでしょう。


芝居は作家・演出家が産み出すのか、役者が産み出すのかは、よくわからない、永遠の問題です。

しかし少なくとも、どんなに身のしまったニワトリ(作演出家)がいても、新鮮で味の濃いタマゴ(役者)がないことには、美味しい親子丼(舞台)は生まれないのです。


(その6へつづく)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

大人の麦茶第23杯目公演『おしり筋肉痛』の初日、自分がもらった(もちろんチケットを買って)席は、前から3列目あたりの一番右、とても観やすい席でした。

その席のすぐ右側、舞台用語でいえば上手側に、舞台への出入り口が一つあって、そこから役者が出てくるとすぐに、ちょっとお立ち台のようになっている台があり、芝居はそこでも行われていました。

物語の前半、この台の上で、岩田有弘さんがしばらく立っている時間がありました。

彼がこの舞台で演じている新宮之一(しんぐうゆきかず)という男は、特に物語の前半では非常に無口なため、上に書いた、有弘さんが立っている芝居の間も、彼にはセリフがまったくありません。

しかしそれでも、すくっと立っているその姿から、強い存在感が感じられ、「有弘さんも立っているだけで芝居になる役者になったのだなぁ」と、感慨深いものがありました。



有弘さんと同じく、大人の麦茶という劇団に途中参加した宮原将護さんは、これも有弘さんと同じく、かつて即興演劇バトルのアクトリーグで、「ミラクル・アクト・スターズ」のBチーム(リザーブチーム)に属していた“若手”俳優でしたが、そろそろもう、若手という言葉が使えない年齢になりました。

将護さんは近年、オトムギの外の様々な演劇に積極的に関わっていますが、特に広島の中学校での演劇経験が、何か大きなものを、彼にもたらしたようです。

それも含め、ここ1~2年で将護さんが関わったオトムギ以外の舞台を、自分はすべて観ているわけではありませんが、少なくとも観ることができた舞台には、良質の作品が多かった気がします。

そしてそれらの舞台を通して、将護さんの芝居が少しずつ深化しているように、自分には感じられました。

例えば六本木の俳優座で上演された『横浜グラフィティ』という舞台に、将護さんは初演時と再演時、いずれも同じ役で出演しています。

それは同じ舞台なので、細部は異なっていても、将護さんが演じた役は、基本的に同じ作中人物でした。

しかし自分は、初演の時より再演の時の将護さんの演技に、よりリアリティーを感じました。

今回のオトムギ『おしり筋肉痛』で将護さんが演じた坂本立羽(たては)という役は、この作品に登場する人物の中では、「善」か「悪」かにステレオタイプ的に色分けするのが、少し難しい人物です。

というよりも、基本的には「いい人」であるものの、人間としての弱さを持ち合わせた人物、というべきでしょう。

そんな人物の陰影を、微妙に演じた将護さんを観ていて、「やっぱりこの役者の芝居を、これからも観続けていきたい」と思いました。



神木優さんが今回のオトムギ『おしり筋肉痛』で演じた矢吹健之介は、「ファミリオーネかつやま南」に、どうやら長期滞在しているお客さんです。

その矢吹は、さっきあげた「善」か「悪」かの区別でいえば、明らかに悪いヤツです。

彼は、金持ちのボンボンという雰囲気を漂わせていて、周りが彼についてそう考えるのを、口では違うといいながら、本気で否定しようとはしません。

しかし実態は、この宿泊施設にたむろしながら、大物議員の懐に食い入って甘い汁を吸おうと考える、ヤクザまがいの男です。

また彼は、フェミニスト的な仮面を被っていながら、一皮むけば実に暴力的で、将護さん演じる立羽も、あるきっかけで彼の暴力の餌食となります。

そんな、文字で説明すると人としてなかなかに最低な矢吹ですが、実際にこの舞台を観た方ならわかるように、それでも神木優さん演じる矢吹には、ある種の魅力があります。

それはもちろん、塩田さんが書いた役そのものの魅力であることは確かです。

ですが、これも舞台を実際に観た方なら、そのホンをもとに神木優さんが創造した、浴衣を着流して歩く矢吹健之介という人物に、神木優さんでなければ醸し出せない、独特の雰囲気、独特のこだわり、独特の軽みがあることを、きっと感じたことでしょう。



この『おしり筋肉痛』観劇ブログの「その2」でも書いたように、もしこの作品に物語の軸を定めるとするならば、それは主に40代同級生グループであり、従に20代従業員グループでありましょう。

しかし、この物語が豊かな群像劇となっている鍵は、30代グループともいうべき、この魅力的な3人の役者にあるのです。


(その5へつづく)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

大人の麦茶第23杯目公演『おしり筋肉痛』は、本当にいい作品で、芝居としてはほとんど文句のつけようがないのですが、一つだけ、この舞台を最初に観たときから、どうしても納得できないことがあります。

ただしこれは、この芝居の内容や良し悪しとはまったく関係のない、自分の個人的な好みに関する問題です。


一つ前のブログ「その2」でも少し書いたように、この芝居には、勝山南小学校という、今は廃校になってしまった小学校の、もと同級生たちが、全部で5人出てきます。

そのメンバーは、まず「その2」にも書いた、池田稔さん演じる「なかみん」こと前田将太と、なみちょうさん演じる「とべちゃん」こと十倍力三(とべりきぞう)の2人で、この2人は小学校以来の親友であり、今回の舞台では、「ファミリオーネかつやま南」の宿泊客として登場します。

それから、「みおりん」のお母さんの、「マッカーサー」こと松川栞(しおり)で、これも「その2」で書いたように、彼女は現在「ファミリオーネかつやま南」の教務長(ホテルでいう支配人)をしています。

この「マッカーサー」を演じているのは、松田かほりさんです。

さらに、「その2」ではまだ出てきませんでしたが、辻久三さん演じる奥出こうぞうという、地元千葉県の県会議員が、なかみんやとべちゃんとよくつるんでいた同級生の一人として登場します。

そしてもう一人、浅田光さん演じる「おやんぎ」こと、青柳青奈(あおやぎせいな)が、この同級生グループの最後の一人です。

彼女ははじめ、少し気弱な保健室の先生(この宿泊施設の主治医?)として、つまりはマッカーサー教務長の部下の一人という立場で、物語に登場します。

しかし実は、彼女こそがこの「ファミリオーネかつやま南」のオーナーであることが、物語の進行とともにわかってきます。


と、ここまでは、登場人物のうち40代グループの人物紹介だったわけですが、話の本題、自分がどうしても納得できなかった点は、この先に出てきます。


この物語全体の「背骨」は、池田稔さん演じる「なかみん」が、小学校で出会った「おやんぎ」に恋し、それ以来、この芝居の「今」である40代後半まで、その「おやんぎ」のことを、ずっと一途に好きでいることです。

一途と言っても、男も40代になれば色々あるわけで、その色々の結果、石井杏奈ちゃん演じる「みおりん」が生まれたのですが、そのバカな色々があってもなお、「なかみん」は結婚もせず、「おやんぎ」を想い続けています。

しかし、確かに「おやんぎ」役の浅田光さんはとても素敵なのですが、自分はこの舞台を最初に観た時から、「好きになるなら『マッカーサー』でしょう!」と思ってしまったのです。

そう思わせてくれるほど、松田かほりさん演じる「マッカーサー」は魅力的でした。

もちろん、例えばピンク・レディーのミーちゃん派とケイちゃん派の争いのごとく、二人の女性のうちどちらが素敵か、などという問題は、100%個人の好みの問題なわけで、劇中で「おやんぎ」の助手として登場する純平くん(林田航平さん演じる飛神純平)に言わせれば、「青柳先生の魅力が理解できないなんて、あんたは人間か!」ということになってしまうでしょう。

とはいえ、この物語全体のキモである「(マッカーサーではなく)おやんぎに恋するなかみん」という図式に納得がいかなければ、これは芝居としては大問題か、ということになりかねません。


しかし、しかし。

こう書きながら、実は自分は、まんまと塩田マジックにはまってしまったのではないか、という気が、しないでもないのです。

というのも、なかみんはずっとおやんぎを想っていながら、20代にあった同窓会で、思わぬ展開からマッカーサーと一夜をともにしてしまい、みおりん(石井杏奈ちゃん)が生まれるのですが、この物語の最後に、おやんぎがある実験の結果から、「なかみんは実は遺伝子的には、マッカーサーのような世話焼きの女性に惹かれることになっている。」という結論に達するからです。

つまり、なかみんはずっとおやんぎを好きでいながら、実は遺伝子レベルではマッカーサーを求めており、だから彼女とたまたま結ばれてみおりんが生まれたことは、間違いではなく正しいことだったのだ、ということです。

だから、みおりんがいい子なのも、納得です。

そして、その結論に達するには、観客にマッカーサーが素敵に見えていることは、やはり間違いではないのです。


とはいえ、話がここまで来ると、これは観劇感想というより、妄想の類いでありましょう。

言えることはただ、松田かほりさんが素敵な演技をしたこと、それだけです。


最後にひとつ。

この芝居のラスト近くで、おやんぎが、上に書いた実験結果からの推測を語るとき、その前に一言、「こんな研究ばかりしている私みたいなのをずっと好きでいてくれてありがとう」的なことを言うのですが、その台詞を聞いた時、マッカーサー派のわたくしは、思わず「おやんぎ、かわいい」と思ってしまいました。

まあつまり、結論は、男ってバカね~


(その4へつづく)

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(1)

テーマ:

「出演者の中では、私一人だけ子供で…」

大人の麦茶第23杯目公演『おしり筋肉痛』の千穐楽、ダブルカーテンコールの後、座長の池田稔さんから指名を受けて挨拶した、「みおりん」役の石井杏奈ちゃんは、そう切り出しました。


房総半島南端にある町の、廃校になった元小学校を舞台とする、オトムギの今回の芝居は、作・演出の塩田泰造さんが得意とする“群像劇”の中でも、とりわけ登場人物全員がそれぞれに生きた、素敵な作品でした。

その登場人物たちは、40代から10代まで、年齢設定は様々ですが、この作品では、2つの年齢層グループが芝居の中心となっていました。

一つは、稔さんやなみちょう(並木秀介)さんたちが演じる、この小学校の元同級生グループで、役の年齢設定はみな、40代後半です。

もう一つは、その小学校がリニューアルされて宿泊施設となった「ファミリオーネかつやま南」の従業員たちで、中でも若い20代設定の従業員たちが、前述の40代グループと対比されるように描かれています。

さらにここに、おそらく30代設定と思われる、訳あり宿泊客の矢吹(神木優さん)、彼のことを知っているらしい同じく訳あり宿泊客の新宮(岩田有弘さん)、「ファミリオーネかつやま南」の従業員で矢吹や新宮とやがて絡むことになる坂本立羽(宮原将護さん)という、三人の30代グループがいて、前述の40代・20代グループと、様々に絡み合って物語が進行していきます。


そんな中、この芝居に登場する10代設定の登場人物は、石井杏奈ちゃんが演じる「みおりん」こと松川美織(まつかわみおり)、ただ一人です。

そして実年齢も、おそらく杏奈ちゃんだけが、10代の「子供」です。


ただし彼女が、自分「だけ」子供だと言ったのには、想像ですが、おそらくもう一つ別の理由があります。

石井杏奈ちゃんは、モーニング娘。などが所属しているアップフロントという芸能グループが関わる、「演劇女子部」に属しています。

この「演劇女子部」というのが何なのかを一言で説明するのは難しいのですが、出資関係などを無視して大雑把に言うと、ハロプロ所属のアイドルたちを中心にした舞台を行う、ハロプロ(アップフロント)の演劇部門、というイメージで理解すると、ある程度わかるかと思います。

例えば、ハロプロの公式サイトの中にこの「演劇女子部」のページがあり、また、ハロプロ所属のアイドルグループやハロプロ研修生が出演する近年の舞台のほとんどは、「演劇女子部」名義で行われています。

そして、この演劇女子部に属する女優さんが何人かいて、石井杏奈ちゃんもその一人です。

そのような経緯があるため、石井杏奈ちゃんのこれまでの出演作品には、上述のハロプロ関係のものが圧倒的に多く、彼女がハロプロの「外」の芝居にも参加するようになったのは、比較的最近のことです。


今回のオトムギ『おしり筋肉痛』に出演している役者たちは、舞台経験や年齢に差はあるものの、みなさん様々な演劇経験を積んでこの舞台に結集した、演劇界を回遊する魚たちです。

そこに参加した石井杏奈ちゃんは、少し妙な例えかもしれませんが、生まれ育ったうちを離れてはじめて世界を旅するニモのごとく、小さな勇気と大きな不安と、情熱と期待と驚きを携えて、大人の麦茶にやってきました。

そんな、自己認識では「一人だけ子供」な杏奈ちゃんは、しかしこの物語で、なくてはならない重要な役割を果たしました。


杏奈ちゃんが演じる「みおりん」は、宮原将護さん演じる坂本立羽(たては)に、ほのかな恋心を抱いています。

その恋心は、ロボットには「ここぽん(心)」がないから、という理由で、立羽の前でだけロボットを演じるような、そんな恋心です。

それは、甘く切ない10代の恋なのですが、その切なさの奥に、観客には気づかれないほどの、かすかな悲しみが流れています。

「みおりん」のお母さんは、ファミリオーネかつやま南の教務長(支配人)の「マッカーサー」こと、松川栞(しおり)で、彼女は、先に書いた40代の元小学校同級生グループに属する人物でもあります。

そして「みおりん」に、お父さんはいません。

やがて物語が進み、みおりんの父親が、池田稔さん演じる「なかみん」であるらしいこと、彼女が生まれたいきさつが、この「なかみん」と、その親友の、なみちょうさん演じる十倍力三(とべりきぞう)、当時20代だったこの二人の、バカな過ちによるものだったことが、明らかになってきます。

そして「なかみん」が、じゃあそのバカな過ちから生まれた子供は、生まれなければよかったのかと聞かれたとき、言葉につまってしまった「なかみん」の代わりに、観ているお客さんたちは心の中で、「そんなことないぞ!」「みおりんが生まれてきてよかった!」と叫んだのです。

そんなみおりんを、石井杏奈ちゃんは、誇張せず、型にはめず、どこか遠くをみているような瞳で、静かに静かに演じきったのでした。


「出演者の中では、私一人だけ子供で…みなさんに迷惑をかけてばかりで…」

千穐楽のダブルカーテンコールの後、そう挨拶した杏奈ちゃんに、劇場の客席の上の方にいた塩田さんから「迷惑なんて一個もかけてないよね!」と声が飛びました。

杏奈ちゃん、迷惑なんて、一個もかけてないよ。


(その3へつづく)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

今年もまた、「オトムギの季節」がやって来て、あっという間に過ぎ去っていきました。

今年の大人の麦茶本公演・第23杯目公演『おしり筋肉痛』(4月19日~4月23日)は、近年のオトムギ公演の中でも、とりわけ心に残る、よき舞台となりました。

いつものように、この後少し時間をかけながら、何回かに分けて、この公演を振り返ってみたいと思います。

ネタバレもたくさん書きますが、千穐楽の幕が下りた後なので、ご容赦のほどを。


さてその一回目は、オトムギの公演を観るたびに必ず最初に言及する、舞台美術の田中敏恵さんが建てたセットの話です。


自分は、自他ともに認める田中敏恵ファンなのですが、今回の舞台セットには、もはや「好き」を通り越して、完全に惚れ込んでしまいました。

千穐楽の終演後、舞台の際まで行ってセットを見たのですが、もしスタッフの方が誰もいなければ、そのまま舞台上に登って、目の前でしばらくながめていたいところでした。

いやいっそ、舞台セットをそのまま壊さずに残してもらって、二~三日そこに住みたいくらいでした。


今回のオトムギの芝居は、公演日程が、もうひとつの大好きな劇団である「激嬢ユニットバス」の公演と完全に重なってしまったため、全部で3公演「しか」観に行くことができませんでした。

その1回目である初日に、公演劇場である下北沢の「ザ・スズナリ」に入って、開演前に最初に舞台上を見た時、「あれ?スズナリの舞台って、こんなに広かったっけ?」という印象を受けました。

まあ、前回スズナリで芝居を観たのは、一年前のオトムギの第22杯目公演だったので、もう舞台の大きさを忘れているのだろうと、その時はそのまま、観劇に突入したのですが…


芝居が終わって、田中敏恵さんのすてきなセットをもう一度見ていたら、ふとあることに気がつきました。

今回の芝居の舞台設定は、ある廃校になった小学校をリニューアルして、宿泊施設として再利用している、というものです。

なので、セットは小学校の教室が再現されています。

そのため舞台上には、教室の窓が大小あるのですが、その窓枠が、四角くないのです。


今回の教室のセットは、昔よくテレビのバラエティー番組に出てきたような、教室を真横から見た形のセットではなく、舞台の中央付近に教室の角(かど)があり、そこに向かって左右から教室の、本来は90度に交わる壁の部分が作られています。

この舞台を観ていない方のためにわかりやすく書くと、今あなたが室内にいるなら、その部屋の壁ではなく、角(かど)を見てください。

そうすると、その部屋の角というか隅というかに向かって、左と右に、壁が見えるでしょう。

それが今回の舞台セットの、基本構造です。

つまり、もし形が忠実に再現されているなら、舞台の中央付近が一番奥になる、三角形の「教室の角(かど)」、それが舞台の形になるはずです。

しかしもちろん、実際の舞台は客席に向かって、ほぼ長方形に、四角にできています。

田中敏恵さんは魔法使いなので、三角のものを四角の上に再現できるのですが、さっき私が気づいた、四角くない、奥に向かって歪んだ台形となっている窓は、その魔法を形づくる、様々な呪文の一部です。

そして実は、田中敏恵さんが舞台上に書き込んだ呪文の中では、窓の形などはほんの一部にすぎず、教室の上にある梁の大きさや高さ、入り口の位置、ガラスが入っていない窓、その他様々なものが、物理的にいうと、すべてありえない角度で、ありえない形に交わっているのです。

そして田中敏恵さんという魔女の一番恐ろしいところは、それらのすべての奇妙な形が組み合わさると、我々がよく知っている小学校の教室が、まったく違和感なく、そこに再現されてしまうということです。

その結果として我々は、元々そこにある狭い舞台空間を、実際より広い場所として認識することになります。

それは、舞台芸術という非日常の不思議な世界に、役者の芝居が始まる前から、我々がすでに、引き入れられているということにほかなりません。

(その2へつづく)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。