6月に入って、セッション以外の時間を
全て新しい学びの時間に充てています。



セッションの深度を深めるために
いろんな新しいジャンルの学びを、
一度に並行しているので
かなり頭がいっぱいいっぱいですが
学ぶというのは、とても楽しいものですね~。

新しい学びは楽しいけれど、大切なのはバランス。




最近の起業の傾向を学びに
ビジネス塾にも参加しています。


ビジネスについてはこれまで

長い間、そして様々な「社に属す」という
社会経験から、多くを学び
(学びたいコトの目的事に、所属する社を選んできました)


2004年、起業準備期間は
当時のネット起業とネットビジネスの基礎を
理論と実例で成功している方から直接学べる
ビジネス塾で学びました。





その時の先生は、一年後一躍時の人となって大活躍。

私は起業した後、ネット起業から縁あって
また会社に所属しチームで仕事をすることになりましたが

最初に学ぶ人を選ぶのって、
かなり重要だなってこのとき感じました。



***


仕事で初めて行うこと、しかも短期間で成果を上げるなら
必ずどこかで学ばれることをお勧めします。



これって海外出張に一人で初めて行くときと一緒です。

自分で時間をかけて、詳しく調べて
現地でわからないなりにも体験していくのも一つですが
一度も経験がないのに、それはかなり無茶。


無茶が多い人生の私ですが
さすがにそれは出来ません。笑





例えば、電話の掛け方が分からないのに
誰にも聞けないでいると
一日つぶすことになったりとか、普通にありますから

最初はツアーでアテンドを依頼するか、
現地でガイドさんを雇って
様子を把握してから、単独行動を行ってきました。




慣れてきたら、一人で悩む時間もとても有効だけれど・・・

一年の放浪など時間がたっぷりあるならOKだけれど
5日の間に、やりたいことをする、
という目的があるなら
さっさとやり方を誰かに教えてもらった方が早いですよね~。





起業に向けてたくさん資格取られる方も多いし
資格ビジネスもとても活発ですが

もし起業したいのであれば、やりたいこともいいのですが
先に押さえないといけないのは、ビジネスを学ぶこと。

やったことないことを
自己流で成功させることは、相当難易度高いです。
趣味であればどれだけ時間がかかってもいいのですけれど・・・




特にこのところ、「会社員をやめて好きな道に進みたい」
と、という方とのセッションも多く
会社員をやめる前に、しっかりとビジネスの基本を学ぶことを
お勧めしています。





***


で、今日の本題はビジネスの話じゃなくてですね。。。

ビジネスについて学び、
データーを再アップデートしている中で
あることに気が付いた話。




突拍子もないところに飛びますが
「加持・祈祷が出来る人」
の構造って、もしかしてこうなのじゃないかしら?
という気づき(笑)。



神主さん、お坊さん、霊能力者?
など、その筋のお仕事の方は
霊魂を静めたり、お仕事としてされているわけですが


これって、確かめることも出来ないし
はたして神仏系の学校に行って勉強したからといって
そういうことが、「本質的に」出来るのかどうか?







なんでも自分の目で確かめてみないと
全く信用が出来ない私は
ずっと????のままでした。


仕事では、割とそのような場面に
多くかかわってきたと思います。



例えば、建築の仕事であれば
新築物件を建てる際には
神主さんを呼んで 「地鎮祭」 という儀式を行います。

他にも全社員で、神社へと新年のご祈祷を受けに行ったり
という行事もありました。



「祈祷」って、結果を確かめられないから
迷信と言われれば、迷信のような気もするし

でも、セキスイ時代の個人宅の新築から、
大きなマンション建築の際にも

どんな現場でも、どんな会社でも

「地鎮祭をやらない」
という現場は見たことがありませんでした。





だから、身近だったのだけれど
地鎮祭という 「祈り」 の構造が分からないので

「まあ、そういうものなのだろうな」
という想像の範囲の中で終わっていました。





祈祷できる人は、特殊な力があるのかもしれないし
そうでもない本人の思い込みの人や

 

 

 

微妙なバックグラウンドの人もいたので

(例えば、神様に祈りが通じなさそうな、人としての素行の悪い人とか・・・
言葉遣いや態度がおかしいとか、時間を守れないとか、
ごく普通の当たり前のことが、欠けているとか・・・)


そのあたりが、余計に実感できない点でもありました。



時々、「あれ?この人、本物では?」
と思う人に出逢うこともありました。

本当に数は少ないけれど。






ビジネスの構造を学んでいる最中に、なぜかふと、

「あれ?もしかして、加持祈祷が出来る人の構造って
こういうことなのではないのでは??」


と、頭の中でこれまでのいろいろな点が
ぱぱぱぱぱーーーっつと繋がったのです。





それと同時に、いわゆる
「スピリチュアル能力がある」と言われている人で
偽物?!と感じることが多いのはなぜか?
の理由にも繋がりました。





書くと長くなるので、全部をここでは書けませんが
今たどり着いた結論としては
「本物」と
能力の「出来る、出来ない」は別ものだということ。
 



あくまでも私の主観です。ので、
「へ~、そんな考え方もあるんだ」
って流していただければ。






「スピリチュアル能力がある」といわれる人の中には

心のまっすぐな、まさに「神職」という言葉がぴったりの方もいれば
現生の欲にまみれて、エゴの塊のような方もいて

でも、どちらも不思議な力を持っている。




なんで?

悪いことに使うなら、それはやめてほしいわ・・
って思ってました。




「スピリチュアル能力」って特別なことでは決してなくて
誰もが持つ力。

「見ることの出来ない場所にある力を使うにはコツ」があって
思いっきりはしょりますが、それには
心が「無邪気」であることがベースなのかも・・・
と、何人もの人を観て、その傾向から気づきました。

(だから子供は不思議なコトが出来たりしますね)







どんな人でも修行をすれば、
神主さんやお坊さんになることが出来ます。

努力してその職業に就く人もいれば
生まれながらにして不思議な力があるという方もいる。


このような方は
「無邪気」という資質が開花している
ということなのかな?と感じています。




で。
心がまっすぐでも、エゴだらけでも
能力が発揮できるための「無邪気」さがあるから
それが実現する。


そこに善悪の判断は無いようで・・



エゴは極力消す努力をして、
誰かの役立つことに使えるのならベストに思えるけれど

そこにたどり着くまでに
人間が誰もが持つ「エゴ」をいかに消していくか?
ということも「人間としての学び」なのでしょうね。


「だから、いろんな人がいるんだ」
と思うと納得です。






1・魂
2・霊

とという漢字がありますが
どちらも「たましい」で、見えない世界。



先ほどの、「無邪気」の「無」について、深度を進めると

1・「許せる心」にたどり着いた「無」
2・「無関心」からきた「無」



があって
どちらも状態としては「無」の状態。

その状態に、「善悪」の判断は、やっぱり無い。



この「無」 の状態にたどりつけることが
心がまっすぐだろうと、エゴだらけだろうと

「加持祈祷」 
という見えない場所にある「力」を動かすことが
出来るということなのではないか?


でも人が学び、進みたい「無」の状態は
1・「許せる心」にたどり着いた「無」
なのではないだろうか?

そんな風に、なぜか? 
ビジネスの骨組みや構造について学んでいるときに
ふと浮かんできました。





こんなこと書くとまた、
信仰宗教とかスピリチュアルかぶれとか
言われちゃうかもしれないけれど


自分自身、一切そのような区切りには興味が無くて

興味があるのは ものごとの「真理」 だけ。



実際に、この目で確かめたり
自分が体感するまで、簡単に理解はできない性格で
だから聞きかじっただけでも、信じられない。
なんでも自分の目で、確かめてみたい。




現実主義でも、宇宙でも、宗教でも、スピでも何でもいいのだけれど
一つ共通して言えることは

「ものごとの本質は繋がっている」
ということで


それは、どこから何を学んでも
深く深く追及していくと、同じ原理にたどり着くということ。




あらら。。。
土曜日のつぶやき記事になってしまいました。

長々とお付き合いくださって、ありがとうございます~。


 
 
 
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