9/10~9/13に軽井沢72ゴルフ・東 入山コース/押立コースで行われました、2014年度(第29回)アイゼンハワートロフィー 世界アマチュアゴルフチーム選手権にフィジオセラピストとして参加してきました。
http://www.jga.or.jp/jga/html/2014/37-0/high_spot.html

世界アマチュアゴルフチーム選手権とは(以下日本ゴルフ協会より)

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1957年に霞ヶ関カンツリー倶楽部にて開催されたカナダカップの際、当時JGA副会長の野村駿吉氏が、USGAとの間でアマチュアの対抗戦開催を提案しました。この提案が全米ゴルフ協会(USGA)を動かし、R&Aを賛同させ、翌1958年に世界35カ国がワシントンD.Cに集い、うち32か国によりWorld Amateur Golf Council(WAGC)(1991年に団体名をIGFに変更)が設立され、同年10月のSt Andrews Old Courseでの第1回大会開催へとつながりました。
大会の呼び名は、当時の米国大統領で、歴代大統領の中では最もスポーツに理解があり、ゴルフにも多大な貢献を果たしていたD.アイゼンハワー氏から優勝杯を寄贈されたのにあやかり『アイゼンハワートロフィー』と名づけられました。また、女子は、アイゼンハワートロフィー創始から6年後の1964年に第1回大会が開催され、ロシア帝国の由緒あるカップをポルトガルのSilvia Espirito Santo女史が提供されたことから『エスピリトサントトロフィー』と呼ばれ、今日まで続けられています。
過去、本選手権にはタイガー・ウッズ、フィル・ミケルソン、女子ではヤニ・ツェン、ボーラ・クリーマーをはじめとする現在トッププレーヤーとして活躍している選手たちが祖国の誇りと名誉をかけて出場しています。

■日本代表チームの活躍
過去、日本は1984年香港大会で優勝、1974年ドミニカ大会、1976年ポルトガル大会、1982年スイス大会の3度2位となり、丸山茂樹、片山晋呉、宮里優作、池田勇太、松山英樹らも日本代表として世界アマに出場しました。
一方、女子は、1984年香港大会、1988年スウェーデン大会、1990年ニュージーランド大会、2004年プエルトリコ大会の4位が最高順位で、現在USLPGAツアーで活躍している宮里藍や宮里美香、日本女子プロツアーの中心選手に成長した森田理香子らが日の丸を背負って戦いました

1957年に霞ヶ関カンツリー倶楽部にて開催されたカナダカップの際、当時JGA副会長の野村駿吉氏が、USGAとの間でアマチュアの対抗戦開催を提案しました。この提案が全米ゴルフ協会(USGA)を動かし、R&Aを賛同させ、翌1958年に世界35カ国がワシントンD.Cに集い、うち32か国によりWorld Amateur Golf Council(WAGC)(1991年に団体名をIGFに変更)が設立され、同年10月のSt Andrews Old Courseでの第1回大会開催へとつながりました。
大会の呼び名は、当時の米国大統領で、歴代大統領の中では最もスポーツに理解があり、ゴルフにも多大な貢献を果たしていたD.アイゼンハワー氏から優勝杯を寄贈されたのにあやかり『アイゼンハワートロフィー』と名づけられました。また、女子は、アイゼンハワートロフィー創始から6年後の1964年に第1回大会が開催され、ロシア帝国の由緒あるカップをポルトガルのSilvia Espirito Santo女史が提供されたことから『エスピリトサントトロフィー』と呼ばれ、今日まで続けられています。
過去、本選手権にはタイガー・ウッズ、フィル・ミケルソン、女子ではヤニ・ツェン、ボーラ・クリーマーをはじめとする現在トッププレーヤーとして活躍している選手たちが祖国の誇りと名誉をかけて出場しています。

■日本代表チームの活躍
過去、日本は1984年香港大会で優勝、1974年ドミニカ大会、1976年ポルトガル大会、1982年スイス大会の3度2位となり、丸山茂樹、片山晋呉、宮里優作、池田勇太、松山英樹らも日本代表として世界アマに出場しました。
一方、女子は、1984年香港大会、1988年スウェーデン大会、1990年ニュージーランド大会、2004年プエルトリコ大会の4位が最高順位で、現在USLPGAツアーで活躍している宮里藍や宮里美香、日本女子プロツアーの中心選手に成長した森田理香子らが日の丸を背負って戦いました。
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以上、世界のスパースターの登竜門として、世界的に注目度の高い大会です。
また、日本では1962年第3回大会以来52ぶりの開催となり、2020年の東京オリンピックでのゴルフ競技開催に向けての試金石となる、重要な大会と位置づけられています。
今大会には、70余りの国と地域から、400名に及ぶ選手を含む、総勢1000名近い選手団が来日しました。
まさしくあらゆる人種が行きかい、また多言語が飛び交う国際交流の場でもあります。

私は大会のフィジオということで、各国の選手のコンデショニングを担当させていただきました。
大会前は選手たちに利用してもらえるのかと心配していましたが、ふたを開けてみると、連日予約シートがすべて埋まってしまい、希望選手の半分以上を断ってしまう状態。
さらに欧米の選手の体の大きさや、手足の長さ等やはりアジア人とは違い、ストレッチなど手が届かない状況に陥ったり、マッサージでも更に圧を強く要求されたり・・・。
今回、セラピストは私一人のみでしたので、体力気力とともに死力を尽くした思いでした。

また対応はすべて英語。
頭もかなりヒートアップ。
英語学習へのモチベーションもかなりアップしました。

そんな過酷な任務ではありましたが、優勝したアメリカチーム選手をはじめ数十カ国の選手が利用してくれたおかげで、スタッフ中で最も多く各国選手と会話する機会があったと思われます。
そのため、開会式・閉会式に行われたパーティーでは、本当に多くの選手、関係者のテーブルに呼ばれ、友情の証である自国のバッチを交換したり、お酒を酌み交わしたり、ほんとうに楽しい時間を過ごさせていただきました。

正に最高の時間。
一生心に残る大会となりました。

今大会の優勝はアメリカチーム。
日本チームは29タイと目標には大きく届きませんでした。
しかし、選手たちはリベンジを誓い、必ずや次回大会でトロフィーを手にしてくれることでしょう。

またこの大会参加選手の中からスーパースターが生まれるのは確実。
今後の選手たちにも注目していきたいと思います。

各国選手、関係者の皆様に心からお礼申し上げますと共に、これからのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。


最後に、このような素晴らしい大会に推薦していただき、参加できましたことは本当に私にとって大きな経験となりました。この場を借りまして諸先生方に心よりのお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。





今大会のために新たに新築、増大したクラブハウス
大会の重要さが伺えます



大会通して天候には恵まれました
コースセッテイングも完璧



新築したクラブハウス内にはストレッチングルームを併設
他のクラブハウスでは見たことがないため、これも今大会用と思われます



ほぼ缶詰状態でフル回転
ここで大男たちをケアしていました(笑)