ラジオエクストラ ♭36 Right by Your Side | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ユーリズミックスは、83年のアルバム
TOUCHからのセカンド・シングル。

Touch/Eurythmics

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まあソウルフルというしかないのだけれど、
この手の唱法を、ここまでしっかりと
自分のものにしている女性シンガーは、
なかなか簡単には見つかってこない。


とりわけ、イギリスの白人の
フィメール・ヴォーカリストとなると、


恐縮ながら僕には、
このアニー・レノックス以外には
誰一人として名前が出てこない。

もっとも僕の勉強不足である
可能性も十分にある。
もちろんそれは否定しない。



とにかく、たとえどんなトラックでも
パワフルにかつエモーショナルに、
時に訳のわからない種類の
居心地の悪さを誘ってくるほど、


すべてをたちまちにして、自身の強力な
ヴォーカル・スタイルの中に取り込んでしまう、
このアニー・レノックスというシンガーには、
いつもただ感服するばかりなのである。

なんていうんだろうなあ、
やっぱりこう、まともに向き合うことを
絶えず要求してくるような手触りがあって、


正直彼らのサウンドは、あまり執筆の際の
BGMには向かないという側面も、実はある。


逆にいえば、それだけ音楽として
強いのだろうとも思っている。


さて、あるいは今回取り上げたこの、
Right by Your Sideなるトラックは、
ある意味では、彼女の唱法の本質からは
極北にあるタッチの曲かもしれない。


この独特のリズム、カリプソという。
カリブ海起源の音楽で、
これがレゲエの元になったのだと
されるような記述も時に見つかる。


何よりも特徴的なのは、
シロフォンとスティールドラムとの両方に寄せ、
丁寧に加工された音色のシンセサイザーの
バッキングのパターンだろう。

忙しないくらいの上下動のアルペジオの後、
さらには長いトレモロでたたみかけてくる。


これがなんともいえずに
気持ちいいのである。
いかにも南の島という感じである。


はしゃぐ、寿ぐ。生を謳歌する。
いうなればそんな空気だろうか。

だからむしろ、アニー・レノックスの
スタイルにピタリとはまっているという
テイストのトラックではない。


なのにこの人は、このタッチすら
すっかり自分のものにしてしまうのである。



彼女にこの曲を歌わせようという
そのアイディアそのもの。
この点はやはり、相方のデイヴの方に
由来しているものなのだろうと想像している。

その辺がきっと、
この二人の独特の信頼関係が
可能にした効果だったのだろうなあ、などと
つくづく思ったりもしてしまうのである。



ユーリズミックスは、その前身というか
初期に一時期、ツーリスツなるバンドを名乗って
まずは70年代のうちに活動を開始している。


5人編成だったこの旅行者たちから、
いわばダウンサイジングするような形で、

ステュワートとレノックスの二人が、
ユーリズミックスを名乗るようになったのが、
82年のことである。



個人的に極めて興味深いのは、
それまで恋人同士だったこの二人が


ユーリズミックスとしての活動開始を機に
その関係をきっぱりと解消している点である。

――普通、逆なのではないか。

一緒にやっていくうちに、
なんとなくそんなふうになってしまう。


まずはEBTGを引き合いに出してしまうけれども、
トンプソン・ツインズ(♯42)も、
あるいはサンデイズ(♯30)も
確か似たような経緯をたどっていたはずである。


だからこそ、むしろこの点に、なんというか、
音楽、あるいはアートと向き合う
ある種の覚悟みたいなものが、
透けて見えるような気がするのである。



二人はツーリストの時代からすでに、
互いに互いの才能を
篤く認め合う間柄だったのだろう。


そして、自分たち二人でなければ到達できない、
理想、あるいはヴィジョンのようなものを
しっかりと共有できる、そういう唯一無二の
存在だったのではないかと思う。

だからこそ、そこへ向け伸ばした手を
間違いなくその場所に届かせるためには、


甘えや依存のようなものが、
入り込んでしまう余地を
残しておくべきではない。


あるいはそんなふうに考え、
話し合ったりもしたのではないだろうか。

もちろんすべては想像の域を出ないけれど、
僕にはどうも、
そんなふうに思えて仕方がないのである。



ユーリズミックスの活動期間のすべてを通じ、
レノックスのアピールの仕方というのは、
極めて諧謔的で、カリカチュアライズされている。


時に嵐が丘のヒロインのように、
また時には、それこそターミネイターを
思わせるほど人工的に、映像的に加工された姿で、
オーディエンスの前に登場している。

その彼女が、極めて表情豊かに歌うのである。

それは間違いなく、巧妙に企まれて作られた
ギャップであったに違いない。


なんとなれば、
カリプソにせよソウルにせよ賛美歌にせよ、
どこか土着的といっていいようなテイストを

電子的に加工された音色を適度に加えながら、
ロックへと取り込んでしまうというのが、


このユーリズミックスという
ユニットのサウンドの
終始ぶれることのなかった
本質だったからである。


そしてこのレノックスの存在そのものが
まさにそのスタイルを体現していた、

それくらい断言してしまって、
たぶんかまわないのだろうと思う。



まあこの二人については、
また機会を改めて取り上げるだろうと思う。



なお最後に、彼らのこの一風変わった
ユーリズミックスというバンド名は、

オーストリア出身の思想家
R.シュタイナーによる
EURYTHMYなる造語を
由来としてつけれられている。


このシュタイナーについては、実は僕も
本当にほんのちょっとだけだけれど、


09年の『オールド・フレンズ』という
作品の中で触れていたりもしたりする。