ライフスタイルについて考えるときに、江戸時代を参考にすることが多い。(本気)


前のこの記事(戦略的家事分担について)に、食事は江戸時代をイメージしてるって書いたけど、その他にも色々。


例えば育児。


なるべく手をかけない子育て研究委員会(会員募集中)現会長の私としては、自分の子育てのイメージは江戸時代の7人兄弟の4人目くらいの赤ちゃん。


上に5歳、3歳、一歳半の子がいるから、毎日てんやわんや。(※イメージです)



当然だけど1日中あやしたり構ってるなんてできないから割と放置。



でも赤ちゃん自身も「まぁそんなもんだよね」って思ってる感じで。


たまに上の子にうっかり踏まれたりしてギャン泣きしたときだけ、お母さん飛んでくる的な?w(※イメージです)



だからほんと育児本とか読んでたり、あと区の指導とかがちょいちょい入ったときに、


「バカか!?」


って言いたくなることが、まれに、いや、かなりある。ほんと過保護すぎてw



つい先日も4ヶ月検診で「うわぁ・・・」って思ったことがあったんだけども、それはまた今度書きマフ。




そんなわけで今日も


「離乳食はいつから始めるべきか?」という重要な命題に対し、


私の前世である江戸時代のだんご屋の看板娘おアサと脳内対談してたんだけど




話しあっているうちに、日本の会社員ってまるで士農工商の農みたいだなーって思い至りました。



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まず士は、きっと今で言うところの不労所得で生きてる人たち。


代々の資産家とか。地主とか。


農以下には、おいそれと冒せない領域。


でも平民でも玉の輿にのるか、立派な功績をあげれば士の仲間入りも可能。




で、農が正規雇用の会社員。


平民の中では身分(?)は上なんだけど、重い年貢(長い労働時間や高い税金)に苦しめられ、生活は厳しいっていう。




工と商はきっと派遣社員とか自営業とかフリーターとかで。


労働時間とか収入を自由に采配できるけど、自分の力で稼がなければいけない。


ローン審査とかが通りにくいし、結婚するときに相手の両親に少し心配されたりして・・・・これって江戸時代でいうところの身分みたいなもんじゃないだろうかと。




昔、この四民制度について歴史で習ったときには、


「そんな身分の高さなんてもんにこだわって高い年貢納めるなんてバカだなー。私だったら絶対工か商になるのに」



なんて、思ってたんだけどね・・・・!!!



実際に自分が会社員という身分になってみると、これがいかに勇気のいる難しい決断か、ってことがよーく分かりますなw



確かに農は年貢によって生活は厳しいんだけども。


農には、農地という安定資産があったんだよね。



農地がある限り、自分が貧しくなることはない。


たしかに天災のときには不作に陥るけれど、それは自分だけでなく周りも一緒にその状況に陥るわけだから、これは今で言う不景気みたいなもん。


自分だけが悲惨な状況に陥ることはないし、悲惨になるならみんな一緒っていう安心感。



それに対して工と商は、自分の商品が売れなくなったら終わり。


だから農から見て工と商は、年貢は軽いにせよ、本当に不安定で、資産もなくて、今が良ければいい的なお気楽に生きてる人たち、っていう具合に、身分の差はもとより心理的にも格下に見てたんだろうな。


西暦3000年くらいになって、今の現代を習うときに
第二次士農工商制度が発達し~、とかいう習い方してたらウケる。



とか考えて調べたら、今の歴史では士農工商は習わないらしいですわよ~!奥様!!!!!



江戸時代には、実はそんな身分制度なんてなかった。


ということになったらしい。超びっくり。



なので、上記の例は孔子の儒教のほうの士農工商だと思って読んでください。


↓孔子の儒教の士農工商制度はこれ(wikiより転載)

なお、中国では伝統的に土地に基づかず利の集中をはかる「商・工」よりも土地に根ざし穀物を生み出す「農」が重視されてきた。商人や職人に自由に利潤追求を許せば、その経済力によって支配階級が脅かされ、農民が重労働である農業を嫌って商工に転身する事により穀物の生産が減少して飢饉が発生し、ひいては社会秩序が崩壊すると考えたのである。これを理論化したのが、孔子儒教である。




うーんこのwww



などと書きつつ、まさかこれは仮に私のように現代に置き換えて考える人が沢山出てきたら困るので、ようやく江戸時代のことを知る世代が少なくなった今を見計らって意図的に歴史を捏造したのでは?




なんてゆー妄想をしている、おアサちゃんなのでした。(今日のワンコ風)