去年の今日の事は一生忘れえない思い出である。
二日前に中村座のロングランをやりきったという思いと感動のうちに終えて3日目のこの日、彼の誕生日が行われた小日向の家は大騒ぎであった。
それでも私達は4月頃から話していた次の目標、還暦の年の中村座の演目などを二人で話した10分か15分があった。
私は10年ほど前から是非やってくれと言っていた演目があり、それは助六であった。
勿論六代目の型の助六だから成田屋のような河東節ではなく清元の助六である。
勘三郎は「60になったらやるよ」と言い続けてきたので
「60はもう目の前だ、もう逃げられないぞ」と私が言うと、
「逃げやしないよ、でもやるからには水入りまでやる。揚巻は玉三郎のお兄さんでね」と言っていた。
「平成中村座なら2ヶ月だろ」と私がなおも押すと、
「そうだろうね、1ヶ月じゃ古屋を建てる費用がもったいないからね」
「じゃあもう1カ月は、加賀鳶の道玄をやってほしいな」
これまた六代目の当たり役である。
「えーっ道玄!道玄ねー」
「道玄は悪党だが愛嬌のある悪党だろ。法界坊にしたってそうだがあれだけ愛嬌のある悪党は勘三郎以外に誰が出来るんだよ」
「そりゃやってみたい役だけどね、まだ早いだろう?」
「だから還暦の年にやったらいいじゃないか」
「わかった、それじゃあやるよ。でもさ、め組の喧嘩なんて修ちゃんに言われなかったら絶対やらなかっただろうな、あの芝居の楽しさ面白さに出会わせて貰って良かったと本当に思ったよ。僕が今月の公演中にあと6~7回この芝居をやりたいって言っていたでしょ、本当はあと10回はやりたいと思っているんだ」
こんな会話だったので、たぶん10分か15分だったと思っている。しかし去年の今日のその会話が私と勘三郎の二人で交わした最後の会話になってしまった。
いや顔を見合わせての会話の最後になってしまったのである。
というのは癌と言われたという報告の電話を受けたのが最後の会話だからである。
あれから1年、今日は勘三郎の誕生日パーティーが小日向の家で行われる。
その時が哲之君との初顔合わせということになる。
これもまた何か不思議な巡り会わせを感じる。