分子遺伝的寛解達成! | 白血病だって100まで生きてやる。

白血病だって100まで生きてやる。

21歳で慢性骨髄性白血病と診断され、2年以内に分子遺伝的寛解達成!
留学先で風邪で入院し、採血したらまさかの白血球26倍(26万個)。
すぐにマルク(骨髄穿刺)でその日のうちにたった一人で外国語で病名告知されました。

昨日は通院日で

前回の検査結果で


Amp-cml検査 5コピー>(←未満)


と出まして…


つまり、「検出されなかった・限りなく"0"に近い


状態らしく…




つまり、


寛解した(薬を飲んだ状態で、白血病細胞が見受けられないこと)


ということらしくて…!


*注:CMLの治療についてはこの記事に書きました「寛解のステップ」*


正直、また数値上がってたらどうしよう、とか

薬効いてなかったら、またグリベックに戻すしか…とか


考えていたので


思ってなかった結果で唖然としてしまいました。


わたしは検査した日から

ずーっと毎日こればっかり考えてしまってたのですが

母は、何も考えていないようにみえて


先生から

「おめでとうー!がんばったねー。」


って言われて

母が一番に泣いてました。



私は

今もあまり実感がなくて、


だって

(この状態をキープするため)薬は飲み続けなければならないし、

私のフランス留学のためにも、ずっと5コピー以下を維持したいし。



ギリギリ診断から2年以内で

分子遺伝的寛解になれた…のは


良かったのかな。遅かったのかな。

でもやっぱり良かったんだろうな。


それでもやっぱり

「この2年なんだったんだろう?」

って考えちゃいました笑


振り返ってみると、


ちょうど2年前の今頃、

外国で入院してて

「慢性骨髄性白血病」って診断されたとき

最初の"慢性"なんて聞こえてなくて

ただただ「白血病!?」それってテレビの美しい女優の人がなるやつやろ!?

ウチなるわけないやん!

と思ったり笑


でも

白血病っていうワードの重さに耐えられなくて

やっぱり「不治の病」ってイメージがあって

パソコンで、当時あるかたのブログ最初っから読んだりして


日本の大学の教授に「グリベック」の存在教えてもらって

日本の大学の教授も、母も、夜通し調べてくれて

寝れなかったみたいで…


信頼できる友達2・3人に言ったときも、泣いてくれたなあ。

振り回して、泣かしてばっかだったなあ。


そんな出発から、2年。


前に書いたけれど

CMLになって分かったことたくさんあるし、

今まではあまり「生きる」ことについて考えたことなかったけど

たくさん考えたな。


あと

健康の大切さも知った。


正直、21歳~23歳って

人生で一番いいとき(私の考えです)だし

一番体動くときのはずなのに


この23年間で一番きつかったなー笑


絶対忘れねぇよ、この2年間!


昨日は


お世話になった友達や先生に

「白血病細胞が消えたって。私、白血病治ったみたいです」

って報告したら


とても喜んでくれました。



でもみんな「もう薬飲まなくていいね」って言うので

そこはちゃんと説明しましたが。



本当に、実は自分が一番実感なくて。

今日もいつも通りタシグナ飲んだし。



このブログは

ちょうど一年前から書き始めたものですが、

ブログを通してたくさんの人に応援してもらって今日まで来れたと思ってます。


今後もタシグナ飲み続けるので、特に変わることもないのですが、報告としてブログ書きました!


応援してくれてありがとうございます!!


でもこれからも、再発しないために

タシグナ飲んで、

マイペースにゆっくり生きようと思います\(^0^)/





追記で…


私は5コピー以下の時点で、CMR(分子遺伝的完全寛解)達成だと思っていたのですが、

それはAmp-cmlじゃない、もっと精密な検査でやって調べた結果らしく…

先生に聞いたら、Amp-cmlの検査でも、5コピー以下だったら限りなく"0"に近いから、

大丈夫だよ、と言われました。

なので私はこれで「分子遺伝的寛解を達成した」と考えようと思います。


ちなみに

MMRやCMRについての詳しい説明は、ノバルティスのサイトの、

「CMLステーション」が分かりやすいと思います。


また、通院日自体の記録を昨日付けで、それと…

実は実は

私、心臓エコーですこし引っかかったことがあるので(たいしたことじゃないです)、それもまた書こうと思います。


私は今日もタシグナを飲んでいます!

これからも頑張るぞー!


それでは!



(これからは、寛解のステップや血液検査のまとめの記事も書いていこうと思います。)