皆さま、おばんです!


前回のブログ で南海和歌山港線・和歌山港駅のことを書きました。

現在の和歌山港線の終端は和歌山港駅ですが、

平成14年までは、更にこの先2,8キロ先に水軒(すいけん)駅があり、

1日わずか2往復の列車が細々と運行されていたんですよ。

今週半ばのことですが、水軒駅の現在の様子を知りたくて

和歌山港線の廃止区間を辿ってみました。

今回はその時のことを書いちゃいます。


まず最初は、水軒駅の位置関係をば。
f07240/和歌山港線・水軒駅

現在の航空写真に和歌山港線の廃止区間を充ててみました。

赤線部分が現在の和歌山港線で緑線が廃止区間です。

廃止区間の総延長は2,7キロで、歩いても30分弱かかりません。

廃線跡をちょい楽しむにはもってこいのスポットですね。


こちらは和歌山港駅の終端部分から水軒駅方向を覗いた様子です。
f07232/南海電鉄・和歌山港駅


車止めの先は木々が生い茂ってその先の様子は見えませんが、

線路を支える盛土が続き、

更にその先にはRC造りの高架橋も見えますの。
f0723b/南海電鉄・和歌山港駅

この先は、並行する県道から廃線跡を眺めてみますぜ☆


和歌山港駅構内を外れた廃線跡の盛土は

徐々に高さを下げてゆきます。

こちらは和歌山港駅方向を見た廃線跡と…
f07245/和歌山港線・水軒駅


水軒駅方向を見た廃線跡です。
f07246/和歌山港線・水軒駅


この辺りの見どころと言えば、なんたってコレ。

架線柱の土台が点々と残っているのですよ。
f07247/和歌山港線・水軒駅

運行本数1日わずか2往復の和歌山港駅‐水軒駅間ですが、

電化されていて、しっかりと電車が運行されていたんですよね。

電車が車両の主体の南海電鉄、当然の話なのかもしれませんが。


廃線跡の奥に花王の和歌山工場が見えてきます。

この辺りは石鹸臭が漂っていて、とっても爽やか。
f07244/和歌山港線・水軒駅


廃線跡の一部は花王工場の敷地に変わってましたが、

廃線跡はその先も続きますよ。
f07248/和歌山港線・水軒駅


しばらくは、バラストなども残っていて

いかにも廃線跡な感じの路盤が続きましたが、

水軒駅跡が近づくにつれ、用地は土が盛られた姿に変わってきました。
f07249/和歌山港線・水軒駅


f0724b/和歌山港線・水軒駅

そしてその用地には松の植樹が…


和歌山港線末端区間の廃線跡、

しばらくは線路もそのままに放置されていたらしいのですが、

最近になって都市計画公園「水軒公園」として

再整備が始まったらしいのですよ。
f0724a/和歌山港線・水軒駅


水軒駅周辺はほとんどが緑地公園に変わっていて、

駅の遺構を確認することは出来ませんでした。

廃線になってから13年が経過、当然の結果なのかもしれませんね。
f0724c/和歌山港線・水軒駅


このドッグランの後ろが水軒駅跡地なのですが…

影も形も残っておりませんでしたわ。
f0724d/和歌山港線・水軒駅


当の水軒駅ですが、昭和46年に開業した駅で、

単式ホームが1本、2本の貨物側線を有す駅だったそうです。
f07242/和歌山港線・水軒駅


辺りに民家が無い、こんな場所に駅が開業した理由ですが、

当時、水軒駅のすぐそばに貯木場がありまして、

ここから木材を出荷するための、

貨物輸送主体の駅として設けられたそうです。

こちらは昭和49年に撮影された航空写真、

貯木場の盛況中な様子がわかりますよね。
f07243/和歌山港線・水軒駅

ところが、駅が開業した頃は既に

木材輸送の実権はトラックが握っており、

水軒駅から貨物列車が運行されたことは1度もなかったとか。

本来の目的を失った水軒駅は開業時から、

1日に2往復の列車だけが運行される過疎路線に

墜ちてしまったんですって。

仮に木材の鉄道輸送が実現していても、

その後は長くは続かなかったと思います。

今現在、肝心の貯木場が姿を消してしまいましたからね。


こんな感じで水軒駅跡巡りを終えましたが、

見落としている箇所だらけなのかもしれません。

例えば、緑地公園内に残るコンクリート製の2条のライン、

これもひょっとしたら、駅の遺構なのかもしれませんし。

f0724e/和歌山港線・水軒駅


和歌山港線ネタ、まだまだ続きます。




南海和歌山港線