皆さま、おばんです。
今から65年前の昭和24年8月17日に
東北本線・金谷川駅‐松川駅間で発生した列車転覆事故、
通称「松川事件」のことをご存知でしょうか。
同日の午前2時過ぎに
青森駅発上野行412列車がこの区間を通過しようとしたところ、
何者かによって線路を繋ぐボルトやナット、犬釘が外され、
また、レール自体も大きく動かされていたことから列車が転覆、
3名の機関士さんが殉職された列車往来妨害事件のことでした。
なおこの事件ですが、
同年に発生した下山事件、三鷹事件とともに、
国鉄絡みの未解決事件「国鉄三大ミステリー事件」として、
古くから知られていたのですよ。
この区間を普通列車で通るたびに、
車窓から見える供養塔が気になっていたのですが、
今日、仕事で付近を通る機会がありましたので、
立ち寄ってみました。
まずは場所ですが、
東北本線の松川駅から北側3キロの位置、
赤〇印の位置が事故があった場所です。
駅前に立つ案内看板にも、
供養塔の場所がしっかりと記されておりましたよ。
もう65年前の事件ですけど、
鉄道ファンの間では、
シキによる変圧器輸送の出荷元メーカーさんとして有名ですよね。
松川駅から北芝電機さんまでは貨物専用線で結ばれておりますぜ。
北芝電機さんの裏手の道路を進行して10分、
東北本線を跨ぐ町道に出ました。
画像左側に写るのが東北本線下り線で、
中央に見える空地が供養碑が建つ現場でした。
手前が上野駅側、奥が青森駅側ですが、
当時、ここは単線区間でして、事故列車は現在とは逆方向の
奥から手前側に向けて走っていたんですよ。
カーブ直前の軌道に細工が施されたために
列車はカーブを曲がりきることができず、
そのまま画像手前側に転覆したそうです。
左に写るのが東北本線の上り線で右が下り線、奥が松川駅方向です。
現場に近づくためには、
下の未舗装道路に降りなければならないようです。
奥にちょこっと見える踏切まではクルマで5分。
未舗装道路は思った以上に遠いようですね。
ここから先の道は未舗装なうえに、
軽トラック1台がやっと通れるくらいの道幅しかありません。
なんだろう、この気の重たさは…
自分みたいのが、来てはいけない場所だったのだろうか。
歩くこと5分、ついに現場に到着しましたよ。
ここには東北本線を行き交う列車を眺めるかのように、
機関士さんとともに亡くなった2名の機関助士さん、
お歳はまだ20代だったんだとか。
あまりにも無念すぎます。
65年前の夏、ここで一体何が起きたんでしょう。
供養碑の向かい側には、JR東日本労組が建てた
松川事件が起きたこの頃は、共産主義、
とりわけそれを支持する労組の弾圧が行われていた時期です。
政府は、事件は国鉄労組の関与ありきで捜査を遂行、
非道な手段によって、
国鉄、そして東芝松川(現・北芝電機)の労組幹部20名が
次々と逮捕されてゆきました。
これらの被告の皆さんは、
昭和36年の仙台高裁による差し戻し審による無罪判決、
昭和38年の検察側による上告棄却によって
全員の無罪が確定するのですが、
その後は真犯人が追及されることなく
昭和39年に事件は時効を迎えてしまったのですよ。
事件現場とは反対の上り線側には
事件の時効後に建てられた供養塔があり、
その麓は公園になっておりました。
それにしても、
戦後の混乱期とはいえ、こんな大きな事件が未解決とは…
今、こうして平和に暮らせることに感謝したいと思いました。
今年の8月17日は自分、四国旅行の最中か。
平和ボケしていて本当にすみません。
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