ミラキュルンの番外編の番外編です。
季節ネタ。


 暗黒総統に課せられた試練! 混沌の運動会!

「おや、若旦那。いかがなさいましたか?」
 馴染み深い声を捉えた片耳を曲げ、暗黒総統ヴェアヴォルフはビデオカメラの説明書に突っ込んでいた鼻先を上げた。目を上げると、デスクの目の前には手土産のケーキ箱を携えている元四天王のレピデュルスが控えめに立っていた。
「どうもこうも……」
 ヴェアヴォルフは両耳を伏せていたが、体裁を保つためにずり落ちかけていた赤い軍帽を被り直した。書類とパソコンと飲みかけの緑茶が残っている湯飲みと、家族写真を入れているハート型のフォトスタンドが並んでいるデスクの隅に無造作に置いていたビデオカメラを手に取った。我が子が産まれた時に手に入れたものだが、すっかり使い方を失念していたので、説明書を一から読み返しているのだ。それもこれも、双子の初めての運動会のためだ。
「若旦那、使い方をお忘れになったのですか?」
 レピデュルスに早々に見抜かれ、ヴェアヴォルフは取り繕う気も失せた。
「ああ、そうだよ。前に使った時は、細かい機能を使いこなせていなかったから、きちんと調べておこうと思ったんだが、逆にこんがらがってきちゃってな。大牙と薙の初めての運動会なんだから、綺麗に撮影してやりたいし」
「でしたら、ロックガーにでもお頼みしたらいかがでしょう」
「俺もそれは考えたんだが、あいつ、新婚だろ。いくら俺があいつの上司だからって、やっていいことと悪いことがある」
 ヴェアヴォルフは肩を竦め、口角を緩めた。ロックガーとは、悪の秘密結社ジャールに所属している怪人の一人であり、頭部が箱形の監視カメラで首から下は常人という姿を持ち、見た目通りに映像を撮影する能力を持っている。温厚で気の良い青年で、世界征服に対する意欲も高い。一年ほど前に映画好きの人間の女性に一目惚れされたのだが、あれよあれよという間に関係が進展し、三ヶ月前に結婚したのである。ちなみに一目惚れされたポイントは、映画館で上映前で必ず目にする映画泥棒にそっくりだったから、ということらしい。人生、何が功を奏するか解らないものだ。
 だから、新婚の蜜月に浸りきっているロックガーを、上司の子供の運動会の撮影になんて駆り出すわけにはいかない。パワハラですらある。他にも機械に強い怪人はいるにはいるのだが、液体金属怪人で機械に融合出来る能力を持つユナイタスにだけは頼りたくない。悪い奴ではないのだが、どうにも扱いづらいのだ。
「少し休まれては。今は休憩時間ですし」
 お茶でもお入れしますよ、とレピデュルスがケーキ箱を掲げたので、ヴェアヴォルフは眉間を押さえた。
「頼む」
 このままでは休憩時間がビデオカメラの説明書だけで終わってしまいそうだったので、ありがたかった。それからしばらくして、レピデュルスはヴェアヴォルフの湯飲みを持っていき、熱い緑茶を淹れて、手土産だったマドレーヌと共に運んできた。両者をありがたく頂いてから、ヴェアヴォルフは椅子の背もたれに体重を預け、軋ませた。
「それと、ちょっと困ったことになっていてな」
「大牙さんと薙さんが、何らかの能力にお目覚めになったのですか?」
「一言で言えば、そんなところだ」
 ヴェアヴォルフはバターの香りがまろやかなマドレーヌを囓り、あ、芽依子さんの作ったやつだ、とすぐに気付いた。
「大牙は俺に似ているせいか、やたらと身体能力が高くてな。腕力もかなり強いし、全力で走れば大人の怪人顔負けなんだ。薙はどちらかというと美花に近いんだが、俺の血が混じっているせいもあって、爺様が残してくれた魔法を器用に使いこなすんだ。驚いたよ、簡単な魔法陣だけでベーゼフォイアを作ったんだから。大牙も薙も俺達に似てくれて本当に嬉しいし、その才能を思い切り伸ばしてやりたいと思うんだが、今はその時じゃない。俺達三姉弟がしてきたように、普通の学校にちゃんと通って、人間ありきの社会に慣れてもらわなきゃならない。とは思うんだがなぁー!」
 真面目腐った口調を崩したヴェアヴォルフは、拳を握って空中を殴った。
「許されることなら、大牙を運動会の全種目で一番にしてやりたい! 薙も世界一の魔法少女にしてやりたい! だぁがしかぁしっ、それは許されざることなんだ! 倫理的に! 怪人業界の暗黙の了解で! 魔法少女業界の御約束で! それがどうにも焦れったくて焦れったくて焦れったくて、あーもうっ、世界征服するしかないじゃないか!」
「そうですとも、その意気ですとも!」
 レピデュルスは拳を固め、ここぞとばかりに煽ってくる。そのおかげでテンションが上がってきたヴェアヴォルフは腰を上げ、事ある事に怪人達の前で並べ立てている世界征服演説を行おうとした。が、会社のドアが叩かれたので、椅子に座り直してから応対した。ノックしてから入ってきたのは、小さな体には持て余す大きさのランドセルを背負った子犬のようなオオカミ怪人、ヴェアヴォルフの愛息子である大神大牙だった。
「どうした、大牙」
 すぐさまヴェアヴォルフが近付くと、大牙は尖った耳を伏せ、尻尾も不安げに垂らしていた。勇ましげな外見の割に気が弱いので、大牙が落ち込んんでいるのは珍しいことではない。
「お父さん、あの」
 大牙は父親似の焦げ茶色の体毛に覆われた顔を伏せ、目線を彷徨わせていたが、父親を見上げた。
「先生が、お父さんは運動会に出ちゃいけないって。幹部怪人で、力が強すぎるからって」
「ん、ああ、あれだな。保護者競技の」
 息子の頼りない言葉で、ヴェアヴォルフは何度となく読み返した運動会のプログラムを思い出した。父兄参加の玉入れを行うので、もちろんそれに参加するつもりでいたのだ。是が非でも、とでも言うべき固い決意すら抱いていた。それもこれも、ヴェアヴォルフの父親である大神斬彦は根っからの引きこもりだからだ。なので、運動会にも参観日にも来てくれたのは母親の鞘香だったのだが、着物姿なのでそういったイベントには参加するわけもなく、クラスメイトの家族が楽しげに参加している様を見ては内心で羨んでいた。だから、我が子にはそんな思いはさせまいと意気込んでいたのだが。
「……ごめんなさい」
 父親の落胆を見て取ったのか、大牙が小さな肩を縮めた。そのせいで、ランドセルがずり落ちかけた。
「いや、いいんだ。その代わり、大牙は程々に頑張ってくれよ」
 ヴェアヴォルフは笑みを浮かべて息子の耳を撫で付けると、大牙は泣きそうな顔になる。
「でも、それが一番難しいよ。速く走らない方が大変だよ」
「とってもよく解るさ。お父さんもそうだったからなぁ、子供の頃は」
「そうなの?」
「そりゃそうさ、オオカミ怪人なんだから。そうだ、薙はどうしたんだ? 一緒に下校したんだろ?」
「薙は先に帰った。お母さんのお手伝いするんだって、お弁当の。お手伝いしたら、その分だけ魔法の本を読んでもいいよってお爺ちゃんが言っていたから。でも、あんなの面白いのかなぁ。変な字と気持ち悪い絵が描いてあるだけなのに」
「意味が解れば、なんでも面白くなる。コツさえ掴めば、立ち回り方さえ覚えれば、自分の力を押さえながら暮らすのにも慣れていくし、友達ももっと出来るようになる。仕事が終わったら、運動会の練習をしような」
「……うん。頑張る」
 不安げながらも、大牙はしっかりと頷いたので、ヴェアヴォルフは息子を抱き上げてやった。
「よおし、良い子だ。それじゃ、玉入れのカゴを倒さなくなるようにならないとな。あと、玉を握り潰さないように」
「う、うん」
 大牙はあまり自信はなさそうだったが、再度頷いた。焦げ茶色の体毛と鋭い爪の生えた小さな両手を父親の背中に回し、しがみついてきた。仕事が終わるまでもうしばらく時間があるので、レピデュルスと一緒に図書館に行って宿題を見てもらってくれ、と言い聞かせると、大牙は素直に返事をした。会社を後にする二人を見送ってから、ヴェアヴォルフは改めて難敵のビデオカメラに向き直り、ヒーローと戦う時よりも強い決意を据えた。
 運動会は来週だ。それまでに、使いこなさなくては。



追記。
完結後の大神家がややこしくなってきたので、整理してみました。

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