手戦の番外編の番外編。今日もまた殴り書き。
朱鷺田と礼子の話。ロボット兄弟は出てきませんのであしからず。

 王たる蛇の牙

 8インチの銃身から零れ出す、火薬の匂いが鼻を突いた。
 手に馴染みすぎて最早体の一部と言えるコルト・キングコブラのリボルバーを戻し、構えてみた。照準器に入るのはヤニが染み付いた天井と蛍光灯、火災報知器ぐらいなものだった。朱鷺田修一郎は愛銃をデスクに置いてから、何本目かも解らないタバコに火を付けた。渋い煙を肺に満たしてから細く吐き出すと、顔をしかめながら報告書を書いていた鈴木礼子二等陸尉の眉間のシワが深まった。

「何を今更気にするんだ」

 朱鷺田が礼子の反応を訝ると、礼子はひたすら濃いコーヒーを啜った。

「弾を抜いているとは解っちゃいますが、気になるんですよ」
「安心しろ、暴発しても俺の手か足が吹っ飛ぶだけだ。それに、俺の換えなんざいくらでもいる」
「ええ、そうでしょうね」
「なんだ、惜しんじゃくれないのか」
「隊長にしては意外な反応ですね。もしかして、否定してほしかったんですか?」

 礼子は空になったマグカップを下ろし、無機質な眼差しを朱鷺田に据えた。

「いや」

 朱鷺田はフィルターを噛み、口角を歪めた。

「肯定してほしかったかもしれんな」

 気怠い午後の空気は、特殊機動部隊専用営舎をも侵していた。カーテンを透かして差し込む西日が朱鷺田が吐き出した煙を薄めると同時に、鋭角な光線を目視させてくれた。駐屯地内で行われている訓練の声がどこからか聞こえていたが、ヘリコプターの騒々しい羽音に切り裂かれた。背中から西日が当たっているため、礼子の表情は普段以上に窺いづらかった。ボールペンを握る手を緩めた礼子は、(株)高宮重工と印刷されたボールペンを指の上でくるくると回転させつつ、朱鷺田を見やった。

「どうでもいいことなんですけど」
「じゃあ聞くな。馬鹿兄弟じゃあるまいに、お前に話すようなことなんてあるもんか」
「隊長は根っからの戦争屋なのに、なんで未だにリボルバーなんですか?」

 礼子はボールペンを人差し指と中指で挟んで止め、インクの滲む先端を朱鷺田に据えた。

「まさかとは思いますけど、外人部隊時代の戦友の形見がどうとかいうベッタベタな話じゃないですよね?」
「まさか」

 朱鷺田は一笑し、肩を揺すった。

「気が変わった。少しだけなら、こいつの話をしてやるよ」
「なんだ、飲みに誘ってから話してくれるんじゃないんですか」
「お前とじゃろくに飲めんだろ。ビール二杯で潰れるような奴を相手に飲むのは退屈だし、面倒だ。それともなんだ、珍しく酒でも飲みたかったのか?」
「少しは。でも、やっぱりいいです。明日の訓練に響くんで」
「ああ、そうだな。明日からはSATから送り返された駄犬の訓練だったな」

 朱鷺田は短くなったタバコを灰皿で押し潰すと、新たなタバコを抜き、銜えて火を灯した。

「俺がこいつを使うのは、単に好きだからだ。射撃速度はオートマには敵わんが、その分一発に有り難みが出るから命中率が上がるのさ。俺はそれほど射撃が上手いわけでもないからな」
「それだけですか」
「なんだ、物足りないのか」

 礼子の不満げな横顔に、朱鷺田は片頬を持ち上げた。何を期待していたのかは知らないが、実際、大した話はない。外人部隊時代に一目惚れして手に入れて以来、使い込んでいるから手放しづらい、というだけだ。戦争映画や派手なアクション映画でありがちな、戦友や上官の形見などではない。コルト・キングコブラは、この世で唯一朱鷺田を最も知っている存在だ。朱鷺田を隊長として買い付けた高宮重工や、自衛隊としてはよろしくない経歴ではあるが自衛官として採用した防衛省が調べ上げた、書類の上での情報の羅列ではない朱鷺田を、だ。真っ当な感覚の持ち主であれば、それは友人や女に求めるべきことだが、生憎朱鷺田には友人を作れるほどの社交性もなければ特定の女に熱を上げるほどの性欲もない。若い頃にはそれなりに持て余したが、五十近くなった今では落ち着きすぎて枯れ果てた。ごくたまに寂しさが込み上げる瞬間はあっても、命を擦り切らして戦ううちに消え去ってしまう。所詮、朱鷺田という人間はその程度のものなのだ。

「じゃ、こうしましょう」

 礼子は朱鷺田に振り向き、笑みとも威嚇とも付かない顔で目を細めた。

「隊長が死んだら、骨の代わりにキングコブラを拾ってあげます。で、ジャムるぐらい酷使してやりますよ」
「どういう理屈だ」
「せっかくこの世に産み出されたのに、有効活用されないと可哀想だからです。銃が」
「単なる兵器に感情移入した挙げ句に岡惚れした女でなきゃ、のたまえない世迷い言だな」
「それはどうも」

 礼子はデスクから立ち上がると、書き上がった報告書を朱鷺田に突き付けてきた。

「じゃ、お願いします」
「ああ」

 朱鷺田はインクが乾き切っていない報告書を受け取ってから、礼子を見上げたが、礼子はすぐには立ち去らずに朱鷺田のデスクの前に立っていた。今年で二十一歳になるはずだが、どれほど体を鍛えても子供っぽさが抜け切らない顔付きと体付きだった。迷彩柄の戦闘服の下には細身ながらも柔軟性と持久力を併せ持つ筋肉を備え、歴戦の兵士に相応しい精神力も携えた女だが、何年付き合っていても子供だった頃の彼女を忘れられなかった。

「内容はともかく、字が下手だな」

 朱鷺田は礼子から報告書に目を落として呟くと、礼子は心外そうに眉を曲げた。

「それはどうも」

 礼子はくるりと身を反転させて自分のデスクに戻り、荷物を掴むと、足早に事務室を後にして階段を昇った。上階には、彼女の自室である営舎があるからだ。その足音を聞きながら、朱鷺田は煙の渋みとは異なる苦みが込み上がる口元を緩めた。礼子の優しさは嬉しいが、好意的な返事をするつもり毛頭ない。礼子のことだ、真に受けて守り通そうとするだろう。そのせいで命でも落としたりしたら、それこそ寝覚めが悪い。
 朱鷺田にとって、礼子は空想の娘だ。人並みの恋愛もせず、結婚もせず、人付き合いもなかった朱鷺田は家族と呼べるものを作る気力はおろか能力もない。生涯の中で最も深く付き合ったのは、礼子しかいない。かといって、彼女に思いを寄せるほど愚かではない。思い入れと愛情は似ているが全くの別物だからだ。我ながらややこしいが、礼子は最も縁遠いと同時に最も身近な女性であるが故に感情を投影出来ず、優しくされたくもなければしたくもない。クリスマスにかこつけて贈られたグレーのマフラーも、使おうとするとむず痒くなってしまうのでタンスに押し込めたままだ。下手に思い入れ過ぎてしまうと、礼子を死線に送るのが躊躇われてしまう。だから、礼子や他の部下達への好意は示さずに墓場に持っていくつもりだ。

「なあ、おい」

 朱鷺田は手中でライターを弄びながら、コルト・キングコブラに笑みを向けた。

「喜べ、相棒。俺が死んだら、お前の使い手は女だ。それも、兵器を愛するような筋金入りの変態だぞ」

 当然、愛銃は答えなかった。その沈黙が優しく、朱鷺田は愛銃と同じく使い込んだジッポライターの蓋を開いては閉じを繰り返しながら、礼子の自室からであろうシャワーの水音と配水管を下る排水の唸りに耳を傾けた。あの若さで青春も娯楽も快楽も捨てて戦いに浸る女が奏でる、年頃の娘らしい行動の気配に感じ入った。もう二十年ほど若ければ、下世話な想像でも巡らせていただろうが。
 王たる蛇に成り得る輩は、愛すべき六連発のリボルバーだけだ。朱鷺田は、途方もない科学技術を持って世界を覆い尽くそうとする高宮重工に軍事国家以上の脅威を抱いてはいるものの、遠からず始まるであろうその暴走を止められる立場にはない。巨獣と化していく大企業の懐に誰よりも深く食い込んでいるのは、他でもない礼子だ。彼女の言葉を信じるなら、朱鷺田の半身である王たる蛇は巨獣を殺す毒牙となるはずだ。その瞬間を迎える時には朱鷺田は恐らく死んでいるだろうが、思い描くだけで心が弾む未来だった。
 鋼の蛇は、冷ややかに横たわっていた。