ミラキュルンの番外編の番外編。
鋭太とちえりの話を殴り書きしたのでUP。


 校舎裏の攻防! 愛と勇気だ、魔法少女まじかるチェリー!

 待望の高校生活が始まった。
 滑り止めという名目で受験した公立高校に無事合格し、晴れて大神鋭太と同じ空間で生活を共に出来るようになったはいいが、桜木ちえりには然したる変化はなかった。バレンタインデーには世界を救えるんじゃないかと思うほど気合いを入れて手作りチョコに愛の告白を書いたメッセージカードを同封して鋭太に渡したが、ホワイトデーの返事は芳しくなかった。いつものように図書館で顔を合わせたちえりに、鋭太は可愛らしいクッキーの詰め合わせをお返しとして渡してくれたが、渾身の告白の返事は曖昧なものだった。それでも充分好意的だったし、友達として仲良く出来るだけでもいいんじゃないか、とも思ったので、ちえりは鋭太の女友達の一人に甘んじることにした。
 けれど、高校に入学してしまうと、鋭太との距離はおのずと広がった。鋭太は最上級生の三年生で、ちえりは入学したての一年生であり、たまに校内で擦れ違うことがあっても鋭太からは滅多に話し掛けられることはなく、むしろ鋭太の友人であり現役のヒーローである野々宮美花とその友人の天童七瀬から親しく話し掛けられるようになった。それはもちろん嬉しいし、ありがたいのだが、せっかく同じ高校に入学したのに鋭太と交わすのはメールや電話だけというのは寂しかった。かといって、三年生の教室に行けるほど剛胆でもなく、鋭太が所属するバスケ部のマネージャーになれるほどアグレッシブでもなく、悪の秘密結社ジャールに決闘を申し込む年賀状を書いた時の勇気は欠片も出なかった。
 そんな日々が続いたちえりは悶々としていたが、このままでは進展もしないばかりか関係が後退する、と一念発起し、昼休みに鋭太に呼び出しメールを送った。呼び出し場所は定番中の定番、校舎裏だった。
 都合の良いことに、今日に限って校舎裏は誰もいなかった。体育館裏口のコンクリート製の階段に腰掛けたちえりは、手鏡を開いて前髪をいじっていた。魔法少女まじかるチェリーに変身してフルメイクにならなければ至って地味な顔であり、髪型もポニーテール一択なので、前髪を撫で付けたところで大した変化はないのだが、鋭太と向き合うとなると気にせずにはいられなかった。そわそわしながら待っていると、校舎裏にやる気のない足音が近付き、ちえりは弾かれるように立ち上がった。

「おーす、桜木ー」

 校舎側から現れた大神鋭太は制服を着崩していて、ネクタイは緩んでスラックスの裾は腰から大分下がり、ワイシャツがいくらか弛んでいた。オオカミ怪人なのでジャケットの下から出ている尻尾は、力なく揺れていた。

「あ、大神さん、じゃなくて」

 先輩、とちえりが言い直そうとすると、鋭太はちえりの前に立ってスラックスのポケットに両手を突っ込んだ。

「そんなんどうでもいいし。てか、下の名前の方が楽じゃね? 名字だとさ、兄貴と区別付けづれーし」
「え、でも…」
「てか、桜木はさ、野々宮と天童と割に仲良いじゃん? だから、尚更だし」
「でも、それは…」

 ちょっと早すぎないだろうか、とちえりは赤面してメガネの下で目線を落としたが、ぎこちなく呟いた。

「ええと、それじゃ、その、えっと、うんと」
「まどろっこしーんだけど」
「うああっ、ごめんなさい!」

 ちえりが慌てて頭を下げると、鋭太はちえりの額を人差し指で押して顔を上げさせた。

「別に怒ってねーし。てか、変身してねーとマジダメなのな、お前」
「ごめんなさいぃ…」
「だーから怒ってねーし」

 鋭太はちえりの額をぴんと弾いてから、腰を曲げてちえりを覗き込んできた。

「で、俺に用ってなんだよ」
「えーと、それは」

 ちえりは目を上げたが、鋭太との距離がほとんどなくなっていた。途端に張り詰めていた緊張が吹っ飛び、息が詰まるほど胸が痛んだ。長いマズルと明るい茶色の体毛に覆われた顔付きは、人間にはない男らしさがあり、灰色の双眸からは怪人らしさが滲み出ている。ちえりは何も言えなくなり、スカートの裾を握り締めた。

「あのさ、桜木」

 鋭太に頭をぽんぽんと叩かれ、ちえりはスカートが歪むほど強く掴んだ。

「はいぃ…」
「俺さ、別にお前のこと、無視ってるわけじゃねーから。てか、アレじゃん?」

 鋭太はちえりの前から顔を上げ、尻尾を下げながらあらぬ方向を睨んだ。

「入学したばっかで三年と変に仲良いとさ、クラスの連中からつまんねーこと思われるかもしんねーし。てか、そのせいで桜木に友達が出来なかったら、マジ気分悪いし」
「ああ、いえっ、そんなことは!」

 ちえりはスカートを握ったまま顔を上げたが、その拍子に肩も上がってスカートの前面が捲り上がった。慌ててスカートを離して下ろし、恐る恐る鋭太を窺うと、鋭太はなんとも気まずげに口の端を曲げていた。

「ええと、み、見ました?」

 ちえりが首を傾げると、鋭太は両耳を伏せた。

「うん、見えた。つか、怒るなよ? 視界に入っちまったもんは仕方ねーし?」
「いえ、そんな、怒るほどのものでもないですよ! どっ、どう、どうせ大したパンツじゃ!」

 恥ずかしさのあまりに声を上擦らせたちえりに、鋭太は横目を向けた。

「てか、お前さ」
「はいっ、なんでしょう!」
「マジで俺が好きなん?」

 鋭太は尻尾をだらりと下ろして、躊躇いがちにちえりを正視してきた。ちえりは鋭太を見つめていたが、照れすぎて何も言えなくなってしまい、無言で頷いた。鋭太のような男子は正直言って苦手なタイプだったが、暗黒参謀ツヴァイヴォルフとして魔法少女まじかるチェリーと化した自分と真っ向から戦ってくれただけでなく、勉強にまで付き合ってくれた。好意を抱くなと言う方が無理な話だ。

「俺さー」

 鋭太は片足を曲げて地面を小突きながら、頭部の体毛を乱した。

「自分でもやんなるぐらい、いいとこなんてねーんだわ。つかマジで。怪人つっても、アレじゃん、必殺技とか皆無だし? 頭も悪ぃし、遊んでばっかだしで、桜木と釣り合うわけがねーし。てか、好きになられても、何もいいことなんてねーよ?」
「ぐっ、軍服が超似合いますよ!」

 ちえりは混乱しすぎて訳の解らないことを言い、即座に後悔した。鋭太はちえりを窺ったが、少し笑った。

「何だよそれ」
「だから、その、ううんと」

 ちえりが口籠もっていると、鋭太は耳の根本をがりがりと引っ掻いた。

「で、さ、桜木」
「は、はいっ」
「あーダメだ、すっげぇダメだ、なんだよもうー!」

 鋭太はちえりに背を向けると、尻尾をくるりと丸めて頭を抱えた。

「あ、あの」

 ちえりが戸惑うと、鋭太はその視線から逃れるように顔を背けた。

「桜木!」
「はいっ!」

 いきなり強く呼ばれてちえりが驚きつつ答えると、鋭太は自棄気味に言った。

「後悔しても知らねぇからな! てか、一応お前はヒーロー側だし、俺も一応怪人だし、たぶんろくなことにはならねーからな! それでもいいっつーんなら!」

 と、そこまで言ったはいいが、肝心な部分が言えずに鋭太は顔をしかめた。ちえりから呼び出しのメールが来てから、いや、来る前から散々考えていたことだ。ホワイトデーでは気恥ずかしさが勝って返事をはぐらかしてしまったが、日を追うごとにちえりが気になって気になって仕方なくなった。以前、美花に対して淡すぎる恋心を抱いた時に似ていたが、その時よりも根深かった。だから、バレンタインデーの告白の返事をしようと腹を括ってちえりの待つ校舎裏に来たはいいが、最後の最後で踏ん張りが利かなくなってしまった。これでは、兄のことを馬鹿に出来ない。

「…いいから、あんなカード書いて送ったんじゃないかよぉっ!」

 照れと嬉しさと恥ずかしさとその他諸々が入り混じった末に暴発し、ちえりは思わず変身していた。

「好きじゃなかったらなぁ、何十回もカードを書き直したりするかよ! チョコを試作するかよ! でもって、毎日毎日図書館に通い詰めるかよ! ついでに同じ高校を志望するかよ!」

 ちえり、もとい、魔法少女まじかるチェリーは、可愛らしいステッキを鋭太の鼻面に突き付けた。

「解ってんだったら、とっとと返事しやがれこの無能参謀! 今すぐ必殺技ぶちこまれてぇのかぁっ!」

 息を荒げるまじかるチェリーを見下ろし、鋭太はきょとんとしていたが、彼女と二度も戦っているので豹変ぶりには驚かず、逆に笑ってしまった。何が可笑しい、とまじかるチェリーに吠えられたが、鋭太は笑いを堪えた。おかげで妙な緊張が解けたので、鋭太はまじかるチェリーのピンク色の髪をぽんぽんと軽く叩いた。

「んじゃ、俺達、付き合わね?」
「よ…喜んで」

 途端にしおらしくなったまじかるチェリーは、変身も解け、素顔に戻ると悶絶した。

「あああっごめんなさいごめんなさいごめんなさい、そんなつもりじゃなかったのに!」
「別にいいっての。慣れてるし」
「じゃあ、その、私はえっ、鋭太さんの彼女になるってことですか」

 ちえりがもじもじすると、鋭太は尻尾をばっさばっさと振った。

「てか、いっそ鋭ちゃんでも良くね? それでもなんかめんどいし」
「鋭ちゃん?」
「そう、鋭ちゃん。姉貴がそう呼ぶんだよ。マジハズいけど、嫌いじゃねーし?」
「じゃ、じゃあ、鋭ちゃん!」

 ちえりは大きく息を吸ってから呼ぶと、鋭太は嬉しそうだがやりにくそうに返した。

「んじゃ、俺の方はちえりで。それでいいよな?」
「鋭ちゃん…」

 ちえりは頭に血が上りすぎて、くらりとした。鋭太に促されて階段に腰掛けても目眩が抜けず、ちえりは鋭太の隣で座ったまま、何も言えなかった。鋭太はちえりに触れるか触れるまいか迷っているようだったが、かなり緊張した手付きで肩を支えてきた。ちえりはテンションが突き抜けかけてまた変身しそうになったが、踏み止まった。ここで変身したら、次は何をするか解らない。まかり間違って襲い掛かってしまいかねない。

「ちえり」

 鋭太はちえりの顔を挟むと、ぐいっと首を捻ってきた。

「こっち向け」

 何を、と尋ねる前に、ちえりの唇は鋭太に塞がれた。もちろん、口でだ。数秒間の沈黙の後、鋭太はちえりを離してから、ちょっと得意げに笑った。

「てーわけだから、俺以外にパンツ見せんじゃねーぞ」
「いきなりやらしい…」

 ちえりは更なる目眩に襲われ、鋭太の肩に顔を当てた。冗談だっての、と鋭太に背中を叩かれるが、本気だとしか思えなかった。それがますます目眩を生み、ちえりは深呼吸したが、鋭太の付けている整髪料と彼の汗の匂いが混じった空気を肺一杯に吸い込んでしまって逆効果だった。
 恋という名の、新たな戦いの始まりだ。