番外編にしようかと思ったけど、今一つ話が膨らまなかったのでここで処理します。
アステ家のSSで、トニルトスの話です。時系列は、先日更新した「ラグランジュ・ポイント」後です。
永遠の両思いであり永遠の片思いでもある、戦士達の恋。


 空は、未だ遠く


 数百回目のリピートを終えて一秒と経たないうちに、また同じ曲が再生される。
 萌え路線で一部のファン層から熱狂的な支持を得るアイドル、プリシラ・ストームのファーストアルバムのタイトル曲だ。媚びに媚びて甲高くなりすぎた声は聴覚センサーを震わせ、意味の解らない言葉を連ねた歌詞は知覚回路をくすぐる。そのむず痒い感覚で戦闘に次ぐ戦闘で焦げ付きかけた理性回路が安らぎ、動力機関が回転数を上げていく。回転数が上がりすぎて妙なテンションになることもあるが、それもまた良い。トニルトスは、彼女の歌に意識を集中した。

「おい」

 ぷにぷに萌えキュンっ、とのプリシラの歌が野太い声に遮られ、側頭部に衝撃が訪れた。

「そんなところに突っ立ってんじゃねぇよ、ドルオタ」
「貴様如きにプーにゃんの素晴らしさは理解出来るはずもない」

 トニルトスは側頭部を押さえつつ、音声再生ソフトを操作してプリシラの歌を一時停止させた。

「して、何の用だ」
「何がじゃねぇよ、次はお前の番だ。とっとと機体洗浄してこい、でねぇとコロニーに入れねぇぞ」

 と、イグニスが機動歩兵サイズのシャワールームを指すと、トニルトスは渋々向かった。

「私は外装を濡らすのは好まないのだが」
「俺だって洗浄剤と水をばっしゃばっしゃ掛けられるのは気分良くねぇよ、錆びちまいそうで。でも、そうしねぇとハンガーから出られねぇんだから仕方ねぇよ。軍人ってのは、軍紀を守ってナンボだからな」

 ああやれやれ、とイグニスは乾燥を終えたばかりで熱を持った外装を擦りながら、軍用機のハンガーから出ていった。可変型スペースファイターや機動歩兵が大人しく身を収めているハンガーから出たイグニスは、マサヨシと合流していた。既にパイロットスーツを脱いだマサヨシはヘルメットを脇に抱えていて、その内側には妻と娘達の写真が貼られていた。イグニスはマサヨシと軽口を叩きながらハンガーを後にしたが、マサヨシは通路を曲がる寸前にトニルトスに手を振った。トニルトスは彼らに見えないと解っていても手を振り返してから、機体洗浄用のシャワールームに入り、ハンドルを提げた。
 戦闘訓練による熱を帯びた機体に、生温く暖められた水が四方八方から降り注ぎ、同時に化学洗浄剤が掛けられた。機体全体の汚れを落とすための円筒形のブラシが迫り、外装を荒っぽく舐められる感覚にトニルトスは呻きを漏らした。惑星フラーテルでも戦闘を終えた後には、廃液による腐食や汚染を防ぐために洗浄したが、方法が異なっていたのだ。太陽系よりも遙かに進化した科学技術を持っていた惑星フラーテルでは、機体に光を照射して洗浄する光学洗浄だった。だから、直接触れられなくても、いかなる汚れも分解されて剥離した。しかし、太陽系の文明はそこまで発達していない。
 外装の塗装を刮げ取りそうなほどパワフルなブラシの後、化学洗浄剤と汚水を落とすための水が再度頭上から注いだ。それらが足元に落ちた後、熱風が吹き付け、これもまた乱暴な乾燥が行われた後、トニルトスは安堵して肩を落とした。エアインテークを閉じて人間で言うところの息を詰めていたので、シャワールームから出てすぐに大量の吸排気を行った。
 そして、一時停止していたプリシラの歌を再生させた。



 音程。音階。音声パターン。
 プリシラは誰かを思い起こさせる。忘れてはいけない彼女を思い出させる。だが、敢えて明確なビジョンにはしなかった。そうしてしまえば、心根が揺さぶられてしまうからだ。軍人として、戦士として、張り詰めていたものが切れそうな気がした。それに、プリシラ・ストームはプロケラではない。彼女達は同次元に存在していて、名前の類似点も単なる偶然でしかない。けれど、気付けば勝手に思考回路が働いて、プロケラの面影を求めようとする。それがいかに無駄か、何度も計算した。そして、何度も無駄だという結論を算出したが、回路は思考を止めない。だから、何度彼女の記憶を封じようかと思ったか。そうしてしまうことで最も後悔するのは自分だと解っているから、いつも最後のところで出来ずに終わり、宙ぶらりんになる。
 トニルトスは人工の空を眺め、蒸気混じりの排気を零した。異種族の家族と住まうコロニーの空は、いつも同じ色だった。雲の映像を流し、空調装置で風を生み、季節ごとに色調を変えているものの、本物の空のように一秒ごとに変化はしない。安定しているが、停滞してもいる。その人工物特有の平坦さが回路のパルスを落ち着かせることもあるが、今は違った。

「プロケラ…」

 空は、彼女が求めていた場所だ。だが、彼女は空ではなく汚れた戦場で命を落とした。

「私は、一体何をしているんだ」

 トニルトスは額に当たる装甲を押さえ、推進翼の生えた背を丸めて項垂れた。戦い続けた理由は、母星のためだった。機械生命体による絶え間ない戦争の末に滅びた母星、惑星フラーテルを再生させ、機械生命体を再び繁栄させるためだ。だが、惑星フラーテルは粉々に砕け、金色の母たるアウルム・マーテルは機械生命体の捕食者であり、同胞を喰っていた。イグニスと共に地球に降り立ったトニルトスは、アウルム・マーテルと死力を尽くして戦い、戦闘本能の根源をも潰えさせた。しかし、それは同時に母星が二度と再生しないことを意味していた。それでも、トニルトスはイグニスと信念を貫いて戦った。
 アウルム・マーテルを滅ぼしたことを後悔したことはなかった。いや、後悔してはならない、と自分に言い聞かせていた。後悔してしまえば、五人の司令官の命が無駄になる。自分達の戦いが無駄になる。星と同胞が滅びた意味が消えてしまう。けれど、アウルム・マーテルさえ現存していれば、彼女は再生される。そうすれば、今度こそ共に生きられたかもしれない。だが、それはトニルトスの我が侭だ。アウルム・マーテルがいたから、何千万年も機械生命体は生命の尊厳を奪われていた。宇宙に四散したアウルム・マーテルのエネルギー粒子を掻き集めれば、との思考が過ぎったが、不可能だとすぐに否定した。
 ただ、会いたいだけだ。巨大すぎる機体を持って生まれたが故に女性らしさを封じ込め、男として戦い続けた青き戦乙女に。会って、目を見て、話をしたい。君が好きだったと伝えたい。大事にしてやれば良かった。最後の戦いで守り通せば良かった。だが、トニルトスだけが生き延びてしまった。死に往く同胞も、上官も、たった一人好いてくれた女性すらも守らずに生きた。

「おい」

 聞き慣れすぎて鬱陶しい声が掛けられ、背中に蹴りを入れられた。

「なんだ、貴様」

 トニルトスが苛立ちを隠さずに振り返ると、イグニスが親指を立てて後方を指した。

「そこにいられると、アエスタスが出られねぇんだよ」

 トニルトスが座っていたのは、コロニー内に機動歩兵を発進するためのカタパルトで、既にHAL2号が発進態勢にあった。そういえば、イグニスとアエスタスが戦闘訓練を行うと言っていた。だが、いつもなら、宇宙空間で派手に取っ組み合うはずだ。

「クリュスタリオンの一件で、アステロイドベルト周辺の宙域には航行規制が掛かっているんです、大尉」

 HAL2号に搭乗している次女のアエスタスが、外部スピーカーを通じて言った。

「俺達はともかく、アエスタスはあんな連中に出会っちまったら終わりだからな。だから、うちん中ですることにしたんだよ」

 若干不満げなイグニスに、アエスタスが返した。

「仕方ないですよ。統一政府が掛けた規制ですから、太陽系の住民である限りは従わなければなりません」
「発進アラームも鳴らした、ガンマのアナウンスもした、俺も何度か言った、それでもお前は動かなかった。だから、お前が悪い」

 イグニスは足の裏でトニルトスの後頭部を蹴り付けたので、トニルトスはその足を払って転ばせた。

「貴様の粗野な音声など感知するだけセンサーの無駄遣いだ!」
「センサーが狂ってんのはそっちだろうが、このポンコツ!」

 イグニスは起き上がり様にトニルトスを張り倒したが、トニルトスは負けじと掴み掛かった。

「事ある事に熱暴走してパワードアーマーの冷却装置を破損させている貴様こそ、性能が底辺よりも低いではないか!」
「あ…あの…」

 アエスタスは二人を止めるべきか迷い、HAL2号の腕を伸ばしたり下げたりしていた。

「いっつもいっつもお高く止まりやがって! その根性が何か役に立ったことがあるのかよ!」

 いつもの調子で捲し立てたイグニスに、トニルトスは言い返そうとしたが、不意にプロケラの断末魔が記憶回路を巡った。

「…その通りだ」
「おい?」

 前例にない反応にイグニスが戸惑うが、トニルトスはイグニスを押しやって格納庫に歩き出した。

「私に近付くな。近付けば殺す」

 プライドを守ることで、守れるものがあるとすれば自分の心だけだ。だが、己を守れば守るほど、周りを守れなくなっていく。プロケラを死なせたのも、きっとそのためだ。意地を張らずに思いを伝えていれば、彼女は死を望まなかったかもしれない。サピュルスの雷撃で回路を焼かれずに、惑星フラーテルが爆砕した際に宇宙に飛ばされて、生き延びていたかもしれない。だが、トニルトスの他愛のないプライドがその可能性を潰していた。格納庫に入ったトニルトスは両膝を付き、顔を押さえた。
 涙の代わりに、冷却水が溢れて止まらなかった。



 その夜、トニルトスは久々に家出をした。
 直径五十キロメートルのコロニーなので行ける場所はタカが知れているが、ガレージから出れば家族からは遠ざかれる。疎んでいた涙を流したことも知られたくなかったが、プロケラの思い出に浸り切って前に進めない自分から逃げたくもあった。だが、逃げられるわけもなく、奥行きの狭い海を見下ろす岩場で足を止めた。冷ややかな人工の月光が、波を輝かせていた。
 岩に腰を下ろしたトニルトスは、冷却水の残滓を拭い取った。プロケラは、戦いで部下を全て死なせておきながら一人生き残ったトニルトスを侮蔑することもなく、無条件に慕い、好意を寄せてくれた。それが鬱陶しいと思う瞬間もあったが、過電流を発する理性回路が和らいだのは事実だった。だが、それを口にしなかった。特定の相手に好意を抱くのは、機械生命体として有り得ないと思っていた。増して、戦士にあるまじき行為だとも思っていた。そんな下らない理由でプロケラを無下にしたばかりか、その気持ちを無駄にさせてばかりで、何も返してやれなかったのだ。

「おい、トニー」

 振り返らずにいたトニルトスの隣に、イグニスが座った。

「悪かったよ。余計なこと言っちまって」
「貴様如きに謝られては、私の誇りに傷が付く」

 平静を装ったトニルトスに、イグニスはリボルバーの付いた肩を竦めた。

「へいへい」
「して、何の用向きだ。理由がなければ、話し掛けることも許さん」
「何考えてるのか、ちったぁ解るぜ」
「貴様らルブルミオンには、思考パルスを読めるほどの高感度センサーは搭載されていないはずだが」
「そういう意味じゃねぇよ。俺達の物差しじゃ短いが、人間の尺度じゃそれなりに長く付き合っているからな。勘だよ、勘」
「下らん」
「そう言うなって。その、あれだろ」

 イグニスは言葉を濁していたが、音声を弱めて呟いた。

「プロケラのことだろ?」
「…ああ」

 重たい沈黙の後、トニルトスは月が揺らぐ海面を見つめた。

「私は勝利することも出来ず、母星の滅びも止められず、守るべき者すら守れなかった。彼女を守ってやりたかった」
「解るぜ」

 イグニスは頬杖を付き、スコープアイから滲む光をやや弱めた。

「貴様如きに何が解る」

 トニルトスは目も上げずに言い返したが、語気は震えていた。

「解られたところで、嬉しいなどと思いもせん。腹立たしいだけだ。私を慰めようとするな。惨めになるだけだ」
「俺とお前は同僚だ。でもって、仲間だ。ついでに言えば、家族だ」
「下らん」
「なあ、トニー。惚れた女を守れないことほど、男として情けないことはねぇよな。マサヨシだって、サチコを死なせたからああなっちまっていたんだ。そんな奴を見ていたから、俺も解らないことはない。だけど、無理に解らせてくれとは言わん。けどな、トニー。俺達は家族なんだ。宇宙がどうとか次元がどうとか、そういうのを全部差っ引いても、充分家族なんだよ」

 イグニスは兄のような仕草で、トニルトスの肩を支えた。

「俺なんかに甘えろとは言わねぇし、気を許せとも言わねぇ。ぶつけてくれりゃ、それでいいんだ」
「…イグニス、貴様はどこまで私を愚弄するのだぁあああっ!」

 馴れ馴れしい態度と言葉にいきり立ち、トニルトスはイグニスを殴り付けて押し倒した。

「私はプロケラを愛している! だが、プロケラはもういない! 麗しい少女達の歌声でどれほど心を慰めようと、本当に求める声は聴覚センサーに届かない! 確かに家族は守るべきものだ、だが、本当に守りたい相手は宇宙の灰燼と帰した!」

 慟哭しながら、トニルトスはイグニスに拳を振り下ろす。

「誰も彼女を救えない! どれほど速く飛ぼうと、力を上げようと、地位を得ようと、彼女を救う術にはならない! だが、私はプロケラを救いたい! あの最終決戦の日に戻り、死を望むプロケラを引き留めたい! そして、そして、そして…」

 最後の拳は叩き付けられず、岩に当てたトニルトスは、イグニスの上に崩れ落ちた。

「愛していると、言ってやりたい…」
「言ってやれよ、いくらでも。そしたら、きっと喜ぶぜ」

 イグニスは嗚咽を押し殺すトニルトスを支え、目を細めた。

「貴様に…言われるまでもない…」

 ぎしぎしと関節を軋ませながら身を起こしたトニルトスは、冷却水に歪む視界を拭うこともせず、拳を緩めた。

「そこまで思われて、幸せじゃない女はいねぇよ。お前のプライドも、ちったぁ役に立つな」

 イグニスの気楽な言葉に、トニルトスは少しだけ気分が緩んだ。 

「…ふん」
「せっかくだから、プロケラの話をしてくれよ。トニーを撃ち落とすほどの女だ、知りたくもなる」
「良かろう。ならば、心して記憶回路に焼き付けよ。カエルレウミオン最強と謳われた、鋼の乙女のことをな」

 トニルトスは偽物の夜空を仰ぎ、静かに語り始めた。プロケラと出会った頃のこと、プロケラと交わした言葉の一つ一つを。イグニスは、いつになく神妙にその話を聞いていた。敵だったとはいえ、宇宙に散り散りになった同族の記憶だからだろう。プロケラの表情や言葉を事細かに思い出していくと、過電流を帯びたように痛んでいた理性回路が別の痛みを生じ始めた。それは、久しく忘れていた恋の痛みだった。プロケラを思い出せば思い出すほど、苦しささえ感じる愛しさで回路が熱した。プロケラとの思い出は、単純計算でも数百万年分はある。印象深い思い出を掻い摘んでも、数十年は掛かってしまいそうだ。けれど、長ければ長いほど、彼女との思い出を噛み締められる。トニルトスは母星の空を思い描きながら、言葉を連ね続けた。
 別次元のプロケラは、今も空を飛んでいるのだろう。