年末と言うことで、ひぶでんで大晦日話でも。
一発書きも同然なので、お見苦しい点もありますがご容赦を。
読みづらい場合はメモ帳にコピペでどうぞ。

  今宵、年の瀬に

 ノックの後に、曖昧な返事が返ってきた。
 その反応に、鋼太郎は思わず肩を竦めた。気が進まなかったが扉を開けると、部屋の床が見えなかった。
洋間の至るところに、乱雑に開けられた大量の段ボール箱や漫画本や雑誌の束や洋服の山が出来ていた。
その中心で、部屋の主の百合子はばつが悪そうに苦笑していた。一纏めにした長い髪は、埃で汚れている。
鋼太郎は文句を言うことすら諦めて、散らばった本を足で押しのけながら歩み寄って百合子に近付いた。
「ちったぁ進歩しろよ、ゆっこ。去年と同じじゃねぇか」
「だ、だって、出してみたら物が一杯あるし、でも、どれも大事なんだもん」
 百合子は頬を張り、むくれた。鋼太郎は溶けた雪の水滴が付いたコートを脱ぎ、コート掛けに掛けた。
「せめて古雑誌は捨てろよな。オレも捨てたんだから、昔のジャンプの山を」
「押し入れ上の鋼ちゃんの宝物は?」
 百合子がにたりと笑んだので、鋼太郎はすかさず言い返した。
「あれは捨てられるわけねぇだろうが! つうか、捨てるに捨てられねぇって方が正しいんだよ!」
「で、来てくれたってことは手伝ってくれるの?」
 百合子は目を輝かせて、鋼太郎に詰め寄ってきた。だが、高校のジャージ姿なので色気も何もなかった。
鋼太郎は、曖昧な返事をした。すると百合子は飛び上がらんばかりに喜び、鋼太郎にしがみついてきた。
「ありがとー鋼ちゃん、だから鋼ちゃんって好きぃー!」
 それだけで逆らう気が起きなくなってしまうのが、恋心の不思議だ。以前であれば、怒っただろうが。
鋼太郎は己が堕落したことを悟りつつ、百合子を引き剥がした。嬉しいのだが、今はそれどころではない。
百合子は少し寂しげに眉を下げたが、素直に離れた。いつまでも抱き合っていては、本題が進まなくなる。
 鋼太郎が百合子に呼び出された理由は、至って簡単だ。部屋の大掃除を手伝ってくれ、というものだった。
鋼太郎も一日掛かりで自宅の大掃除をしてやっと終わったばかりだったのだが、電話で懇願されてしまった。
家族に百合子の我が侭を愚痴ったら、逆に囃し立てられてしまい、半ば追い出される形で白金家にやってきた。
母親の撫子からも百合子を手伝うように頼まれてしまったので、引っ込みが付かなくなって二階に上がった。
そこで目にしたのは、予想以上の惨状だった。百合子は掃除も整理も下手だと解っていても、凄まじかった。
普段はクローゼットやラックの中に収納されているものを次から次へと出したらしく、床一面が物の海だ。
今回ばかりは、可愛らしい内装も惨めに見える。いくら部屋が可愛らしくても、主がこれでは意味がない。
 その上、今日は既に大晦日だった。この状態のままで新年を迎えるのは、いくらなんでも非常識である。
百合子が現状を打破しようとした痕跡は見当たらなかったが、せめて床が見えるくらいにはしようと思った。
 鋼太郎はトレーナーの袖をまくり上げて銀色の外装に覆われた腕を露わにし、雑誌から手を付けていった。
百合子が学校帰りにいつも買っているティーン向けファッション雑誌や、マニアックなゲーム雑誌などだ。
百合子はやや名残惜しげな顔をしていたが、そんなことでは埒が明かない。鋼太郎は、雑誌を紐で括った。
「床に出てるんだから、捨てていいんだよな」
「うん、まぁね。それ、三年も前のだし」
 百合子は渋々頷いてから、大量のゲームソフトを段ボール箱へ詰めた。
「すぐに捨てろよ、そんなの」
 鋼太郎がぼやくと、百合子はむくれた。
「だって、なんか勿体ないんだもん」
「気持ちは解るけどよ」
「でも、鋼ちゃんみたいに水着アイドルのグラビアを切り抜かないだけまだマシだもーん」
「切り抜いてねぇよ! そこまで飢えてねぇっつうの!」
「じゃあ、鋼ちゃんの下敷きの間に挟んであったのって何なの?」
「寄越されたんだよ、隣の席の奴から」
「へー」
 途端に、百合子の反応が冷えた。鋼太郎は、慌てて弁明する。
「オレは何度もいらねぇっつったんだぞ、そいつがオレの下敷きに無理矢理突っ込んだだけなんだからな!」
「じゃ、なんで捨てないの?」
「なんか捨てづらいっつーか…うん…」
 鋼太郎は言葉を濁し、目線を逸らした。百合子は不機嫌そうだったが、自分の作業に戻った。
「気持ちは解るけどね、気持ちだけは」
「棘のある言い方しやがって」
 鋼太郎が少しむっとすると、百合子はつんと顔を逸らす。
「棘があるのは鋼ちゃんの方だよ」
「なんでそこで怒るんだよ、お前は」
「わっかんないかなぁー、もう」
「そんなの、いちいち解るわけねぇだろうが!」
 強めに言い捨てしまってから、鋼太郎は俯いた。百合子の横顔は強張っていて、苛立ちを押さえ込んでいた。
どうでもいいことなのだから言い合う必要もないのだろうが、年末の忙しさと気疲れから少し気が立っていた。
百合子もそうだったようで、顔を動かさずにスコープアイだけを動かして窺うと、今度はしゅんと萎れていた。
だが、謝る気も起きなかった。どちらもこれといって悪くないのだが、だからこそ妙に謝りづらくなっていた。
 それから、二人はあまり言葉を交わさなかった。どれが必要でどれが不要か、を確認するだけになっていた。
それはそれで片付けは捗ったのだが、雰囲気は最悪だ。百合子は無表情になるし、鋼太郎も黙り込んだ。
散らばっていた物の五割が段ボール箱かラックに戻り、床が見えるようになった頃には日が暮れていた。
元々雪が降っていて薄暗かった空が更に暗くなり、窓から出た明かりで降りしきる雪が四角く照らされていた。
 鋼太郎は何度となく視界の隅に表示されている時計を確認して、自宅へ帰るタイミングを見計らっていた。
だが、百合子の部屋から出るタイミングが見つからない。鋼太郎は空の段ボール箱を潰しながら、迷っていた。
このまま部屋を出て後で電話かメールで謝るか、それとも百合子から謝られるのを待っておくか、直接謝るか。
どう考えても、選択肢は三番目だろう。午後六時半を過ぎているので、一番事が早く終わるものにするべきだ。
鋼太郎は適当な謝罪の言葉を考えながら、百合子に向いた。床に座り込んだ百合子は、アルバムを広げていた。
何の気なしにそれを覗き込むと、幼い頃の百合子の写真が並んでいた。だが、そのどれもが痛々しいものだった。
保育器に入れられた小さな赤ん坊の手足にはチューブが付けられ、心臓の位置には手術痕が付いていた。
その隣に貼られた写真も病院内のもので、子供用のベッドに腰掛けた幼い百合子は青白い顔で微笑んでいた。
 百合子が生身だった頃の、闘病の記録とも言えるアルバムだった。それを、百合子は真剣な顔で見ていた。
鋼太郎が百合子に近付くと、百合子はちょっと困ったような目で鋼太郎を見てから、アルバムを見下ろした。
「ちょっとだけ、迷っちゃった」
「何をだ」
 鋼太郎が聞き返すと、百合子はぐいぐいと目元を擦った。
「これも捨てちゃおうかなぁって、思ったの。でも、やっぱり捨てられないや。捨てちゃいけないもん」
「オレもそう思う」
 鋼太郎は百合子の前に胡座を掻き、アルバムを覗き込んだ。百合子は、アルバムのページをめくった。
「鋼ちゃんってさ、私の写真って持っている?」
「なんだよ、いきなり」
「私は、鋼ちゃんの写真を持っていないから」
 百合子は、苦笑いを浮かべた。
「鋼ちゃん、私と一緒に撮ってくれなかったんだもん。いっつも逃げちゃって、私だけになっちゃってさぁ」
「…悪ぃ」
 無性にやるせなくなって、鋼太郎は小さく謝った。
「こうなるって解っていたら、無理矢理にでも引き留めたのになぁ」
 百合子は愛おしげに、人工人皮に覆われた指先で幼い頃の自分を撫でた。入院している時のものだった。
「でも、もう無理だから。大事にしたいって思っても、絶対に手に入らないもんね」
「だから、さっき怒ったのか?」
「うん。ごめんね。鋼ちゃんがその写真を凄く大事にしているってわけでもないのに、なんか、むかむかしちゃって。鋼ちゃんは悪くないのにね」
「だったら、寄越せよ」
 鋼太郎は、百合子の前に右手を差し出した。
「え、でも、これはダメだよ」
 百合子はアルバムを閉じようとしたが、鋼太郎はページの間に手を差し込んで阻んだ。
「いいじゃねぇか。ゆっこが頑張った証拠だろうが」
「だけど…」
「いいから、見せろ」
 鋼太郎は百合子の手から強引にアルバムを奪い、開いた。どのページも、病に苦しむ百合子に満ちていた。
大きな手術を行う前の百合子、麻酔で眠っている百合子、車椅子に乗る百合子、明るい笑顔を見せる百合子。
久々の外泊で自宅に戻ってきた百合子と両親、病室で誕生日を祝う百合子、百合子、百合子、百合子、百合子。
鋼太郎が知らない百合子も多かったが、知っている百合子もいた。その中でも、特に目に付いた写真があった。
 発育が悪いために小さく細い体にはとても大きく見えるランドセルを背負った、新一年生の百合子だった。
この頃には、短期入院は繰り返していたが小学校に通えるほど元気になっていて、笑顔も眩しく晴れやかだ。
だが、背景は病室だった。折れそうなほど細い腕には点滴が刺され、胸元からは充電用ケーブルが伸びていた。
「ああ、これ」
 百合子は鋼太郎が見つめる写真を見下ろし、複雑な思いを滲ませながら呟いた。
「この後、寝込んじゃったの。小学校に通えるのが嬉しくて嬉しくて興奮しすぎたから、貧血起こしちゃってさぁ」
「じゃ、これな」
 鋼太郎は写真を挟み込んでいるフィルムを剥がし、その写真を取り出した。
「それでいいの?」
 怪訝そうな百合子に、鋼太郎は少し笑った。
「ああ、いいんだ。その代わり、オレのガキの頃の写真を一枚やるよ。それで平等だろ?」
「でも、なんでその写真なの?」
「こういうの、ゆっこらしいじゃねぇか」
「そうかなぁ」
「そうだったらそうなんだよ」
 鋼太郎は立ち上がり、百合子の写真をコートのポケットに入れてから、百合子に向き直った。
「さあて、仕切り直しだ! 片付けるところまで片付けちまおうじゃねぇか!」
「…うん!」
 百合子は大きく頷くと、立ち上がった。
「鋼ちゃんの恥ずかしい写真をもらえるんだから、頑張らないわけにはいかないよね!」
「ばっ、馬鹿かお前は! ガキの頃の写真ってだけで、別に変なのをやるわけじゃねぇんだぞ!」
 鋼太郎がぎょっとして喚くと、百合子はにやにやした。
「子供の頃の写真って、八割方が変なのだよねぇ」
「七五三のは勘弁してくれよ、あれだけは見るな、つうか絶対にやらねぇぞ!」
「そっかぁ、鋼ちゃんの恥ずかしい写真は七五三かーぁ」
「いいか、絶対に七五三だけは見るな! あんなものはな、未来永劫封印しておくべきなんだよ!」
「じゃ、引っ張り出して世に晒そう。画像掲示板かなんかにアップロードしたら一瞬で世界中に」
「マジな晒しをするな! 大体、床屋が悪いんだ床屋が! 紋付き袴の子供を七三分けにするなってんだよ!」
「うわぁ旧時代センス。それなんて昭和のサラリーマン?」
「だから見せたくねぇんだよ!」
 鋼太郎は羞恥心に悶えながらも、畳んだ服の山を段ボール箱に押し込んだ。時として、百合子は意地悪だ。
口だけであるならそれでいいのだが、そうでない時があるからたまらない。口だけであってくれ、と願ってしまう。
鋼太郎の写真がもらえるということで浮かれているのか、百合子はご機嫌になって、鼻歌まで零していた。
現金さに辟易しつつも、鋼太郎も内心では浮かれていた。百合子の写真は、一枚も持っていなかったのだ。
デートの時に二人で写したプリクラは何枚かあるが、それは遊びなので正式な写真と言えるものではない。
この写真の中には百合子らしさがそこかしこに詰まっていて、幼いながらも明るい笑顔に心が惹かれてしまった。
明るくて、可愛らしくて、けれど意地っ張りで、見た目よりも強い少女。その全てが入っているような気がした。
生徒手帳や定期入れなどという野暮なものには入れない。ちゃんとしたフォトフレームに入れて、机に飾るのだ。
 問題は百合子が欲しがる写真だが、七五三のものや危険な写真がないアルバムを選別してやればいいだろう。
そうすれば、まともな写真をもらってくれるはずだ。そうなることを願いつつ、鋼太郎は部屋の片付けを続けた。
百合子の鼻歌はいつのまにか声が出ていて、歌になっていた。大晦日なのに、なぜかクリスマスの歌だった。
だが、悪くない。鋼太郎は温かな気持ちになりながら、百合子の時季外れのクリスマスソングに耳を傾けた。
 いつまでも、こんなふうに年が過ぎればいい。

07 12/28