チベットでの騒乱のニュースに、身を引き締める。ダライ・ラマの不退転の決意に、耳を傾ける。「平和」という二字が、頭を駆け巡る。Missing Peace--、行方不明の平和----

現在、私は、4つの巡回展に、出品している。考えてみると、多分、年間3分の1ぐらいは、世界のどこかで、私の作品(作品からのメッセージ)が展示され、人々の目に触れていることになるだろうか。その巡回展のひとつが、『The Missing Peace』展である。サブタイトルが、ずばり『Artists consider Dalai Lama』だ。一昨年に、ロサンゼルスを皮切りに、シカゴ、ニューヨーク、そして今はサンフランシスコか。とすると、この不穏なチベット情勢の中で、この展覧会はどのような役割をもつのだろうか? 慌てて、調べてみると、サンフランシスコのYebra Buena Center for the Artsでの展覧会は、数日前、3/16に終わっていた。

The Missing Peace: Artists consider Dalai Lama』は、日本では「失われた平和:アーティスト達は、ダライ・ラマを考える」と訳されている。しかし、私は、『行方不明の平和』と訳したい。アーティストは、行方不明の平和を探し当てる探求者でなければならない。世界中から選抜された89人のアーティストたちは、それぞれの生い立ち、生存の背景というこんがらがった時間の中から、行方不明の平和をたぐりよせる。アーティストは、さまざまな利害を超え、ボーダレスな境界に立ち、手探る、どこかにあるに違いない、平和というものを。その分、人の数だけ、平和のイメージがあっていい。

『The Missing Peace』のカタログを、取り出す。私の作品は、どこに分類されているのだろうか。Humanity in transition. 変化、変転の中の、人間性。私は、水をサバイバルのための不可欠な条件として、これからの基本的人権のあり方を手繰りよせようとした。89人の出品アーティストの中から、中学生のための教育プログラムとして選ばれた3人のアーティストに、私が入った。平和とは、誰かから、何処かから、与えられるものではない。創り、守り、そして残す。極めて、アーティスティックなアプローチだ。「子どもたちにとっての、平和」、これは行方不明の平和をたぐり寄せる、重要なキーワードだろう。

この『The Missing Peace』展が、今秋、東京で開催される。10/17~11/9、代官山のヒルサイドテラス。行方不明の平和をたぐり寄せる場に、共に居合わせたいと思う。行方不明の平和を、知らず知らずのうちに独り占めしているかもしれないのだから。