【生い立ち⑤】 | to U -がんばりすぎんとがんばりやぁ-

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「夢は叶う!」なんて口が裂けても言えんけど。けど、それでも。
(※旧ブロク「スーパー大学生になりたい、てかなってやる!」)

生い立ち第5弾!

~高校編続々編~



成績は文系最低レベル。
部活動もやってない。
放課後はふらふらと街へ繰り出す。



自分の存在意義って?



自分もみんなみたいにキラキラしたい。



このままでじゃ、さすがにまずい。






この漠然とした想いは、確信に変わりました。






この頃、高2の半ば過ぎ。






調度その頃、僕らの高校は生徒会役員の応募期間だった。



しかし、生徒会長の席だけは、まだ候補者が出てないという状況。



掃除の時間に、せっせと机を下げていた僕に、



「おい、入口~お前生徒会長なってみろや~。」



って冗談で笑いながら言い放った担任。木村先生。



「いやいや、まさかやろ~。先生、俺がこの高校のヘッドになったら首とぶよ~。」



って笑いながら答えた。



とは、言ったもののその日の夜に
風呂入りながら真剣に考えたん、今でも覚えてる。



風呂上がって父さんにも話した。



「父さん、俺このままじゃやばいげん。



まじで半ば強制的に自分追い込まんと、このまま終わってしまう。



生徒会長とかよーわからんけど、おっきいいこと挑戦したいげん。」



父さんは応援してくれた。



がんばれっ、て。






次の日、きむ(担任)にその旨を言いに行った。



びっくりしてた。笑



まさか本気で僕があの言葉を真に受けるとは思ってなかったみたいで。笑



「お前が生徒会長なったら、断トツで史上最悪やわー。笑」



先生ありがと、それ最高の褒め言葉★



学年主任にも言いに行った。



ふっちゃん(学年主任藤田先生)は、もろに嫌なん顔に出てた。笑



「ん~入口。候補者出てない状況でそー言ってもらえるのは有り難いんやけど~…。



ん~その~…。



………………髪。笑」



って。



言われた通り前髪バッサリ切りました!






あとは信任投票。






金沢泉丘高校をまとめていくのが
入口瞬でいいのか、それともダメなのか。



全校生徒が有権者。






結果は…






【スーパー大学生になりたい、てかなってやる!】 border=






後期生徒会会長:入口瞬






ほんとになってしまいました。



歴代の生徒会長は優秀で
最低でも旧帝大か早慶に進学するのが普通。



最低でもって…。笑



なんに、文系最下位の僕がなってしまった。



けど、めっちゃ気持ちかった。



この学校を変えたいとか



みんなに気持ち良く高校生活を送ってもらいたいとか



そんな綺麗な理由なんてなかった。






自分を変えたかった、ただそれだけ。






あとは、この学校が大好きだってこと。






それだけ。



自分の再生とテコ入れをかけた生徒会長。



これからの半年間に胸を躍らせた。






毎度、生徒会役員は6~7人が原則で、
基本的には高1、高2でバランス良く組織されるのが普通だった。



けど、顔を合わせてみれば



僕以外、みんな高1。笑



お?



おーーー。



いっ、いいね。笑



俺大丈夫かなー!笑



って心の中で最強に焦ってる自分がいた。笑



就任してすぐ、生徒会長演説というものもあった。



それは各教室に僕の音声が流れるという形式で、生徒会長の挨拶みたいなやつ。



えー、この度、生徒会長に就任させていただきました入口瞬です。



から始まり、自分を変えたかったこと、



そして金沢泉丘、この高校が大好きであるということ。



心をこめてしゃべらせてもらった。



けど



この高校が大好きですという、僕の演説に対して一部から



「あいつただの偽善者やん。普段ナンパばっかしてるくせに。」



そー言われてたっていう噂を耳にして、めちゃくちゃへこんだ。



偽善者。



今まで言われたことなかった。



偽善者。



その言葉の重みが僕の上にドカンっ!!!って。



つらかった。



泉が好きってことは心の底からYesやし
むしろ俺が学年1位や、こんにゃろーって。



上に立つ人、リーダーってやっぱり



批判の対象になるのは当たり前で



100人いて、100人全員に好かれようなんて無理な話で



けど限りなく100に近い数字を出せる男になりたかった。



みんな仲良く!みたいな平和主義、
プラス、みんなに好かれる人気者になりたい
って、そう思ってた当時の僕にはつらいポジションになった。



意地悪な先生もいっぱいいた。



廊下ですれ違う度に嫌味を言ってくる先生。



あんたらは俺の何を知ってるん?
勉強できんから見た目が派手やから



だから何?



生徒会長は確かに学校の看板。



うん、俺もわかる。



みんなのお手本、うん、わかるよ。



勉強できるできんの前に



仕事こなせるこなせんの前に



もっとこー、なんてゆーか



大切なもんがある気がした。






もちろん当時の僕に今言った大切なもんがあった訳ではない。



けど、勉強できないから、普段ちゃらついてるから、



そーゆう理由で



人間性を勝手に決めつけられて否定されるのが



本当に悔しくて悔しくてしょうがなかった。



まぁ



そう思われてしまうのも当然っちゃ当然なことやってんけど。



けど、それがバネにもなったし、刺激にもなった。



もちろん色んな友達が僕の生徒会長を応援してくれたのも事実。



それにはほんとに感謝してる。



応援ってゆーよりは、おもしろがってただけやけど★笑



応援してくれる先生の存在もほんとに心強かった。



「ほとんどの先生は入口のこと知らなさすぎるからな~。」



って。



感謝。



あとは演説の原稿も、教員朝礼でのスピーチ原稿も、文集の原稿も、



手伝ってくれたのは、他の誰でもない



父さんだった。



この表現の方がよくないか?
この言い回しにした方がいいやろー。



って。



息子がどんだけ劣等生で弱者でも



やっぱ家族はずっと応援してくれるもんなんですよね…。



こんな想い出ブログに書かな忘れてしまうとこやった。



原稿の添削とかじゃなくて、背中を押してくれたこと、



父さんのバックアップに心から感謝の念を伝えたい。






そんなこんなで批判を浴びながらも
心やさしい人達の支えもあって
なんとか生徒会長をやらせて貰えた。



全員年下の役員みんなともすぐに打ち解けれて



入口先輩、入口先輩、って慕ってくれた。



尊敬はしてなかったやろうけど★笑



後期生徒会の主な仕事としては
文化祭運営のような大がかりなものはなく



メインは収入に対する支出のバランスを考えて
各予算を各部活動に振り分けるのが仕事。



もっと言うと、各部長との予算の交渉です。



つまり、話し合うのが仕事。



僕の得意分野です★笑



なんと結果として3年ぶりに予算を300万円に抑えることができました。



前年度比-22万円★



生徒会室でみんなでよっしゃーって!



ほんとはぴったし3000000にしよなってみんなで言ってたけど



実際は計算ミスで2999000になった。笑



これにはみんなで笑いました。



他にもまだまだ行けると思って、特別企画として
市内各高校の部活動強豪チーム訪問を行った。



野球部はあの高校が強い
吹奏楽ならあの高校が凄い



そんな高校に取材に回った。



取材することで強さの秘密を仕入れて、それを還元し、
金沢泉丘の各部活動の活性化に繋がればと思ったのが理由。



が表面の理由で、ほんとは僕自身が色んな高校周ってみたかっただけってゆう★笑



けどこのお陰で生徒会みんなの仲も深まったし
他の高校の顧問の先生にもたくさんお誉めの言葉を頂いた。



結果的に年度末の文集にも掲載してもらえることにもなった。






校内偏差値30の生徒会長。



大きな責任が、僕の半年間に刺激を与えてくれた。



こんな僕でも仕事は務まった。



これは自分の中で大きかった。



コンプレックスの塊だった自分に
少し、ほんの少しではあるけど自信がついた。



この時、17歳。



俺もやればできるってこと、証明したい。



もっともっと証明したい。



勉強でみんなを見返したい、次は勉強や。



そう心に決めた。



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入口瞬