日本にとって特別な日 | misaのブログ

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あれから71年。昨日は日本にとって特別な日となりました。

アメリカの現職大統領が広島を訪れるまでに、71年もかかったのですが、ようやくみんなが注目する日がやって来たのです。

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原爆慰霊碑の前で献花をし、黙祷を捧げるオバマ大統領。

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オバマ大統領のスピーチ

71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました。

閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示しました。

私たちはなぜここ広島に来るのでしょうか。

それほど遠くない過去に恐ろしい力が解き放たれたことを考えるために来ます。

また、10万人を超える日本の男性、女性、子ども、多数の朝鮮半島出身者、12人の米国人捕虜の死者を悼むために来ます。

その魂がもっと心の内を見て私たちは何者なのか、私たちはどのようになれるのか、振り返るよう語りかけてきます。

。。。略。。。

全ての人のかけがえのない価値です。

全ての人命は貴重であるということです。

私たちは一つの家族の一部であるという根源的で不可欠な考え方です。

それが私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは広島に来るのです。

それによって、私たちは、愛する人たちに思いをはせます。

朝一番の子供たちの笑顔。食卓での配偶者との優しい触れ合い。親の心地よい抱擁。

そうしたことを思い、そうしたかけがえのない瞬間が71年前のここにもあったのだと考えることができます。

亡くなった方々は私たちと全く変わらない人たちでした。

普通の方々はこうしたことを理解できると思います。

彼らの誰もがこれ以上、戦争を望んでいません。

むしろ科学の驚異を、命を奪うのではなく、もっと人生を豊かにすることに役立ててほしいと考えています。

国家が選択をするとき、国家の指導者がこのシンプルな英知をかえりみて選択すれば、広島から教訓を得られたと言えるでしょう。

世界はここで永遠に変わってしまいました。

しかし、広島の子供たちは平和に日々を送っていくでしょう。

なんと価値のあることでしょうか。

それこそが守り、そして全ての子供たちに広げていく価値があることなのです。

これこそが、私たちが選択できる未来です。

広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりであるべきです。

<転載終わり>

5分の予定が17分にもなったスピーチ。

スピーチの後にオバマ大統領は、被爆者の方々とお話をされたのです。

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ずっと手を固く握ったまま。

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ここでオバマ大統領が何故笑ったかと言うと、坪井直さんが「あなたはノーベル平和賞を取ったんだから、遊んでいたらだめですよ。」と言ったからだそうです。

ホントにステキな笑顔でした。

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8歳で被爆された森重昭さんと抱擁するシーンは、感動的でした。

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「こんな事は天地がひっくり返っても無いと思ってた。」と森さんは後で語っています。

オバマさんが原爆資料館で書き残した言葉。

「私たちは戦争の苦しみを経験しました。

ともに平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう。」


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どれくらいの被爆者の方々が、オバマ大統領の訪問で救われた思いになった事でしょう。

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笑顔で触れ合い、抱き合うだけで、国籍は違っても心は通い合うのです。

もうひとつ欲を言えば、長崎にも行って欲しかったです。

しかし、核兵器だけでなく戦争そのものが無くなるように訴えるオバマさんの言葉がパフォーマンスでない事を願います。

そして、オバマさんの滞在する伊勢志摩に、サミットに合わせて行っていた私たちの思いもこれで少しは報われた気がします。

ある方から下された私たちへのミッションは、「指定されたホテルに泊まること」だったのです。

思いもかけず、ステキなホテルで感謝でした。

そして、そこでG7サミットとオバマさんの広島訪問が平和の中に終わるよう祈って来ました。

さらに、中央構造線が通っている伊勢という重要な地の神々に感謝を捧げる為に、出来る限り回れる神社を訪れました。

私には特別な力はないけれど、みんなで感謝を捧げることや祈ることは出来ます。

天候にも、お二人の案内役の方にも恵まれました。

お二人の女性は、まるで神さまが遣わして下さったような素晴らしい方々でした。

ご縁に感謝いたします。本当にありがとうございました。

家に帰り、オバマさんのニュースを見て、アメリカ大統領がこの時期日本に来られたことには意味があったと思わずにはいられませんでした。

71年もかかったここからが、平和を世界に発信する本当のスタートになる事を願ってやみません。