1945年8月、米国は「戦争終結のため」という美名のもと、人間の肉体と精神の尊厳を破壊し尽くす原子爆弾を広島・長崎の2つの都市に投下しました。
今日は、広島に原爆が落とされた日。
既に戦意喪失の日本に対し、2度も原子爆弾を落としたのは、アメリカが原爆の威力を確かめたかったからに他なりません。
戦争というものは、これほどまでに人の心を残酷にさせてしまうのでしょうか。
その犠牲になった多くの人々の事、戦争という悲惨さを後の人々に伝えるのに既に69年も経ってしまっているという事に、私たちは焦りにも似たある想いを抱きます。
何故なら、戦争を体験された方が、どんどんいなくなってしまっている現実があるからです。
ここに一冊の絵本があります。
- いわたくんちのおばあちゃん/主婦の友社
- ¥1,620
- Amazon.co.jp
被爆から60年目の2005年の夏にこの物語は生まれました。
4年生の男の子の目を通して平和と家族の尊さを描いたこの絵本は、実話に基づいて書かれています。
小学校の運動会の日、岩田くんのお母さんが家族を写真に撮ろうとした時、車いすのおばあちゃんは、写真に撮られることを嫌がりました。
絶対に家族と一緒に写真を撮らせないのです。
それには、ある理由があったのでした。
広島のある小学校で実際に行われた「平和学習」の時間に、一枚の写真をもとに繰り広げられたそのお話とは?
岩田くんのお母さんは、子どもたちに原爆の話を伝える時、
「戦争なんてずっとむかしの話なんて思わんでね。ひょっとしたら、未来の話になるかもしれんのよ。
未来、それは、君たちみんなが作っていくものだからね。」と話すそうです。
と、ここまでは普通に絵本の紹介ですが、この有名な絵本の「岩田くんのお母さん」に、何と!私は偶然にお会いしているのです!
あの不思議な光の玉が現れた三島大社でのツアーに、広島からその方は来られていたのです。
パドメツアー in 三島大社
この絵本のご紹介をしたくて、私はじっとこの日まで待ちました(笑)
あのツアーで、遠く広島から来て下さったのは、やっぱりご縁を感じないではいられません。
戦争を語れるのは、実際に体験されたおじいちゃん・おばあちゃんしかいないのです。
おじいちゃん・おばあちゃんから子や孫へ。バトンはつながれて行くのです。
バトンと言えば、この方を忘れるわけには参りません。
二重被爆者の山口彊さんです。
山口彊(つとむ)さんは、広島と長崎の両方の地で被爆されるという世界でも珍しい体験者です。
93歳で生涯を閉じるまで、自らを「生かされた命」と考え、語り部となることを決意し、核の廃絶と平和を訴える活動をされました。
しかし、自分よりも先に息子さんが原爆後遺症である全身ガンで亡くなるまでは、世間に自分が二重被爆者である事は隠していたのです。
既に終戦から60年の歳月が経っていました。
その時ようやく山口さんは「二度も被爆して自分はなぜ生きているのか。」を考えました。
そして「私は伝えるために生かされているんだ!」と気づいたのでした。
自分自身もあと何年生きられるか分からないと、自分の体験を語りながら、核による悲惨な事実を伝え『核は人間の世界にあってはいけない』と、核廃絶と平和を訴え続けたのです。
しかし2009年8月、山口さんは吐血して緊急入院しますが、ある方に会うまではどうしても命の灯火を消すわけにはいかなかったのです。
彼が会いたかった人、その人は「タイタニック」や「アバター」で有名な映画監督ジェームズ・キャメロン氏でした。
その年の12月22日、キャメロン監督は入院中の山口さんを見舞い「あなたの稀有な体験を世界に伝えるため、映画を製作したい」と山口さんに伝えたのでした。
また「あなたが二重被爆をされていて、今まで生きているということは、あなたにはお役目があったのです。核廃絶の為に」とも。
その後監督は、原爆をテーマにした映画の構想がある事を山口さんに話しました。
その話を聞き終わった山口さんはキャメロン監督に英語で、「私の役目は終わった。後はあなたに託したい」と語り、固く手を握りあったのでした。
まるで、監督にバトンを渡し安心したかのように、山口さんは2010年1月4日、胃がんのため93歳でお亡くなりになりました。
何度観ても泣ける動画です
山口さんがすべての人達に送りたいと言うメッセージがあります。
「One for All.All for One」
(一人は皆のために、皆は一人のために)
私たちは、今、何が出来るでしょうか。
山口さんから、目には見えないバトンが私たちにも渡されているはずです。
それから今日は、ちぃさんのお誕生日です。
ちぃさんの今は亡きお母様は、8月9日生まれでした。
私のご縁のある方たちが、共に原爆投下の日に生まれている事が不思議です。
ちぃさん、お誕生日おめでとう!