ついに、ホピ族の雨乞いの儀式「カチーナダンス」に参加するチャンスが巡って来ました。
参加と言っても、もちろん民家の屋根の上から儀式の様子を観るだけなんですけどね。
でも、昨日の記事に書いたように、ただの観光客として傍観するのではなく、儀式をしている彼らと気持ちをひとつにしようと思っていました。
「メサ」に着き、Rさんに案内されたその場所は、民家の屋根に登れるようにハシゴがかかっていました。
ジリジリと刺すような日差しの中、私たちは座る場所を確保しました。
下は民家で囲まれた広場になっていて、私たちは平らな屋根の端っこの出っ張っているスペースに腰かけたのでした。
その幅は40センチくらいで、足はブラブラ状態となります。
高所恐怖症のクリスティさんは、かなりビビっていました。
様子が分かるように、YouTubeから似た場所を探して来ました。
この写真で言うと、人々が座っているさらに前の下がった場所です。
やがて、カチーナたちがぞろぞろと広場に入ってきました。
そして、持っているカゴから何かを投げ始めたのです。
野菜や果物、ポップコーンやパンなどでした。
餅投げの逆バージョンみたいに、下から上に投げられて、私たちはキャーキャー言いながらキャッチしました。
拾うのに必死で、ありがとうと言うのも忘れていたら、Rさんに「say askwali!」と言われ、慌ててサリーさんは大声で「askwali!askwali!(ありがとう)」と言うのですが、何だか逆に催促してるみたいになってました(笑)
これが頂いたものの一部です。
カラフルな渦巻き状のは、最初何だか分からなかったのですが、食べている方がいてパンみたいな物だと分かりました。
これが下から、どんどん飛んでくるので肩に当たって痛かったです。
そして、しばらくすると「カチーナダンス」の儀式が始まりました。
広場いっぱいに服装も様々なカチーナたちが踊り始めました。100人以上はいたでしょうか。圧巻です。
たくさんのカチーナたちが、私たちを見ています。カチーナの目が長方形なので、そう見えるのでした。
カチーナたちの踊りを見ていたら、やっと会えたね、この時を待っていたよと言う感覚や、とっても懐かしいような感覚になり、感動で胸がいっぱいになり、理由が分からないけどボロボロ涙が流れて来ました。
お祭りを見て泣けたのは初めての事で、それは魂が揺さぶられるような貴重な体験でした。
クリスティさんやサリーさんも泣いていました。
そのうち、Rさんが踊りに合わせて身体を動かしているのを見て、一緒に踊っていいんだと分かり、私は両手を彼らと同じように動かしました。
前述したように、カチーナの精霊の踊りをするのは男性だけで、皆仮面で顔をすっぽり覆い、身体にペイントしているカチーナや、白い服の女性を表すカチーナもいました。
中身は男性なのに、この女性のカチーナの動きがとってもかわいいんです。
「カチーナダンス」の撮影は禁止されていましたが、「バッファローダンス」の様子がYouTubeにありました。
踊りや衣装、人数や迫力が全然カチーナダンスとは違いますが、リズムの取り方や歌い方は似ていますので、参考にご覧になってください。
そして、ふと横を見るとサリーさんがカチーナと全く同じ踊りをしていたのです!
落ちたら怖いので、私たちは狭いスペースの精一杯後ろに腰掛けていましたが、サリーさんは膝が半分前に飛び出していました ((((;゚Д゚)))))))
そして、ノリノリで踊っていたのですよ。
私は怖いから下をのぞかなかったのですが、下にいた人たちもサリーさんの事を注目してたそうです。
踊りは、休憩をはさみ何度も行なわれました。
傍観者として見ていたら、多分単調な踊りにしか感じなかったと思います。
でも、私たちはカチーナたちと一緒になって踊り、気分は一体となっていましたので、ずっと一日中でも見ていられました。
その時です。ポツポツと本当に雨が降って来たのです。あんなに暑いくらい晴れていたのに、ビックリです。
本気の雨乞いの儀式、祈りの力を体感しました。
そして、恵みの雨に感謝しました。雨がこんなに嬉しいとはホピの地に来るまで思った事はありませんでした。
そしてお昼になり、みんなは食べ物を探しに階段を降りて行きました。
私とトムさんは屋根に残っていたのですが、雨が本降りになって来て、雷も鳴り寒くなってきたのでした。
こんなに寒いと太陽の存在が有難いなあと思っていると、じきに晴れ間となり、濡れた服もすぐ乾く程にジリジリの暑さになります。
うわ、暑過ぎるよ~と思っていたら、また雨が降ってきました。おまけにその日は雹まで降ったのでした。
カチーナの祈りの儀式は、こんなにもすごい効果があるんだと、真剣な想いは天にまで通じるんだと、私たちはそれを見せられた気がしました。
サリーさんは、道ゆくホピの人々に「Japanese 雨降らした。ありがとう。」と有名人になっていたそうです(笑)
そして、午後の部が始まる直前には、私たちはものすごい砂嵐の洗礼を受けました。
そこで、私はハッとしました。
私は、いつもコンタクトレンズでしたが、今回の旅が決まった時に何故か、アメリカにはメガネで行こうと思い、度の強いメガネを新調したのでした。
メガネ姿で出歩く事がなかったのに、外見も気にせずメガネにしたのは、こんなワケがあったんだと妙に納得しました。
この砂嵐では、コンタクトだと大変な事になってました。自分で決めた事に自分で驚いていたのでした。
さぁまた、サリーさんのノリノリの時間の始まりです。
「カチーナダンス」は夕方6時までありましたが、私たちはその回が終わった時に帰る事にしました。
ところが私たちの車の前に1台の車が駐車していて出る事が出来ません。
やっぱり最後までいなさいって事なのかなぁ~と思いつつ、また儀式を見に行ったり露店を見たり、断崖に座って下界を見下ろしながら食事をしたりして過ごしました。
やがて、隣りの車が出た事で脱出に成功したのでした。
Rさんの息子さんの家に戻り、そこで私たちはRさんを囲み別れを惜しみました。
Rさんが、ホピ語でみんなに何かを言ってました。
私たちの誰ひとりとして、言葉は分かりませんでしたが、言葉が分からなくても心は通じていました。
全員が泣いていました。Rさんと抱き合って泣きました。
素晴らしい旅でした。Rさんにお会いして本当に幸せでした。
もっとホピの地にいたい気持ちを抑えて、私たちはRさんたちに別れを告げ、次なる場所へと旅立つのでした。