続きです。
天皇家には表と裏、ふたつの系統が存在します。
秦氏系と物部系です。
秦氏系の神武天皇が九州から来る前に、既に畿内で王国を築いていた物部系の天皇がいました。
その名は、ニギハヤヒ命。
先住民である長髄彦(ながすねひこ)をやぶった神武天皇に対して、ニギハヤヒ命は自らが天津神である事を証明する為に「天羽々矢一本」と「歩靫(かちゆき)」を提出しました。
これを見た神武天皇もまた、自らの「天羽々矢一本」と「歩靫」を差し出し正統性を強調したのです。
最終的に、ニギハヤヒ命が帰順(敵対するのをやめて服従)することによって戦いは終了し、大和朝廷が開かれる事になりました。
神話の出雲の大国主命の国譲りはここから来ました。
大国主命の別名は、ニギハヤヒ命なのです。
つまり、前からいたニギハヤヒ命のグループは物部系であり、後から来た神武天皇は秦氏系なのです。
今の表の天皇は秦氏系です。物部系は裏に隠れました。これが八咫烏です。
八咫烏という組織が存在する最大の理由は、皇室が持っている世界最大の宝を世界の目から覆い隠すことにありました。
今年は出雲大社と伊勢神宮が、歴史的に初めて同じ年に式年遷宮を行います。
これは、初めて両者が和解する事を意味します。
これによって、物部系の熱田神宮から「草薙の剣」が同じ物部系の「伊雑宮」に返される事になり、伊勢神宮に三種の神器一式が全て揃うことになるのです。
熱田神宮で今、気になる動きがあります。
熱田神宮は、今年、祭祀1900年を迎えました。
それに伴い、熱田神宮の境内にある摂社、一之御前(いちのみさき)神社が、 歴史上初めて参拝ができるようになりました。
2012年12月1日に、永い時を経て禁足が解かれたのです。
天照大神の荒魂である瀬織津姫を祀る神社のようです。
一之御前神社は、熱田神宮本殿の北西にあり、「心の小径」のずっと奥に位置しており、ここは熱田神宮の中でも、最も神聖な場所にあたるようです。
そのため、写真撮影は禁止となっており、さらに本殿の真裏に古墳のようなものがあり、その側面には鉄扉がついていて、地下殿になっているようです。
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鉄扉の物々しい警備は、ここに何か重要なものが納められていたように思えます。
そして、そこが史上初めて公開されたと云う事は、それはもうここにはないと言う事を意味するのではないでしょうか。
重要な宮ほど、小さなお社と言うのも「伊雑宮」と共通しています。
もしかして、一之御前神社に「草薙の剣・アロンの杖」があったのかも知れません。
もう密かにそれは「伊雑宮」に返っているのでしょうか。
興味は尽きません。
こういう事を裏で全て動かしているのが八咫烏であり、日本の真の支配者とも云えるのです。
やがて八咫烏も表に出てくる時がくるようです。
それは、「三種の神器」を世界が必要とする時。それが八咫烏の最後のお役目になるようです。
詳しくはこちらの動画をご覧ください。
「三種の神器」が全部集まることは、何を意味するのでしょうか。
続きはまた明日。