2019年12月~きづがわ福祉会理事長の松本先生と会いました^^
書ける時に記事更新しときますね^^
去年12月に松本先生とやっと会えたんですね~はい。
松本先生から連絡をいただいたのは10月ぐらい?でしたか・・
先生ご自身も多くの障害児・者とかかわっておられる日々を
過ごしておられている方でarianの心の中にずっとある、
「知的障害者の親として」の悩み?思いを聞いて頂くことが
できたんですね。arianの思いは以下の通りです。
「知的障害児・者の不思議」←性の問題ですよね。やはり。
「障害・児・者の心やからだ・気持ちや思い」←気持ちと性の関わりですね。
「知的障害児・者の(家族への)←ここ重要!! レスパイトの在り方」
そして大阪へ来て強く感じた思いなんですが・・
「障害を支援する側・公的機関の在り方の間違い」
↑
arianが直面した信頼関係を崩壊させた話しです。
「家族が相談できる人・場所・専門機関への横のつながりが無い」
以上が京都から大阪へ転居したあと、arianを疲れさせ、
多大なストレス要因となった内容の一部と言えますね。
そんな話しを松本先生に聞いたり、また、先生の
これまでの経験談も聞かせて頂いてとても参考になりました!!
目からウロコな話しが双方多々ありで楽しかったです。はい。
25年知的障害の娘を育ててきたarianですが・・
それでもまだまだ経験不足や!!と思いましたね。
先生はarian工房のブログを見て、
「障害者の事をなぜここまで深く書けるのか?」と
思ったのだそうです。
そして先生とお話しする中で、
娘婿を・・
①「支援センターから出して」、
娘と・・
②「結婚させた事」、
そして2人だけで・・
③「実家の近くで生活させている事」、
子どもを出産して・・
④「家族3人で暮らしている事」
この4点はなかなか無い事だそうです。
私も支援センターに入れる事はあっても、
「出す」事は無いことは支援センター員から
聞いて知ってはいました。
確かに、支援センターから婿を出すのは
至難の業でありましたね。約1年半かかりましたから。
とても義理の母親であるarianは疲れましたから。
婿に家族はおりません。
お母さんは彼が中学の時に亡くなっています。
そんな事情もありで本当にセンターから「出して」、
「結婚」させて、「出産もして」、「親子3人暮らし」を
させるまでが大変でした。はい。
なので先生から「初めてのケース」と仰られるのも
わかりましたし、「だからこそ」、「大変だった」のだと
arianわかったんですね。初めて「理解」できました。
「そりゃ、しんどいわな~。」が素直な感想でした。笑笑
↑
arianの心の中の声でしたね。
「あ、なるほど!」みたいな。笑
「例のないことを独りでやってるんだから
ストレスにもなるだろうし、入院もするな。
うんうん、まぁ、できたし、やってるから
この先も色々あるんだろうなぁ。たぶん。
でも・・色々あっても、やっぱり親だから・・
私の娘がしたいと望んだことは・・
私のできる範囲は・・生きてるあいだは・・
してあげたい。」
とゆう結論に達しました。
私の中で答えは出てるので・・
これからも大変だろうが何だろうが・・
やっていきま~す!!笑
なので、障害者の勉強を今年から本格的に
学んでいこうと思いました。
学校にも通って、素人の障害者の親でなく、
専門知識をもって、プロ?の親としても話しができるように。
arian感じた事ですが、公的機関の方々と
話しをするとですね、「親御さん」でしかないんですよね。
専門の者に引き継ぎます。とか、親御さんだから・・みたいな
あしらわれ方をされます。
「じゃあ、学位とか、プロ知識があったらええんやな!」と、
思ったわけですね。単に障害者の親だからバカにされてるのかなと
感じさせる場面が非常に多いです。多かったです。役所ね。
あ-言っちゃった。笑
ちょっと余談になりますが、arian本当は全部、支援センターの
機関名を表記したいところなんですね。
まー、でも、プライバシーの侵害やら何かとあるこのご時世なので
控えておこうと思ってるわけですね。
別にすべて実話で経験した内容でフィクションでドキュメントですから。
arianは困らないのですが。
今は控えておきます。
話しが逸れて何をゆーてたかわからなくなったところで
また記事更新しまーす^^
あ、えっとですね、2018年の後半、全国の障害者のいる
ご家族の皆さんから相談メッセージを頂きました。
ありがとうございました。
個別にお返事が難しいので、arianのわかる範囲のアドバイスと、
専門の方に尋ねて得たアドバイスを併せた記事を書かせて
いたきますので、よろしくお願いします。
arian