夜の白むとき―UC 外的活動のかげに (1/8) | 幾星霜遥かのブログ

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決断のきっかけ 一通の文書◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

実は、このブログを始めて過去のことについて会話を持ったとき、妻がふと漏らした言葉に、彼女がUCから距離をおく決断をする一番のきっかけについて、やはりそうだったのかと確認させられることになりました。

 

私は、“統一原理”を聴き始めたときから20年近く、UC組織の中で与えられた活動に従事しつつも、常に心の内は煩悶が終わることがなく、UCが変化して行くにつれて葛藤は拡大し、自然にひとつの結論に収束していきました。しかし、妻は、生来素直な性格で、物事の裏表を詮索するタイプではなかったため、UCの行き方に、当初自分が信じた方向性とのズレを感じ始めていたものの、私ほどには決定的な段階には至っていませんでした。むしろ、扱いの難しい私との付き合いに日々エネルギーを使っていたと思います。ですから、ホームチャーチということで、経済自立に傾いていく私を、信じて受け入れようと努めたのでしょう。その表れが、馬券への1000円の投資でした。もちろん当たるとは思っていなかったでしょうが。

そんな妻でしたから、私が、組織内でなんとか役割を見つけ、後方支援を託せば、それはそれなりに頑張ったと思います。しかしまた、不正直な“万物復帰”に対しては、私以上に抵抗感をもっていましたから、経済的な面ではホームチャーチが受け入れやすいということはあったと思います。

 

そのような私たち夫婦が岐路に立ったとき、一通の私文書に出会うことになりました。

 

 

そこに書いてあったのは◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

それは、世界日報事件のほとぼりがまだ冷めやらぬ頃でしたか、ひとりの兄弟食口が私に会いたいといってきました。もう私より先にUCに見極めをつけ、自分で事業を始めていました。それで事業拡大のために一緒にやらないかと誘いをかけてきたのです。その話し自体は私には合わないと思い断りましたが、一通りビジネスについてのやりとりが終わったところで、彼は、「この話、知っていますか」と、紙袋の中から数枚の手書きの紙を取り出し、読んでみるよう勧めてくれました。

そこにはいわゆる「血わけ」についての記載がされていたのです。

 

彼がどのようにして、その事に関心を持つようになったかは、聞いたとは思いますが、忘れてしまいました。

彼は、「コピーだからいいですよ」と紙を渡してくれましたので、持ち帰りましたが、残念ながら、現在それは持っていません。その後の歩みの中で二度と触れたくない思いがあったため破棄してしまったのです。今となっては貴重な資料だったようにも思いますが、昨今のブログ記事を見るとそれよりもはるかに詳しく、具体的な情報があふれていますので、用はなくなったともいえるでしょうね。

 

家に帰った私は早速、兄弟食口の手書きの文書を妻に見せました。

言葉がありませんでしたね。

私は祝福のとき以来、ずーと思考を続けていた仮説が想定どおり現実のものであったと確認できただけですが、妻はまるで別世界に放り出された思いだったでしょう。しかし、私が考えていたことを段階を追って説明していくと、いちいち腑に落ちるようで、文書に書かれた内容に違和感なく、自然な思いの中で事実として受け止められていく様子がうかがえました。

 

私たちが自立の道を歩み始めるとき、経済のこととか、子育てのこととか、色々話し合って結論を出してはいましたが、妻にとっては、このことを知ったことで、UCから心が完全に離れていったということですね。

ブログを進める中で、過去のUCでのできごとが話題になり、その中であらためて確認できたことでした。

 

 

かすむ日本UCの会長という立場◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

それで、兄弟食口の文書の中味です。

そこには、“実体での血統転換”があったのかどうかについて、彼が一生懸命調べたことがまとめられていました。

 

彼は韓国に何度も足を運び、先輩家庭を尋ねながら事実を確かめていったようです。その結果、確信を得て日本に帰り、12双を始めとして何人かの幹部に聞いてまわったのですが、そこでは十分な返事は得られなかったということです。そこで、最後に訊ねたのが三役事といわれる老婦人です。以前ブログで話題にしたO山のお父さんの妹Mママは有名ですが、それ以外にHママ、Kママがいらっしゃいました。そのお一人から「それを知ったらそこからどう受け止めるかが新たな信仰の始まりですよ(言葉は多少違うかもしれませんが)」とはっきり肯定されたそうです。さらにそこには、久保木会長夫妻が(“実体での血統転換”を)受け入れなかったことも記されていました。

 

この“実体での血統転換”の問題、私自身は自分のうちではすでに777の祝福のときからテーマにして考えてきました(その過程についてはまたお話します)。しかし、具体的な証言を得ていた訳ではありません。それがこの兄弟食口から受け取った一文で自分の考えの筋道が裏付けられてしまったのです。それだけにそんなに違和感はありませんでした。そして、久保木会長夫妻の件については、世界日報事件に関連して、なるほどと思ったことがあります。

 

因みに、久保木会長夫妻が受け入れられなかったことについて、その後、夫人が信仰的に幼かったからだと、まことしやかな噂を耳にしましたが、夫人は「大和なでしこ」の鑑のような人で、信仰がどうのこうのというより、夫である久保木会長以外の男性とそのような関係を持つことなど夢にも考えられなかったでしょう。また、久保木会長自身も夫人がそのようなことを受け入れられる人ではないことは良くご存知のことだったと思います。

これが、失敗とされた“空気銃の摂理”以上に、“エバ国日本”の本質的な失敗とされたのでしょう。その見方については、また時機を得て考えたいと思いますが、内容が内容だけに、UCにおいて今後も公式的に認められることはないでしょう。

 

  ――なお、どのサイトだったか、久保木会長のお亡くなりになる直前のことが書いてありました。それによると、1か月前頃から、法華経の読経をされていたそうですね。それは若き頃、引き上げた日本で最初に出会った人生の道標だったのでしょう。その後、身と心を捧げた“統一原理”と“文開祖”は人生の幕を降ろす時機(とき)にはもはや別世界に消え去っていたのでしょうか。起き上がることができなくなり、経本も開くことができなくなると法華経を諳んじていらっしゃったということですから、人生の最後に久保木会長の心の世界で共にいたのは、先駆けてUCに飛び込んだ、立正佼成会青年部長だった小宮山さん、その立正佼成会から自分と共にUCに参加した若者たちだったのかも知れません。そして西川先生を始めとする“文開祖”来日前のUC草創期の食口たち、自分が守ってやれず命の危険に晒させてしまったS島さん、人生のすべてを通して、一言も抗うことをせず実体の血統転換を除いては)自分について来てくれた夫人、そういう人々だったのでしょう。そしてまた久保木会長の一年後にお亡くなりになる年老いた庭野日敬氏に、「先生、申し訳ありませんでした」そして「ありがとうございました」と手を合わされていたのではないかと思います――

 

それでは世界日報事件と、どうして関係があると見たかについてお話します。

あの時、S島さんは、久保木会長が自分たちの思いを分かってくれていると考えていたようです。ですから、自分たちが非常手段をとった時、UC組織(特に文開祖)へのとりなしを久保木会長がやってくれるのではないかと期待していました。ところが、久保木会長にはもうその力はありませんでした。直接ではなく、F田さんを通して、文開祖の強い怒りが久保木会長に伝えられてきたのです。しかし、久保木会長は何ら動いてはいません。K栗さんが、その文開祖の怒りに対して、自分が責任を持った立場でバリケードを突破し、世界日報を“正常化”したということです。では、久保木会長が何も責任を感じなかったかというと、それも違うでしょうね。むしろ、もはや自分は日本UCの御輿に過ぎず、文開祖の信任を受ける立場にないこと、日本の幹部たちもそう思っており、文開祖の方針の下では幹部たちも自分の会長としての役割を認めるけれど、文開祖の方針からはずれるものであれば、自分が何をいったとしても聞く耳をもたないことがよく分かっていました。いわば外部向けの看板ではあっても、ラインの長ではなくなっていたんです。つまり、世界日報事件の時の久保木会長の影響のなさは、UCの霊的組織面においてはアベルたる位置ではなくなっていたことを如実に示していました。それが何故なのかということですね。