政治家としての命脈が尽きた菅首相 | 永田町異聞

政治家としての命脈が尽きた菅首相

人間の社会では、好き嫌いの感情、利害得失の計算、軽重是非の判断などが複雑に絡み合って、さまざまな出来事が起こる。


自民党や公明党は、あわよくば、解散、総選挙、政権奪回という利害得失の勘定で、内閣不信任決議案を出した。これに、民主党の相当数の議員が同調する動きを見せ、不信任案可決の可能性が高まった。


国民にとっての軽重是非はともかく、民主党にとっては「党分裂」の危機であった。


好き嫌いの感情から言えば、菅首相と接した人々から聞こえてくる評判は芳しいものではない。おそらく、彼は、人間の情や、心の動きへのデリカシーが欠如しているところがあるのだろう。同じ叱るのでも、叱り上手なら、人はついてゆくものだ。


戦後最大の国難にあたって、人心をまとめることが出来ないのは、リーダーとして致命的である。


にもかかわらず、その自覚がつゆほどもなく、国のトップとして永らえようとする姿に、創業者の鳩山由紀夫と、政権交代の立役者である小沢一郎は一計を案じた。


タイミングの良否をはかることもできない自公の稚拙な戦略に与することなく、菅を首相の座から引きずり下ろすには、退陣の条件、すなわちなにがしかの「花道」を用意するほかない。


振り返れば、軽重是非の判断を誤り、利害得失にとらわれた東京地検特捜部と、米国の圧力によって鳩山政権が窮地に陥り、小沢、鳩山が新しい国づくりの命運を託したのが菅直人であった。


ところが、菅はあろうことか、鳩山の敷いた路線をことごとく否定し、「脱小沢」に走り、消費増税を打ち出して政権交代の理念をねじ曲げ、自民党と見紛うところにまで、民主党を迷走させた。


そこには情理も信義もいっさい感じられない。鳩山、小沢の、菅に対する不信が募っていったのは自然のことだ。


放射能から何としても国民を守るという気概もない菅首相を引きずりおろすのは、自民、公明ではなく、民主党でなければならない。自公の尻馬に乗ってはならない。


テレビのニュースワイドショーで、いかに「政局などに血道をあげているときか」とタテマエ論の批判を浴びようと、菅首相でこの難局を乗り切れるかと考えたとき、小沢も、鳩山も動かざるを得なかっただろう。


菅首相が自ら退陣を表明すれば、野党提出の内閣不信任案に賛成する必要はなくなる。鳩山は何度か菅に働きかけたが、菅に応じる気配はなかった。


菅がようやく事態の深刻さをのみこんだのが、6月1日夜の票読み段階だ。いわゆる小沢グループを中心とした議員の造反があれば不信任案は可決される状況にあることがわかり、急きょ、官邸と党執行部は2日午前中の鳩山氏らとの会談をセットした。


鳩山氏はこの会談で「復興基本法案の成立と、第2次補正予算の早期編成にメドをつけた時点」という、退陣の花道を用意し、菅も同意したように見えた。交わした文書に退陣という文字はなかったが、あとは政治家どうしの信義の問題だった。


政権をバトンタッチしたあと菅に裏切られた鳩山も、甘いと思われようがここは菅を信用するほかなかった。


そして、その後の民主党代議士会で、菅首相は「震災への取り組みに一定のメドがついた段階で、若い世代に責任を引き継いでいただきたい」と述べた。


鳩山は、確認文書に記された「復興基本法案の成立と、第2次補正予算にメド」という文言を、菅首相が「震災への取り組みにメド」とすり替え、退陣時期を曖昧模糊としてしまったことに特段の注意を払わないまま、真っ先に手をあげて発言した。


「第2次補正予算の編成にメドをつけて身をお捨て願いたいということで首相と合意した。そのことに対して首相が重大な決意を述べたと理解する」


この発言に、菅首相も岡田幹事長ら党執行部も異を唱えず、近い将来の退陣は既定路線となったかに思われた。


小沢は「震災への取り組み」と菅首相が言葉をすり替えたことに不安をおぼえただろうが、鳩山の解釈発言に異が唱えられなかったことから、自主投票とすることでグループとしての矛を収めた。


つまり、鳩山、小沢は菅直人という人物への深刻な不信感を封印して、今一度、菅の良心に賭けたのである。


ところが、不安は現実のものとなった。菅首相はその夜に記者会見し、「震災への取り組みに一定のメドがついた段階」という辞任時期について、次のような言葉で腹の内を匂わせた。


「放射性物質の放出がほぼなくなり、冷温停止状態になることが一定のメドだと思っている」


冷温停止状態に持っていけるかどうかさえ危ぶまれている。それがメドということになると、メドという言葉は何も意味しないばかりか、鳩山が言う合意は反故にされたのも同然だ。


不信任案採決前には「早期退陣」と解釈させ、否決で一段落した後は「合意書に書かれた以外の約束はしていない」と、退陣の解釈を打ち消そうとする。これでは「ペテン師だ」と鳩山が息巻くのもむりはない。


さてこの状況、筆者の見るところ、菅直人は政治家として、自殺行為に近いことをしてしまったのだと考えざるを得ない。人間としての信用も地に堕ちた。


もはや、誰も退陣の「花道」をつくってくれはしない。与野党総攻撃のなか、ボロボロになって辞めなくてはならないかもしれない。


追い詰められ、焦りと迷いのなかにあるとき、人間はバランスのとれた軽重是非の判断ができないものである。目先の利害得失にとらわれた菅首相、岡田幹事長は、ほとんど今、何も見えていないのだろう。


こういう時は、一刻も早く、マウンドを降りて、リリーフピッチャーに火を消してもらうほかない。


  新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)