「威信」「名誉」から脱却できない前特捜部長 | 永田町異聞

「威信」「名誉」から脱却できない前特捜部長

昨日、青白い顔に乱れた髪の大坪弘道氏は大阪高裁、地裁などが入居する合同庁舎2階の司法記者クラブで、カメラの放列にさらされていた。


この裁判所のすぐとなり、大阪地検庁舎6階の特捜部長室のあるじだった昨年9月まで、大坪氏は自身が司法記者クラブで記者会見することになろうとは、夢にも思わなかったに違いない。


特捜部長時代の会見は、執務室に隣接する会議室でおこなわれたが、当時なら、同じ司法記者クラブのメンバーが相手とはいえ、捜査情報を持っている者として圧倒的に強い立場にあった。特捜部長といえば、30分ほどの会見時間、世間話をしてお茶を濁すのが通り相場だ。


今は、あくまで保釈直後の刑事被告人として司法記者室に呼ばれ、顔なじみの記者たちの前に座っているのである。酒を酌み交わした記者も多いだろう。自分を見る彼らの表情は、大坪氏の網膜にどのような像を結んだだろうか。


朝日新聞によると、大坪氏はこう語ったという。


「特捜部長として検察の威信のためだけに努力してきた。検察と闘うのは残念だが、自分の名誉のために闘う」


「検察の威信のためだけ」。思わず出た本音というべきだろう。


もしかりに、大勢の一般市民を前にしても同じことを言うだろうか。「巨悪に立ち向かい、犯罪をなくして明るい社会を築くために仕事をしてきた」と、大阪地検のホームページにあるような言葉を並べ立てるかもしれない。


今もこの人は特捜部長の立場にとらわれ、かつてある意味では同志でもあった記者との関係のなかでしゃべっている。


つまり、大坪氏にとって、「組織の威信」がなにより大切で、そのためにがんばって仕事をしてきたにもかかわらず、その自分が組織によって葬られようとしているのは理不尽だ、と言いたかったに違いない。


そしてこの「検察の威信のため」という大坪氏の本音は、他の多くのエリート検事も共有する思いであろう。出世欲が強ければ強いほど、公益より組織重視になっていく。


その意味では、彼らを捕まえて幕引きをはかった上級官庁、最高検には「威信」しか頭にない面々がそろっているはずだ。


もとより村木さんのケースのような冤罪事件が起きるのは、「検察の威信」と「真実の追求」が相反するからである。


適正な捜査による真実の追求があってこそ威信が保たれるのであって、組織の威信を守ることが自己目的化するようでは、真実に迫れるはずがない。


大坪氏はこれから、人間というものをより深く知ることができるだろう。組織から離れてただの人になるのは、大坪氏の人生にとってマイナスとは決していえない。


多くの人が遠ざかっていくなかで、ほんとうに信頼できる友を見つけることができるに違いない。


記者諸氏も、大坪氏に起きた人生の波乱から学ぶことは多いはずだ。


大学を出たばかりの若造でも、新聞やテレビの名刺ひとつで、役所や会社のトップが会ってくれる特殊な畑を歩いてきたことは、幸せである半面、心がけが悪ければ落とし穴も待っている。


検察官とおなじく、自分を過信し、勘違いしやすい職業であることを肝に銘じておかねばならないだろう。


大坪氏は幸いにして、検察庁の呪縛から解き放たれ、自由自在に世界を見るチャンスがめぐってきた。もう「威信」などのために努力する必要はなくなった。


これからはぜひ人生の目標をチェンジし、検察が国民のための組織に生まれ変わるよう、ひとはだ脱いでもらいたい。


 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)