隔靴掻痒と鳩山が嘆いた菅・岡田の頑な対応 | 永田町異聞

隔靴掻痒と鳩山が嘆いた菅・岡田の頑な対応

「どうも議論が隔靴掻痒で・・・」


昨日、小沢一郎氏も同席して、菅首相、岡田幹事長らと会ったあと、鳩山前首相はそういって記者団にこぼした。


連合の古賀会長ら幹部十数人と輿石参院議員会長、それに鳩山氏がこぞって挙党態勢を求めても、「挙党態勢はできている」と岡田幹事長が押し返すのみで、いっこうに埒があかない。


このままでは惨敗が懸念される来年の統一地方選。連合にしてみれば、小沢一郎のような選挙の達人がしかるべきポストにいないことほど心細いことはない。


なにしろ、選挙の総責任者である岡田幹事長ときたら、10月の衆院北海道5区補選で何度か現地入りしても、選挙部隊の中枢である連合北海道本部にさえ立ち寄らない“朴念仁”である。


選挙応援に行くと必ず連合に顔を出していた小沢氏との違いが際立ちすぎるせいか、岡田幹事長の評判が芳しくない。


このまま、民主党執行部が、小沢氏を国会招致問題で追い詰め、挙句の果てに離党勧告などで党内に決定的な亀裂が入れば、それこそ地方選挙組織の動揺は避けられないだろう。


話し合いを呼びかけたといわれる連合幹部はもちろん、鳩山、輿石氏は口々に危機感を語り、地方選に向けた「挙党態勢」を訴えたようだ。


会談は1時間におよんだ。報道陣に語った鳩山氏の話をもとに、やりとりの一部を再現してみよう。


連合幹部 「政権交代した意義が、期待感から失望に変わり始めている」「統一地方選は票が第3極に流れる可能性があり、厳しい。早く(国民との)信頼関係をとりもどしてもらいたい」


菅首相 「今の状況、厳しさを深めているけれども、これは自分の政策がまだ、国民に十分浸透していないからではないか。できる限り、皆さん方にも浸透するようにお願いしたい」


鳩山 「政権交代の立役者だった小沢さんに対して、民主党が政倫審に出なさいと言い、ご本人は出ませんという平行線ではどうにもならない。党としては乗り越えて、その先を描かないといけないんじゃないか」


鳩山氏のあとで、小沢氏が口を開いた。


小沢 「政権交代ができたのは、みんなが一つの気持ちで臨んだ結果だ。そういう思いで、通常国会、統一地方選ともにがんばらなければいけない。私自身のの問題に関しては、気持ちを整理して対処したい」「日本はもう、がけっぷちにある。社会保障どうする、外交どうする、地域主権をどうするかという一つ
一つのことについて、この国をしっかり立て直していくために、自分としてがんばっていきたい」


岡田幹事長の本音がちらりとのぞいたのは以下の発言だった。


岡田 「皆さんの発言は重く受け止めたい。見せかけではない本当の一致結束が求められていると思う。そのために、自分はがんばっているつもりだ」


自分はがんばっているが、一致結束を乱しているのは小沢氏側ではないか、と言いたかったようだ。


連合幹部らと鳩山、輿石氏らが強く求めた「挙党態勢」とは、小沢氏の国会招致をもっと柔軟な姿勢に転換し、政策的には、政権交代時の理念に立ち戻るようにという意味がこめられているはずだ。


それに対し、菅、岡田両氏は、政策も党運営も問題ないと強弁したということだろう。


しかし、現実はどうか。まずは政策。民主党政権がゼロから手がけたはずだった初の予算案は、優先順位を決めて根底から組み替えるという当初の理念とはほど遠いものとなった。


自民党政権時代と変わらず既得権者に手厚い政策を継続させたままでは、当然のことながら借金はふくらむ一方だ。


深刻化する財政を消費増税でカバーするために、根っからの増税論者である与謝野馨氏に秋波を送り、その所属する「たちあがれ日本」に連立参加を打診するという、なりふりかまわぬ政権延命策からは、小沢氏らとともに政権交代を成し遂げた者とは思えない「胡散臭さ」が漂ってくる。


党運営も、岡田幹事長、枝野幹事長代理という、頭でっかちにして、いささか人望と機略に欠けるコンビではこころもとない。


そのうえ、次世代のエースとされる玄葉政調会長は、小沢氏が旧来の自民党政治を語るときに持ち出す「足して二で割る」式の調整型政治家で、官僚には受けがいいが、改革志向の政治家からみれば噴飯ものだろう。


なにより、党内のゴタゴタが、現執行部の求心力のなさを物語っている。


岡田幹事長は今月22日、日本記者クラブで講演したさい、評論家の三宅久之氏からこんな質問を受けた。


「小沢の何を恐れているのか。なぜこんなにヘッピリ腰か。内閣支持率はもうすぐ10%だ。切り抜けるには反小沢しかない。離党させるしかない。自民は不信任決議を出す。野党案に小沢系の議員がかなり賛成するとなると、不測の事態が起きる。小沢には前科がある。1993年に自民党在籍のままで首相不信任に同調した」


93年当時、小沢とともに自民党を離党した岡田はこう答えた。


岡田 「私も自民党に在籍しながら宮沢首相の不信任に投票した。その後、宮沢さんに申し訳ないと思った。不信任に賛成する前に離党すべきだったと思っている。順序が逆だった。」

三宅 「質問への答えがない。小沢系が不信任案に同調することを考えたことはないか」


岡田 「我々の仲間がそういう形で、菅内閣の不信任案に賛成するということを語るつもりはない。そういったことになれば、総理の判断決断が求められる」


菅内閣に不信任というならまず離党しろ、その場合は解散で首を切るかもしれないから覚悟しておけ、という脅しにも受け取れる発言だった。


この強硬姿勢の背景は何か。恐れだろう。


表面上、強制起訴が待ち受ける小沢氏が窮地にあるように見えるが、実のところ、より心理的に追い込まれているのは菅首相、岡田幹事長らではないか。


想像するに、その心理の底には、錯覚がある。


尖閣衝突事件をめぐる失政や、閣僚の相次ぐ失言などで、メディアの批判が鋭さを増すにつれて、野党が党利党略でしつこく「政治とカネ」の矛先を向ける小沢一郎氏の存在が、邪魔でしょうがなく見えてくる。


そして、小沢氏を支持する議員から、党執行部や菅官邸に向けられるまなざしが、とてつもなく強い敵意に満ちているように感じられる。


こうしたある種の被害者意識、あるいは強迫観念から、小沢国会招致という道へ“逃避”しようとしているだけなのだが、党首脳らは、それがもっとも国民の喝采を得る近道だと思い込んでいる。


「迷いの中の是非は是非ともに非なり」ということであり、この種の神経症状から解放されるには、あたかも化け物のように迫ってくるものの正体をじっと見極めるしかない。


その正体が、自分たちの「権力欲」そのものであることが分かったら、さっさと、囚われ人の服を脱ぎ捨てて白木綿の装束に着替え、心を解き放つ遍路の旅にでも出ればいい。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)