菅首相自縄自縛のTPP | 永田町異聞

菅首相自縄自縛のTPP

菅首相いわく「平成の開国」だそうである。TPPは黒船だという。


米、豪、チリ、マレーシアなど太平洋を取りまく9カ国が参加し、貿易、投資、人の移動などで、例外なき自由化を進めようと交渉するTPP。経済界は大歓迎、農業団体は大反対で、俄然かまびすしくなってきた。


それにしても菅首相、言うことやることがちぐはぐである。


TPPで国を開くというのなら、菅首相はなぜ元自民党農水族の鹿野道彦を農相にし、政調会を復活させて、高いコメ関税撤廃に反対する農水族を党内にはびこらせる道を選んだのだろうか。


反対勢力をあらかじめ内部に養いながら、いまになって声高にTPPの必要性を唱えるのでは、コトはうまく運びそうにない。


案の定、農業団体や党内のコメ議員が反対のノロシを上げ、9日の閣議決定は「TPPは情報収集を進めながら対応し、関係国との協議を開始」と、曖昧な表現にとどまった。


当然、横浜APECの首脳会議で議長をつとめる菅首相がTPP参加を高らかに宣言という、政権浮揚シナリオははかなく消え、決断はまたしても先送りにされた。


TPPは、民主党本来の政策である日米FTAと実質的に同じものだといえる。現在参加を表明している9カ国と日本を合わせた10カ国のGDPのうち、90%以上を日米で占めているからだ。


参加国間で、すべての商品の関税を10年以内、または即時に撤廃するというというのがTPPの原則であり、対欧米のFTAで韓国に先行され、苦戦を強いられている日本の産業界としては、その締結によって失地回復をはかりたいところだろう。


問題は、海外からの輸入米への高い関税に依存して価格を維持してきたコメ農家への影響だ。


民主党は、米国とのFTA締結で農産物が値下がりする場合への対策として、「戸別所得補償制度」を看板政策として掲げてきた。


「値下がりメリットを受ける消費者が税負担して農家の所得減少分をカバーする」というのがその発想で、EUなどでも似たような制度が導入されている。


米国とFTAを締結し、そのかわり、自民党政権時代に農業土木や農協にばらまかれていた税金を戸別所得補償制度にまわして農家を保護するというこの政策に、最もこだわっていたのは小沢一郎だった。


ところが、その政策を修正した人物がいた。菅直人である。


昨年8月の衆院選を前に、民主党マニフェストを「米国とFTAの交渉を“締結”」から「米国とFTAの交渉を“促進”」に変更したのである。


農業関係者からの反発に配慮した修正だが、原理原則を重んじる小沢はこれに激怒したと伝えられている。


その後、民主党政権が誕生し幹事長に就任した小沢は、自民党時代のような族議員の跋扈を防ぐため政調会を廃止したが、これもまた菅政権が発足すると同時に復活した。


そして、政調会長に就任したのは、JAグループの政治団体である農政連の推薦で当選した玄葉光一郎だ。農政連はいうまでもなく自民党支持団体だが、例外的に玄葉を支援したのである。


そしてこの政調のもとには案の定、自民党の「農水部会」と同質の「農林水産部門会議」が設けられ、農水省官僚と呼吸を合わせた議員たちが、さまざまな予算要求をぶつけるようになっていった。


農水省、農水族議員、農協。この利権トライアングルの中心はこれまで自民党を支援してきた農協だ。


組合員の大半を占める零細兼業農家のコメ販売を一手に引き受けて、巨額の販売手数料を稼ぎだす。同時に、農家が得る収入を預金としてJAバンクにあずかり、国内最大の機関投資家、農林中金がその巨額資金を運用する。


農協の発展は、高米価政策と小規模農業によって支えられてきた。零細農家の組織化で、政治に数の力を発揮できる。高米価のおかげで、兼業生活を豊かに送れる組合員は、肥料や農薬や農業器具を高い値段で農協から買ってくれる。


その農協に資金と票を依存する自民党族議員の圧力で、自由貿易交渉は進まず、政府は海外からの安いコメを高関税で締め出してきた。


その代償として、誰も食べたがらず巨額の保管料で倉庫に積まれるミニマムアクセス米の輸入を義務づけられ、汚染米の不正転用事件まで起きた。


少なくとも小沢代表時代の民主党は、農協を通して補助金をばらまく自民党政権下の制度を廃止し、農家に直接、カネを配る「戸別所得補償制度」への転換によって、農協の影響力を弱め、貿易自由化交渉の障壁を切り崩す方針だった。


ところが、赤松元農相が農水官僚と妥協して戸別所得補償制度の中身が怪しくなり、元自民党農水族で農相経験がある鹿野道彦が菅内閣の農相に就くにおよんで、いちだんと農業改革が後退しつつある感が否めなくなった。


6月の政調会復活、9月の内閣改造の時点で、菅首相の頭に自由貿易や、そのために必要な農業改革などについてのビジョンがあったとしたら、鹿野農相、玄葉政調会長という人事はありえなかったのではないか。


農協は票の力を背景に民主党議員にすりより「民主党農林族」の養成に乗り出している。菅民主党の自民党化傾向に拍車がかかることが懸念される。


農業従事者の高齢化が進み、耕作放棄地や休耕田、宅地転用地が増え続けて、1970年に340万ヘクタールあった水田面積は250万ヘクタールになっている。


このまま放っておけば、日本の食料自給率はさらに低下するだろう。地球資源の枯渇が進むなか、新興国のライフスタイルの変化による食料需要が増すにつれ、食料危機が現実のものとしてこの国に迫りつつある。


競争力のある農業経営への転換など、農業改革はTPP、FTAの推進にとっても急務であり、そのためには一部の利権を排除し、全国民的視野で、日本人が将来にわたって生き延びるための食料安保を構築していく必要がある。


 新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)