平沼・与謝野新党にナベツネはからんだのか | 永田町異聞

平沼・与謝野新党にナベツネはからんだのか

もし読売の渡邊恒雄がからんでいるのなら、与謝野馨が新党結成について青木幹雄と事前に相談した理由も合点がいく。


渡邊は、与謝野に日本原子力発電のサラリーマンをやめて中曽根康弘の秘書になるよう勧めた因縁がある。


そして、渡邊、青木、それに森喜朗とくれば、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と総裁の首を次々すげ替えた「夜の宴席党本部」であり、2007年に小沢民主党との大連立を仕掛けた面々である。


青木幹雄は76人の自民党参院議員への影響力を背景に、いまだ隠然たる力を自民党内で持っている。


青木の早大雄弁会以来の弟分、森喜朗はあまりオモテに出ず、おとなしくしているが、47人の最大派閥「清和会」を牛耳っていることに変わりはない。


いまもときおり、三人を中心にした「夜の宴席党本部」は開かれているはずだ。


渡邊が大連立論者なのは、悲願である憲法改正を実現するために「大連立」による挙国勢力をつくりたいがためだ。この考えは盟友、中曽根と一致する。


この渡邊の目に、平沼や鳩山邦夫と新党がらみの接触を続けていた与謝野はどう映っていただろう。文芸春秋で勇ましく谷垣執行部を批判し、新党結成をちらつかせたわりには、モタモタしているように見えたのではないか。


鳩山邦夫は兄と同じ、母親からの献金問題をかかえる。平沼は財政出動論者で国家主義的な言動の保守政治家。


与謝野は財政再建論者で、盟友、園田博之ともども、どちらかというとリベラル色を帯びている。誰と、どのような旗印で組めばよいのか迷うところはあっただろう。


そこに、平沼、与謝野の結合を促す触媒として現れたのが石原慎太郎だった。


小沢一郎とも密会する渡邊のことだ。石原と会い、平沼と与謝野を軸とした第三極づくりで意気投合し、石原が動いたということは十分考えられる。


与謝野や園田が凝り固まった思想の持ち主ではなく、経済政策を主とする実務派政治家であることを渡邊はよく知っている。思想上の対立はさほどないとみたのではないだろうか。


むしろ、郵政問題で平沼の考えに近い鳩山邦夫のほうが、自分の考えに酔う傾向がある分、やりにくい。


先に新党結成を宣言した軽率さも、マイナスに見えたに違いない。少なくとも新党結成時に、鳩山は参加させてもらえないようだ。


世論調査で民主党の支持率が急落しているとはいえ、このままではあまりにも自民党の影が薄い。渡邊は、保守勢力の危機を強く感じているのだろう。


与謝野の自民離脱について了解するよう、青木や森を説得したのもおそらく渡邊に違いない。


自民別働隊が民主党批判票の受け皿になり、参院選で民主党を敗北に追い込んで、衆参ねじれを起こせば、自民党にも復活のチャンスがあり、連立の組み合わせも変わってくる。そう、渡邊は説いたのかもしれない。


しかし、昨日も同じニュアンスで書いたが、筆者は、この動き、この顔ぶれが、どこか国民がいま求めているものとズレがあるような気がしてならない。


人類が経験したことのない困難な時代がこれからやってくる。急速に変わりゆく時代に対応する新しい政治を国民は求めている。


春とともに古い妖怪が踊り始めただけ、ということにならないよう、平沼らは熟考する必要がある。


平沼は著書「七人の政治家七つの大罪」で渡邊についてこう書いている。


「(マスコミの重鎮である渡邊氏のような)そういう立場にある人が、政治家を手駒のように動かすというのは、本来やってはいけないことだ」


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