脱藩したとたん薩長の志士が消えた鳩山邦夫の苦境 | 永田町異聞

脱藩したとたん薩長の志士が消えた鳩山邦夫の苦境

「待ってました」とばかりに、自民党こぞって、鳩山邦夫叩きをはじめた。


党紀委員会にはかって除名し、母親からの献金問題で国会招致して、鳩山由紀夫首相とともにやり玉に挙げるかまえだ。


直情径行、自己陶酔型の鳩山邦夫が、与謝野馨や舛添要一の言動に誘い出されるように新党結成を決断し、罠にかかったということだろう。


「俺が坂本龍馬のように接着剤になる」と豪語して、脱藩したとたん、薩長の志士たちの姿がどこかへ消えた。代わりに、蠢きはじめたのは「新撰組」か「京都見廻り組」か。


与謝野や舛添に、自民党を離党するなどという蛮勇はハナからない。雑誌の論文や講演で谷垣執行部を批判し、新党結成をちらつかせたのは、相変わらずの党内権力闘争の一環に過ぎない。


背景には、鳩山内閣の支持率が下落の一途をたどり、自民党にもわずかばかり参院選勝利の芽が出てきたことがある。


与謝野も、舛添も周囲におだてられ、それぞれ「自分が総裁になって戦えば自民党は勝てる」という気になっているのだ。だから「党分裂を回避するには現執行部を交代させよ」と脅しをかけている。


そんな彼らの真意を、「国士の心意気」と読み違えたのは 鳩山邦夫の、愚かで向こう見ずだが、奔放で子供っぽい純粋さでもあるだろう。


とくに、与謝野が文藝春秋の論文で次のように書いたことが、鳩山の心に火をつけたことは想像に難くない。


「党の現状を打開することは困難であると考えれば考えるほど私は新党への思いを強くしていったのだ。(中略)鳩山邦夫さんと会い、私自身は本当の捨て石になってもいいから、新たな旗を掲げようではないかと話し合ったのだ」


ただし、新党はもちろん、党内抗争においてさえ、与謝野陣営は早くも腰砕けの様相だ。本音としては与謝野を総裁に据えて参院選を戦うべく、「谷垣おろし」の機運を盛り上げたいところだった。


ところが文藝春秋で現執行部を批判した与謝野論文が党内の強い反発を招いたため、昨日、与謝野を会長とする議連「正しいことを考え実行する会」は、戦線縮小方針を決めた。大島幹事長ら党役員の一新を谷垣氏に求める方針にしたという。


大島の風貌やしゃべり方が一般受けしないとしても、役員の顔ぶれを変えることにどれほどの意味があるであろうか。


一方、舛添は昨日も書いたように、若手中堅を「経済戦略研究会」に結集し、「自民党奥の院」の動きを促そうとしているが、鳩山邦夫が先に「新党結成」の旗を掲げてしまったため、逆に「新党」という言葉を出しづらくなってしまった。


「考え方の違う鳩山氏の秋波に応えているような印象は避けてほしい」(山本一太)という声が、現状をあらわしている。


新聞に「孤立感深める」と書き立てられ、自らも当初の威勢のよさが消えて「いばらの道だ」と弱音を吐き始めた鳩山邦夫。


頼みの綱は、「平成の坂本龍馬たらん」と言い始めた先輩であり、郵政民営化反対論者の平沼赳夫ということになるのだろうか。


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