説明責任とは何かをメディアは説明できるのか | 永田町異聞

説明責任とは何かをメディアは説明できるのか

「説明責任」を果たさないから長崎県知事選に負けたのだのだとメディアはこぞって論評する。


小沢幹事長にしてみれば、これ以上何を説明せよというのか、という心境だろう。


政治資金問題について、何度も説明の記者会見をし、週一回の定例会見でも質問に答えている。すべての会見は記者クラブ加盟社だけでなく、外国のメディア、フリーランス、雑誌記者にも全面開放している。


小沢氏は陸山会に貸した土地購入資金4億円について、湯島の自宅を売却して深沢に自宅を建てたさいの差引残金や家族名義の預金口座から引き出した資金だとし、ゼネコンからの裏金ではないことを繰り返し断言した。


検察は、小沢氏側から知らされた口座情報をもとに、銀行から資料を入手、分析した結果、裏金を立証するカネの流れは見出せず、小沢氏を不起訴にした。


事件は、小沢氏が貸し付けた4億円と小沢氏に返済された4億円が政治資金収支報告書に不記載であることと、土地購入の記載時期に数ヶ月のズレがあるという事務手続きの問題に収斂され、事務担当者に罪があるかどうかが今後法廷で審理されていくことになっている。


これにより、マスメディアの続けてきた贈収賄事件のごとき報道が誇大であった疑いが強くなったにもかかわらず、その点はネグレクトし、テレビなどは小沢氏関連のニュースがあるたびに「説明責任を果たしていない」と繰り返す。これで、世論が影響を受けないはずがない。


ならば、どうすれば「説明責任」を果たしたと、お墨付きをいただけるのか。これに明確に答えた人を少なくとも筆者はテレビなどで見たことがない。


鳩山首相や小沢幹事長は説明責任を果たしていると思いますか?とテレビカメラやマイクを向けられると、少しでも世間に名の売れている人は迂闊なことは言えない。バッシングが怖いからだ。「思いません」と言っておくのが無難である。


今日の朝日の社説で、小沢氏のなすべきことをこう書いてある。


「小沢氏はいまだ、国会の場での説明に応じていない。石川知裕議員の辞職勧告決議案もたなざらしのままだ。小沢氏は国会の参考人聴取に応じる。決議案は粛々と採決する。それが最低限のけじめであろう」


これが朝日の考える「説明責任」の果たし方なのであろうか。小沢氏が参考人聴取の場で、記者会見での説明と同じことを繰り返し、石川議員の辞職勧告決議案が与党の反対多数で否決されれば、それで朝日は「けじめがついた」と納得するであろうか。


かりに小沢氏が参考人聴取を受けて、記者会見と同じ発言を繰り返せば、「この説明では不十分だ」と、またぞろ「説明責任」なる曖昧な言葉を用いて批判を続けるに違いない。


要するに、日本のマスメディアが考える「説明責任」とは、「謝罪して職を辞す」ことなのである。


辞めたら潔しとして許してやろうという、きわめて情緒的な判断基準がこの国のメディアにまかり通っている。


本来のアカウンタビリティよりも、謝罪、辞職という行為に価値を置く精神構造が、何に起因して出来上がったものなのか、よく研究してみる必要がありそうだ。


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