新しい国づくりへ、マスコミ人は気概を持て | 永田町異聞

新しい国づくりへ、マスコミ人は気概を持て

「脱官僚依存」内閣のお披露目は16日深夜から17日未明におよんだ。


官僚のレクやメモを断って、振り付け師なき記者会見にのぞむ新閣僚の面々。長かったこの一日の疲労感が漂うなか、党のマニフェストの実行を口々に語った。


省庁の代弁ではなく、党のマニフェストの強調。これほどわかりやすいことはない。


国民に示したマニフェストを、任期の4年間で、着実に実行していく。それが、新しい政権の姿勢であることを、各大臣が自分の言葉で表現した。


マニフェストはいわば国民との契約である。その実現のため、工程表にしたがって、政治主導で優秀な官僚に仕事をさせていくのが、鳩山政権の揺るぎなき目標であろう。


自民党政権とは明らかに異なる政治をするのである。「政」と「官」の役割分担を明確にしたいというのである。少なくとも、政治を国民に伝えるマスコミの記者は、まず頭の回路を切り替えねばならない。


新政権は、各省庁の事務次官の定例会見を禁じることにした。さっそく、昨夜の閣僚会見で「言論統制ではないか」という質問が、数人の記者から飛び出した。頭の切り替えができていない証拠だ。


政策にかかわることについては、事務方トップの次官ではなく、国民に選ばれた大臣や副大臣がきっちりと会見をして、情報提供や見解表明するのが当たり前である。


国民から顔の見えない官僚は、国家の情報を一手に握っている。その優位性を利用し、省益に合うような色をつけて、記者に自分たちに有利な記事を書かせるよう誘導するのがこれまでのパターンだった。


しかしそれでは、新政権がいくらマニフェストを実現するべく頑張っても、官僚が記者に批判的記事を書かせて潰しにかかることが可能だ。


本来、「官」は「政」から示された方向に沿って、中立的に事務に専念するのが本分であろう。しかし実際には、「国を動かしているのは政治家ではなく自分たちだ」という驕りがキャリア官僚にはある。


政策の企画立案に携わる優秀な官僚は、記者を自分の役に立つかどうかで選別する。つまり、自分の政策を宣伝する道具として記者を見ているのである。


ところが、記者はそうは思わない。親しくなった官僚と飲み友達になり、天下国家を語り合う。そのうち、官僚からネタを提供されると、国の奥深い情報に自分だけがアクセスできたと喜び勇んでスクープにする。


実際には、都合よく使われているだけなのだが、積極的に目新しい記事を送稿してくれる記者は、本社の編集局から重宝がられる。たまには特ダネ賞ももらえるだろう。


このとき、官僚も記者もギブアンドテイクの成立で、ハッピーな関係となる。


事務次官定例会見は、記者クラブに加盟しているマスコミ各社の既得権のようなものだ。この会見を聞けば、いくつかその日の出稿メニューができるだろう。


その利便性を奪われることへの抵抗感があるのはよく分かるが、新政権のめざす「脱官僚依存」に賛同し、政治家のレベルアップをのぞむのなら、一つの実験として協力するのも悪くないではないか。


現役記者のみなさんは、時代の大変化を国のど真ん中で見届けようとしている。こんな幸運はまたとない。事務次官の定例会見などなくとも、いくらでも取材はできる。


新しい日本をつくるために、政治家だけでなくマスコミ人の気概も、国民は凝視している。


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