政治介入批判に検察が異例の見解表明 | 永田町異聞

政治介入批判に検察が異例の見解表明

マスメディアの拡声器を通して大山鳴動させたわりに大した罪状は出てこないだろうという、大方の予想がピタリと当たり、東京地検特捜部は小沢一郎の秘書を政治資金規正法の虚偽記載で起訴した。


政治資金規正法違反とはどんな性格の罪なのだろう。「ワイロ」とか「汚職」といえるものなのだろうか。もちろん、それは違う。この法律は、ワイロに関するものではない。政治資金を必要なものとして認め、それを透明化して、主権者である国民が監視できるようにするという理念に基づくものだ。


つまり、政治資金規正法違反での起訴ということは、現時点において、この事件の金銭授受についてワイロと認められる証拠がないことを示している。あくまで収支報告書にウソの記載をしたと検察が疑っており、裁判で決着をつけようというわけだ。もちろん、小沢事務所は、政治団体から寄付があったからその通り、団体名を記入したと主張する。


これまで、この種の虚偽記載は、修正申告で済まされてきており、政治家や秘書の逮捕にいたったケースは皆無といっていい。にもかかわらず、今回のように、総選挙を控えた政治的影響の大きいタイミングで異例の捜査に踏み切ったことは、いかにも唐突過ぎる印象をぬぐえない。


専門家やジャーナリストからも検察の姿勢に疑問を投げかける声が相次いでいる。


公開された「表の献金」にまで、あたかも裏でカネのやり取りをする汚職事件かのごとく強引に踏み込んだ今回の捜査のあり方について、検察批判を続けている元特捜検事、郷原信郎(桐蔭横浜大法科大学院教授)は次のように述べる。


「今回の捜査による影響が日本の政治状況や、世論の形成に重大な影響を与える結果が生じた場合、それは、一つの司法行政機関によって、国や社会に対して一種の“テロ”が行われたのに近い効果を生じさせたということになろう」


こうした、批判と、捜査についての説明責任を問う声に対し、谷川恒太次席検事は24日の大久保秘書起訴発表会見の場で、ペーパーを読み上げて次のような見解を示した。


「政治資金規正法に照らして看過しえない悪質な事案と判断した」


「悪質」な場合は、確かに収支報告書の訂正ではすまないこともあるだろう。ただ、何が「悪質」なのかについては「公判で明らかにする」という。


ならば「悪質」という言葉だけが独り歩きしたまま総選挙を迎えないよう、その中身を裁判で一刻も早く明らかにしなければ、検察の政治操作との批判はさらに強まる可能性がある。


今回の捜査は、政治の論点を、「国民不在の官僚支配解体」から、「政治とカネ」にすり替えるように、働いた。この結果、政界再編をねらって自民党を飛び出した渡辺喜美や自民党内の改革派らの動きが封じ込められているのが現状だ。


次の総選挙で政権交代させて政党の再編に導き、政策を競う真の意味の二大政党制を実現することが、国民に主権を取り戻すために何としても肝要である。その大きな変化への流れを、検察権力によってせき止められたのは残念なことだ。


確かに、小沢一郎が自民党旧田中派以来のゼネコンとの金脈を引きずってきたことには問題がある。政治にカネがかかり、与野党問わず大物政治家には企業から多額の献金が寄せられることも、望ましい姿ではない。


しかし、その悪しき現実は今に始まったことではなく、その問題の解決には政治資金規正法の抜本改正により企業・団体献金の抜け道を完全に塞ぐことが必要だ。


ただし、企業献金で命脈を保つ自民党政権が続く限り、それは不可能であることを我々国民はよく認識しておく必要がある。


むしろいま大切なことは、一部の問題だけに過剰に囚われるのではなく、この国の政治をあたかも天空から眺めるように俯瞰して、総選挙でどのような選択をすれば、社会の閉塞状況を変えられるのかという力学を冷静に考えることだろう。 (敬称略)


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