「下野は恥ずかしくない」という尾辻演説とその人生 | 永田町異聞

「下野は恥ずかしくない」という尾辻演説とその人生

「野に下るのは恥ずかしくない。恥ずべきは政権にあらんとして、いたずらに迎合すること。毅然と進む首相にご一緒します」


自民党の参院議員会長、尾辻秀久が代表質問で麻生首相に投げかけた言葉は、ほぼ1年前、尾辻が同じ本会議場でおこなった真情あふれる追悼演説を憶えている人には、ズシリと重い響きがあっただろう。


「癌対策基本法」「自殺対策基本法」の成立を訴えて実現させ、一昨年、胸腺ガンで亡くなった民主党の山本孝史議員へ捧げる文章は、長文ながら間延びせず、端正でありながら行間に情がうねる。


遺族が直立して見守るなか、尾辻は山本議員の演説を紹介した。山本議員は2006年5月22日の参院本会議で、自ら「がん患者」であることを告白したうえ、こう語っていた。


「ガン患者は進行や再発の不安、先のことが考えられない辛さなどと向き合あって一日一日を生きています。私は命を守るのが政治家の仕事だと思ってきました。ガンも自殺もともに救える命がいっぱいあるのに次々と失われているのは政治や行政の対策が遅れているからです。なにとぞ議場の皆様のご協力とご理解をお願いいたします」


尾辻は、山本のことを「最も手ごわい政策論争の相手であった」という。厚労相時代、山本は「助太刀無用、一対一の真剣勝負」と質問通告して、尾辻に挑んだ。このときのことを、尾辻は追悼演説で振り返った。


「私が明らかに役所の用意した答弁を読みますと、先生は激しく反発されました。私が思いを率直に述べますと、相槌を打ってくださいました。自分の言葉で自分の考えを誠実に説明する大切さを教えていただきました」


この日の追悼演説は、生前の山本が指名して尾辻がおこなった。与野党の立場の違いから、政治的に対立することもあったが、「癌対策基本法」「自殺対策基本法」などの成立に向け、たがいに心が通い合う、党派を超えた“戦友”だったのだろう。


「先生は抗がん剤の副作用に耐えながら渾身の力をふりしぼられ、全ての人の魂を揺さぶりました。議場は温かい拍手で包まれました。今、同じ議場でその光景を思い浮かべながら一言一句を振り返るとき万感胸に迫るものがあります」。


尾辻はあふれる涙をハンカチでぬぐいながら、演説を続けた。「先生、きょうは外は雪です。痩せておられましたから、寒くありませんか」。


議場の席は半数ほどしか満たしていなかったが、その言葉にこもる、切々として透明な魂の叫びと祈りは、故人を偲んで党派を超え議場に集まった議員の胸を打ち鳴らしたに違いない。


尾辻は昨年の参院選敗北の責任をとって辞任した青木幹雄の後任として自民党参院議員会長に選出された。参院のドンといわれる青木とは同じ派閥ながら、タイプはかなり違う。印象としては、泥臭い党務はあまり得意ではなく、政策をじっくり考える傾向の人ではないだろうか。


父は駆逐艦「夕霧」艦長として戦死、自身は防衛大学校に入学したあと、女手一つで育ててくれた母の死にあい、妹を進学させるため、退学して酒屋のアルバイトなどでお金を貯めた。その後23歳のときに東大に入りなおし、在学中に海外を放浪、5年をかけて世界77ヵ国をめぐった。


学習院からスタンフォード大、ロンドン大への留学を経て、家業を継いで若くして社長になった麻生首相とは、かけ離れた歩みであり、人生観が大きく異なっているのは自然であろう。


「野に下るのは恥ずかしくない」。この言葉は、尾辻の生き方そのものではないか。防衛大に入って、志半ばでも、退学して家族を支える。生活が安定したのちに東大に入学したが大学紛争で授業がほとんどなく、これも中退して、船で海外に旅立つ。形だけの「栄達」にとらわれず、必要に応じて融通無碍に人生を切り開いてきたといえるだろう。


「恥ずべきは政権にあらんとして、いたずらに迎合すること」。いくら総選挙を戦う必要のない参院とはいえ、自民党の議員として総裁にぶつける言葉としては、いささか過激である。政権の座に恋々として解散を先送りし、しばしば発言がブレる党のトップをいさめるかのような尾辻の演説は、麻生首相の胸にしっかりと響いただろうか。


より多くの方に読んでいただくため、よろしければクリックをお願いします↓↓

永田町異聞-未設定