和の精神で国難を乗り切る | あらやす日(本)誌

和の精神で国難を乗り切る

今は国難だ。

戦後最悪の有事だ。

ある試算では、
東日本大震災の経済的損失は、
太平洋戦争を超えるという計算もある。

大きなビジョンも思想もないのに、
小さなことでちまちました無意味な政争をしている場合でははない。

空きカン、鈍カン、もうアカンなんて、
だじゃれを楽しんでいる場合ではない。
リーダーを批判するのもいいが、
批判する余裕はないのだ。

今は、
「和」の精神で、
挙党一致で大震災の復旧と原発事故対策に集中するときだ。

そもそも、
和は、
政治の世界での和が本来の由来だ。

政争はこの国難が去ってから、
正々堂々と思う存分やればいい。

いや、
この国難が去っても、
無意味な政争を行う余裕は日本にはないだろう。

さて、
和の精神とはどのように実践されるのか?

一言でいえば、
反対意見を聞き入れることだろう。

原発でいえば、
原発推進論者は原発反対論者の意見を聞き、
原発反対論者は原発素新論者の意見を聞く。

そうすれば、
さまざなな意見の比較で自ずと愚な意見は排除される…と思うが。

大きな声にしないで「意見」を出さずに隠していると、
愚かな意見でも崇高に思えてくるものだ。

互いに意見を公開することで答えは見えてくる。

たいがい、
隠していることの多い側に巨悪が存在している。

ここで、
もし、
巨悪が発覚しても、
心を改めるならば相手を許す気持ちも必要になってくるだろう。

それも和の精神だと思う。