今日6月11日は、大衆文学の父とも言われた作家  長谷川 伸 の命日。



明治17年生まれの長谷川伸は、昭和38年6月11日に79歳で亡くなりました。


今年は没後46年になります。




昨年SMAPの草なぎ剛さんが大竹しのぶさんと公演をした



「瞼(まぶた)の母」の原作者というとわかりやすいでしょうか?




戸羽山 瀚 編書 図書刊行会の 「文学覚帖」 に


「長谷川伸と沐芳」


という話が載っていますので、ご紹介します。 


(少し長くなりますがお付き合い下さい。 沐芳というのは、新井旅館三代目館主 です。)





「北伊豆で、昔ながらの湯治場気分に浸かるとすれば修善寺だろうか」


長谷川伸はそんなことを私に言ったことがある。


ずいぶん古い話になるが、


ちょっとした意地っ張りから品川御殿山の豪邸を買い取って住んだ時代だから昭和14年頃だ。



修善寺では新井が定宿だった。


新井の主人相原老は沐芳と号し、漢詩を作り水墨も描く風流人、すこぶる伸と気が合った。


それに明治10年代生まれとあって年齢的にも馬が合うのである。



の修善寺行きには必ず二人か三人、作家仲間が道連れだったし、


ときには門下の若手連中も便乗するのであった。



夕食がすむと沐芳老は自慢の軸物を部屋へ持参する。



絵画については批評とまではいかないが、好き嫌い程度の愚表はできる。


ところが、漢詩の幅には一同お手上げである。



捕物帖や無頼旗本を描いている連中では読める筈がない。


そこへいくと流石に御大のは曲がりなりにも読み下すのだから敬服する。


沐芳老は語るのである。


だが、沐芳老には幾人かの文人、作家がこの手で漢読教養をテストされている。


世の中には珍しい趣味のひともあるものだ。





70年ほど前の新井旅館にかかわる話です。



あらゐ日記
修善寺梅林にて  右から3番目が長谷川伸・4番目が沐芳(相原寛太郎)



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