4月16日生まれ | いずみ先生のひとりごと

いずみ先生のひとりごと

相模原市中央区東淵野辺(最寄駅;古淵)でピアノと音楽の個人レッスンをしている辻田いずみのピアノや音楽についてのブログです。

<4月16日生まれの音楽家たち>
趣味が高じて
アロマセラピストになった
ワタクシ。

常々合わせたことが
出来ないかと思っていましたが、
来月からアロマルームYURAGI 」にて
その月に誕生日がある
作曲家をテーマに
香りを選んで
施術をすることにしました。

もちろん、施術中のBGM も
その作曲家の曲。
施術後はその作曲家についてや
使われたBGM を記した
リーフレットを差し上げます。

作曲家については
一部こちらで紹介する
文章を使います。

来月は「アルベニス
詳しくはアロマルーム「YURAGI 」のサイトにて。

では本日分をどうぞラブラブ

音譜佐々木すぐる(ささきすぐる)
  1892年4月16日~1966年1月13日(享年73歳)
  日本;兵庫
  作曲家。本名;佐々木英
  「一年生」「椰子の実」「お手々つないで」など。

  「月の沙漠」も彼の作曲です。

  常々なぜ「砂漠」ではなく、
  「沙漠」なのかと思っていました。
  「沙」は漢和辞典などで調べると
  もちろん砂(岩石が砕けて細かくなったもの)の
  意味もありますが、
  さんずいで記される通り、
  「水中で細かいものを洗い分ける」という
  意味もあります。

  そのためか、仏教用語で
  この字が使われることも多いですね。
  西遊記で出てくる「沙悟浄」も
  その字が使われていますね。
  元は捲簾大将(けんれんたいしょう)という
  天界での地位を持っていましたが、 
  天帝の大切な器を割ったという理由から追放、
  流沙河にて人を喰らう妖怪になり、
  その後観音菩薩の慈悲で
  その名が与えられたということです。
  「悟浄」とは師匠や兄などへの呼びかけの言葉で、
  実際には「沙和尚」などと呼ばれているようです。
  また本来は河童ではありません。
  日本の子供向けの物語でそうなったとのこと。

  話がだいぶ逸れてしまいましたが
  、佐々木すぐるさんは
  作曲以外にも児童合唱にも力を注ぎ、
  自ら主催していた合唱団で全国を巡ったり、
  合唱指導をしたりなどに
  その一生を音楽に捧げた人でした。
音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字
音譜渡辺岳夫(わたなべたけお)
  1933年4月16日~1989年6月2日(享年56歳)
  日本;東京
  作曲家。
  アニメ「機動戦士ガンダム」「フランダースの犬」
  「キャンディキャンディ」「キューティーハニー」など

  作曲家・渡辺浦人(1950年代~60年代に
  「赤胴鈴之助」や「坊ちゃん」などの
  映画作曲でその名をはせました)の長男でもあります。

  大学は経済学部で卒業をしましたが、
  その後フランスに音楽で留学。

  帰国の後はTBSに入社したものの、
  やはり音楽が捨てきれずに
  退社して音楽家となります。

  上記の代表作で知られるように
  昭和のアニメの多くを手掛けました。

  その曲は現在でも、
  「懐かしのアニメソング特集」などでは
  取り上げられますね。

  一部のファンの間では彼の曲を
  「ナベタケ節」とか「岳夫節」などと
  呼んでいるようです。

  しかし残念ながら平成元年、
  56歳の若さでこの世を去りました。
音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字
音譜大西順子(おおにしじゅんこ)
  1965年4月16日~(現在51歳)
  日本;京都
  ジャズピアニスト。

  アテネオリンピックにて出ていた
  水泳選手と同姓同名ですが、
  こちらの大西さんは言うまでもなく
  音楽家(ジャズピアニスト)です。

  1986年にボストンのバークリー音楽院に入学、
  1993年に発売したアルバムで
  日本ジャズ賞を受賞します。

  力強い演奏で有名な彼女ですが、
  2005年の復活ライブ(それまでも休業していたようです)を
  最後に一切の情報が得られないようです。

  本人は活動にあまり乗り気でないという
  噂もありましたが、
  また2007年もソロ・ライブなどを行い、
  いよいよ本格復活かとささやかれていました。

  が、2012年に前年の近親者の不幸を
  理由にプロの演奏家としての引退を表明。
  研究者としての道へと進むとの意向を表していました。

  しかしこの理由とは別なところに
  あったようです。
  端的に言うと「食っていけない」ことでしょう。
  CDが売れなくなり、
  ライヴに足を運ぶ人も減る中、
  舞台に立つための練習時間、
  体力維持のためのトレーニング等々
  収入と経費のバランスが
  取れなくなったことが
  最大の理由の様です。

  これは音楽業界全体に
  言えることかもしれません。
  無料ダウンロードが
  横行するとこういうことになります。  

  しかし小澤征爾氏の働きかけにより
  2013年にサイトウ・キネン・フェスティバルにおいて
  講師を務め、その一環として小澤征爾氏との
  共演を果たしています。
  (ラプソディ・イン・ブルー)

  そして彼女のピアノラボでは
  レッスンも行っていたようですが、
  現在新規の募集は行っていない模様です。

  また昨年2015年11月には
  復帰公演もしていますが
  その後の動向は見えてきません。
  是非活躍をして頂きたいと
  思っていますが…
  ジャズファンも増えないことには
  なかなか復帰して
  頂けないのかもしれません。

  大西順子公式ホームページ